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私がいなくても、家族は死なない

こんにちは、ヨウです。


今回は、私が過去に体験から考えたことを書いていこうと思います。

私は、高校1年生から児童養護施設に入所しました。そこに至るまで、様々な原因があったのですが、一番の理由は「親の疾病」でした。親が精神病を患い、子どもの面倒を見ることができなくなったのです。

しかし、私の母が精神科に入退院を繰り返すようになったのは、中学2年生の頃でした。約2年間、私は母親に代わって、弟妹や母の世話をし続けていたのです。

そんな時期を振り返って、今回のことについて考えました。



今回の記事は、今を生きる”若者”の皆さんに読んでほしい。



部活しか居場所のなかった学生時代

私は、元々いじめられっ子、いじられキャラで、いつも友達から好き勝手に意地悪をされていました。それでも「いじめられている」なんて恥ずかしいことを親に言えず、私は「学校嫌だな~」と思いつつも、我慢しながら学校に通い続けました。

そんな私が不登校にならずに済んだのは、紛れもなく部活の仲間のおかげでした。小学校の時は吹奏楽の課外クラブ、中学校の時はテニス部。そこに私の居場所があったから頑張れたのです。



家庭の事情で、高校の部活を辞めた結果

私が高校生の時、母の病状が悪化した(躁鬱の起伏が激しくなった)ことと、進学校の勉強の大変さに苦労していました。

そんな中、部活をしていたのですが、心身ともに疲弊しており、部活で思うように体が動かずに、友達の輪にも入れませんでした。唯一の居場所であったはずの部活で居場所を感じられなかった私は、家族のために部活を辞めました。


しかし、それで上手くいくはずもありません。私が部活を辞めて、家にいるようになってから、母は自傷行為を繰り返す回数が増え、弟妹のワガママも増えていきました。

私は、高校の勉強についていくため(というか、学校で居場所を失わないようにするため)に、勉強を必死で続けていました。部活を辞めて勉強に集中できるようになったはずが、部活を辞めても、その忙しさは全く変わりませんでした。高校に入ってからというもの、成績は下がる一方でした。

そんな疲弊した状況が続いて、私は自分の不甲斐なさを呪い、母の薬を飲んで自殺を図ってしまったのです。


↓詳しくはこちらのコラムをお読みください。



施設入所して理解したこと

その後、私たちは施設に入ることになりました。それはつまり、親から離れて生活するということです。


精神病に悩まされ続けた母は、自傷行為を何度も繰り返していました。それを目撃した私が「やめなよ」「死なないで」などと言って止める、というサイクルを続けていました。家にいた時は、その繰り返しでした。

私は当初、「私がいなくなったら、母は死ぬのではないか?」と思っていました。私以外に自傷行為を止める人など、私の知る限りいなかったからです。

しかし、入所してしばらくして、私は母から電話を受けました。そこで母は、「最近、伯母さんにご飯に連れて行ってもらった」「病院でこんなことを言われた」という、当たり前のような日常の報告でした。


それから、「手首を切ってしまった」「薬を大量に飲んでしまった」という連絡は来ませんでした。そして、施設入所後、母が自傷行為をしたという話は聞くことはありませんでした。

その時に私は「子どもが、母を追い詰めていた原因だったのかもしれない。」と思いました。その時は、悲しみや怒りと、母の安定の安心と、複雑な気持ちでぐちゃぐちゃでした。

もしかしたら、児相や施設職員から、そういう子どもの心に負荷のかかる発言をしないように言われていただけで、実は自傷行為があったのかもしれません。その辺の事実は分かりません。


少なくとも私は、施設に入所して「母は、一人でも生きていけるんだ」ということを理解しました。



母は、私がいなくても死ななかった

私は、自分で勝手に「私がいなくなったら、母も、きょうだいも、路頭に迷ってしまう。」と思い込んでいたのです。だからこそ、誰にも助けを求めずに、辛い状況の中で耐え続けていたのかもしれません。

しかし、ふたを開けてみれば、私たちを助けてくれる人、施設、地域、環境、制度はたくさん存在したのです。

結局、私がそこに居なくても、家族はそれぞれ他の居場所を見つけて生き続けていました。私が「誰かに何かをしてやる必要性」はなかったということです。


私は施設に入り、自分のことだけに集中することができました。そうして、大学入学を決め、自分で考えて実行することで、自立することができたのです。



「私がいなければならない場所」は、無い

結局私は、自分自身で「自分が何とかしなければ」と強く思い込むことで、自分自身を殺し、縛り付け、そして苦しめていたのです。私を苦しめていたのは、私自身でした。

私が家族からいなくなったところで、私は生きていますし、家族も生きています。今も、母は精神病を患いながらも、難なく生存しています。そして、私たちきょうだいも生存しています。


幼い子どもであれば、そういう「家族」がいないと生きていけないかもしれません。しかし、環境は良くないですが、守ってくれる機関もありますし、生活するための受け皿もあります。逃げ場も頼る場所も、この日本には存在しているのです。

「逃げることができる場所がある」ということを知っていながら、逃げることができない方もたくさんいます。それは、そこに行くことで「私以外の誰かが不幸になるのではないか?」という思いが頭をよぎるからです。


逃げられない多くの方は、他人に迷惑をかけることを恐れています。自分の体裁が崩れることを恐れています。自分のワガママが他人を不幸にすると思い込んでいます。かつての私もそうでした。

しかし、自分の持ち場を放り投げて、逃げたっていいのです。自分が嫌だと思ったら、立ち去ってもいいのです。「あいつは…」と後ろ指さされるかもしれませんが、それは一時的なものです。人間、すぐに忘れます。

仕事辞めても、バイト辞めても、サークル辞めても、家族辞めても、辞めたら辞めたで、意外とみんなそれなりに生きていけます。

自分自身の人生に責任を負えるのは、自分だけです。他人の責任を抱え込んで死ぬぐらいなら、後ろ指差されても自分のしたいように生きた方が得だと思いませんか?


あなたがいる場所は、「他人のための場所」ではありません。「あなたが選んでいる場所」です。

そこに不満があるのなら、逃げていいんです。とにかく逃げていい。立ち去って、声もかけられないくらいのところに行けばいい。


自分の人生なんだから、自分で選んだ場所に行きましょう。たった一度の人生なのですから。



終わりに ~あくまで「生きていける」だけ~

さて、今回は、私らしからぬ「前を向け論」を展開してみました。笑

ただ、この文章で伝えたい相手は極々少数だと思っています。


自分の居場所から逃げられない多くの方は、大抵が「弱者」です。それは、ある集団で権力が低いもののことを指します。家庭内でいうならば、子どもや女性といったところでしょうか。

例えば、乳幼児を放り出して逃げたら、親は罰せられます。そして、子どもが不幸な目に遭います。それはアウトです。逃げてはいけません。

逃げてもいいから、自分の人生を生きなさい」というメッセージは、自立することができる年齢でありながら、自分で自分を決めつけてしまっている方だけに必要なのです。


今回の記事を読んで、「じゃあ、自分の人生を生きよう」といって、自分の子どもを放り投げて生きてはいけません。

これは、矛盾しているかもしれませんね。


じゃあ、あなたの子どもは、誰の選択によって生まれた存在ですか?

自分で選んだ道ならば、自分で責任を取りましょうよ。

他人の責任を被って、苦しい思いをしている子どもがたくさんいるんですよ。


ということで、この辺で失礼します。




※追記

今回の記事、あくまで「誰かが不幸になるかもしれないから、逃げられない」と考えている人にとっての文章です。

自分に当てはまらないと思う方は、この記事の内容を”心の中で”そっと否定してください。むしろ、そういう人の方が多いのではないかと、自覚していますので。



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