無冠のLEGEND
「伊那×陸上」を語る上で絶対に外せないレジェンドがいます。
タイトルとこの一言で分かる方は分かるんじゃないかと思いますが、すぐに分かった非地元民の方は、かなりの駅伝通と見受けられます。
正解は、、、
伊藤 国光(いとう くにみつ)
さん!
そう、鐘紡陸上部で活躍後にカネボウ陸上部監督としてトップ選手を育てられた名選手であり名指導者です!
ここからの情報は大部分をwikipedia大先生にご教示頂きますので、予め出典をこちらへ掲載しておきます。
伊那市出身、1955年生まれの現68歳で、今年の1月まではJFEスチールの監督を務められていらっしゃいました。
上伊那農業高校時代には3年連続で1区を走り、3年時には区間賞を獲得しています。
既に物凄いですよね!!
高校卒業後は鐘紡陸上競技部(後のカネボウ陸上競技部、現花王陸上競技部)に進まれます。
↑個人的にはこういう(鐘淵紡績からカネボウ化粧品から花王とかそういう)ネタについても触れたいところですが、全然信州推しと関係なくなるので割愛します笑
各種目のPBは
5000m:13分29秒86(1981年)
10000m:27分47秒35(1980年)
マラソン:2時間07分57秒(1986年)
ということで、どうですかこれ!
この年代でのこの記録って!!
調べたところ、5000mは日本歴代57位で、歴代100傑の中では5番目に古い記録でした!
ちなみに100傑で一番古い記録が1968年7月3日に澤木啓祐現陸連副会長が出した13分33秒00で、次点が1977年7月5日にストックホルムの大会で鎌田俊明さんが出した13分25秒41でした。
話を伊藤国光さんに戻しますが、13分29秒86という記録について、現役の選手でいうとSGホールディングスの鈴木塁人選手が13分29秒80で歴代57位、旭化成の市田宏選手が13分30秒76で歴代60位と、だいたいこのくらいの記録感でございます。
すごくないっすか!?
更に言えば、10000mの27分47秒35は日本歴代36位、歴代100傑の中では2番目に古い記録でした!
同じように現役選手と比べてみると、旭化成の大六野秀畝選手が27分46秒55で歴代35位、トヨタ自動車の服部勇馬選手が27分47秒55で37位と、錚々たる顔ぶれですよね…。
そんな伊藤さんの鐘紡時代は、10000mの日本新記録、マラソン・30km(ロード)・20000m・10マイル(ロード)の日本最高記録を記録したというまさにレジェンド!
↑当時は20000mという種目なんかも行われていたようで、こういう話もホントはnoteで書きたいところなんですが、20000m・25000m・30000mの日本記録保持者はあの瀬古利彦さんだったりします笑
そして全てアジア記録笑
30000mって笑
トラック75周とかマジ草
今回は脱線しがちですね笑
そんな時代、瀬古さんや宗茂・猛さんらの全盛期ですよ。
同じ時代に活躍していた伊藤さんもまた、マラソンでもサブ10ランナーながら一度も日本代表に選出されず、更に24回走ったマラソンでは引退まで遂に一度も優勝することが出来なかったという、まさに
無冠のLEGEND
だったのです…。
瀬古利彦、宗茂、宗猛と聞けば誰でも知るレジェンドランナーですが、同じレベルにありながらもこれだけの知名度に差が出てしまうというのはやはり日本のマラソン神話というかオリンピック神話というか、オリンピックのマラソン代表として出場・活躍することの大きさを物語っているひとつのエピソードともいえるかもしれませんね。
そんな伊藤さんのマラソン未勝利は当時
「世界マラソン界の七不思議」
とまで言われたそうです笑
現役引退後はカネボウ陸上部監督として、後に日本の長距離界を牽引し続けたレジェンド高岡寿成さんや、世界選手権代表の入船敏さんらを育てられました。
そんな長野県長距離界のレジェンドの名は
伊藤国光杯
として春の高校伊那駅伝の中で長野県選手の中でもっとも優れた選手に送られる賞となって今も光り輝いています!
また、伊那市にある鳩吹公園という公園の奥にある
ますみヶ丘クロスカントリーコース
の整備・監修も伊藤さんが実際に現地に足を運ばれたそうです!
このクロカンコースについても後日ネタにしますよ〜♪
スガワラ自身が陸上にのめりこんだのがちょうどこの頃、2000年代初頭だったので、高岡さんや入船さんは憧れの存在であり、だからこそ伊藤国光監督のお名前は当時からよく存じ上げていたからこそ、今こうしてゆかりの地である伊那市に居を構えて生活していることが不思議に感じらます。
だいぶ真面目な紹介記事になってしまいましたが、冒頭でも書いた通り
伊那×陸上
を語る上で外せないお話として皆さんにお伝えしたく、書かせて頂きました。
スガワラ
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