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「両親には代われないけど、子育てに必要なのは両親じゃなくて」

ライチです。第2回目の「沈没家族×きみトリ」対話会を開催しました。

前回の記録はこちら

今回は、平日夜の開催で、子どもの寝かしつけに成功!など滑り込みでのご参加があり、5名+主催2名で語る時間となりました。

掲載許可をいただいたご感想の中で、表題の言葉がとても心に響きました。


どんなにたくさんの人に関わってもらって、たくさんの大好きな人がいても、「両親」というのは誰にも代われないものなんだなって感じました。
でも、子育てに必要なものは必ずしも「両親」ではなく、関わる人の「優しさ」なんだなと思いました。

もう、ホントこれに尽きると思います。両親の存在は、よきにつけ悪しきにつけ、その等身大の存在でしかない。
子どもたちが育つのに必要なのは、関わる人の優しさであって、それはどんな両親のもと生まれても保障されるものであってほしい。保障される社会にしていきたい。これは私の確固たる思いです。

ほかに話題になったことは子どもが親との間で「バランスをとる」という話、時間軸を大きく超えて、いま若者になった土監督と話ができることの貴重さ、沈没家族にあった物事への真摯さ、誠実さに触れられた、などなど、アンケートにたくさんの言葉をいただきました。

イベント後に書籍『沈没家族 子育て無限大』を読んでくださった方もいて、映画には映し出されていない、土監督の内面のことや背景などもあらためて鑑賞していただけたようです。

今日書籍の方も読み終えたら、私の育った中での沈没家族的(親や家族以外の人と寝食共にした)場面がいろいろ思い出されました。
私は、親に愛されなかったと長年思ってきたし、食事、睡眠、精神も家は安心できる環境ではなかったですが、、その分、親以外の母性や父性や愛情を、それが、自分以外に向けられたのを見ているのでも、ああいいなあ、って自分のことのように受け取る思考回路?があるなあと思います。
一方でしばしば嫉妬や羨ましさや、自分にはなかった…って満たされなさに落ち込むこともあります。
でも、大人が血縁を越えて隔てなく子どもを尊重しながらも主体的に面白がって関わる姿があふれる社会になったら、子どもにとっても大人にとっても幸せだと思うし、大人や社会への信頼につながるのかもしれないな、と思っています。
しがらみのない、風通しのいい、でもあたたかい愛のある関わりを、
家族とも、家族以外の自分の周りの人ともしていけたらいいなと思います。
それを自宅を拠点にやったらちょっと沈没ハウス的だなと想像しました。
今は、地域の中で、友人仲間家族の中で少しづつできているのが嬉しいなと思いました。

人生を映画や本にすることで、分かち合える・語り合える人を爆発的に増やしているのですね。面白い。みなさんの家族の話も、映画の中の人びとのように食べたり飲んだりしながらゆっくり語り合いたいですね。
そして、特別なことでなく、自分が育った家庭にも、いまつくっている家庭でも「沈没成分」を感じること・増やしていくこともできそう。

穂子さんと山くんから土くんが生まれてきてくれて、こんな人生を経て育ってくれて、本当によかったなって思いました。
ありがとうございました。

こんなあたたかい祝福のメッセージで第2回のレポートを終えたいと思います。ご参加くださったみなさん、気持ちを寄せてくださったり、リツイートなどご協力くださったみなさん、ありがとうございました。

イベントは、あと1回。7/18(日)15:00~16:30です!こちらからどうぞ。

『きみトリ』についてはこちらから。


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