いじられキャラの本性-怒"れ"ない人

私はいじられても、周りが笑っているとつられてヘラヘラしている。

でも、誰にどんなことでいじられたか、しっかり覚えている。

怖いでしょ。笑

的確な指摘は自己理解に活かすし、あまりにも酷いいじられ方だと、思い出してムカムカ、しょんぼりしていたりもする。

そうやって後から思い出して「あの言い方はないよなぁ!」とか考えてしまうのを、「恋」だと勘違いすることもある。
おめでたい脳みそである。


私は、自分の「傷つき」を察知するのが苦手だ。

何を言われても怒らないし、笑っている。

一見鋼メンタルのようなその振る舞いの裏で、「傷つき」は着実に蓄積されている。


怒りは、人間の心の自衛機能であり、人を攻撃へと向かわせる感情だと思う。

怒りの沸点の低い人は、自身の「傷つき」に敏感なのだろう。

たくさん人から傷つけられた経験のある人は、自分の心を守るために怒りの沸点が低くなりがちなのではないかと思う。
自衛機能が発達しやすいということだ。


一方の私。

ありがたいことに、家族からは愛されて育ち、学校では優等生、友達にも恵まれた。

多少親に叱られたりして傷つくようなことがあっても、笑ってやり過ごしていればそのうち癒える程度のものだった(多分)。

「相手をどうにかしなければ自分の心が潰されてしまう」なんてことは一度もなかったのだ。
怒る必要がなかった。

だから、怒り方を知らない。
正直今でも、「怒り」という感情の"必要性"が腑に落ちない。


それでも大人になるにつれ、心が傷つく機会は確実に増えていく。

1つ1つの傷は些細なものだ。
でも、誰につけられた傷か、心はちゃんと覚えている。

同じ人から受けた傷が限界まで溜まると、私の心はようやく「攻撃性」を発揮する。

怖いのは、これが無意識に出てしまうこと。
しかも、「怒る」という形では表現されない。

いつも通りのちょっとした傷つきが最後のトリガーとなり、突然、嘲笑うような表情で、相手が最大限に嫌がるであろう強い皮肉を、一瞬のうちに考えて口走る。
または、相手が確実に嫌がるとわかっている行動を、悪ふざけを装って笑いながらしたこともある。恐ろしい。

そして、後でめちゃくちゃ自己嫌悪に陥る。

どうしてそんなことをしてしまったのだろう…
ここまできても、まだ自分が傷ついているからだということに気がつかないのだ。

私が実際にこうなってしまった相手は当時の親友で、その後彼女とは絶縁した。そりゃそう。

彼女と出会い、関わり、そして絶縁したことで、自分をこんな風に客観的に知ることができた。


今、私には1人だけ、「傷つき」を溜めずにその場で「怒り」として表現できる相手がいる。

恋人だ。

「怒り」といっても、私のちょっとしたドジを笑ったりする恋人に向かって、
「んー!笑ったな!もう!」
と、ちょっとふくれて見せるくらいのものだ。

恋人が「ごめんごめん☺️」と一言返したその瞬間に、小さな傷は一瞬にして癒え、信頼が深まる。

そう、恋人ができるまでの約22年間の人生で、こんなシンプルなコミュニケーションすらできたことがなかったのだ。


いじられても笑われてもいつもヘラヘラしていて、むしろ嬉しそうな人。

その正体は、「怒"れ"ない人」かもしれない。

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