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「お前はズレてる」と言えちゃう残念な人

こんにちは、ヨウです。

今回は、個人の感覚の話をします。


あなたは、「お前、ズレてるよ。」と言われたことはありませんか? 

私はしょっちゅうあります。笑

残念なことに、私の持っている感覚は、多くの方に共感してもらえないようです。そんな、「ズレてる」と言われる理由と、その解決策について、綴っていきます。ま、この記事も、「ズレてる」のかもしれませんがね。それを踏まえて、続きをご覧ください。



「ズレてる」のが当たり前

まず、そもそもの話ですが、「ズレてる」って何ですか?

私たち人間は、考え方や行動パターンが同じ人など一人として存在しません。生まれた場所、環境、状況は全員違うし、個人の性格、考え方、趣味、好き嫌いは様々です。

私たちは、基本的に「ズレてる」のです。だから、あなたの目の前にいる人は、あなたと「ズレてる」ことが当たり前なのです。



「ズレてる」は、「少し間違っている」ということ

それでも、他人に対して、「ちょっとその考えはズレてるよね。」とか平気で言っちゃう人がいます。それは、対面の会話よりも、ネット社会の方が顕著です。

もちろん、何か物事に対して意見をしたとき、目的と手段がズレていたり、現状に対してズレた意見を言う人はいます。それは、ある程度訂正する必要があります。「目的と手段がズレているから、○○という目的を確認しよう。」「現状がこうだから、この視点での意見が欲しいな。」と教えてあげればいいのです。


「ズレてる」ということは、完全に違う方向を向いているのではなく、多少の修正で元の路線に戻ることができることなのです。



「ズレてる」ことを指摘して、勝ち誇る残念な人

それなのに、いちいち「それってズレてるよね!」とふんぞり返って偉そうに言っちゃう人がいます。

「その考え方は、現場に合っていない。ズレてる。」
「その行動はズレてるから、解決策にならない。」

指摘することは悪いことではありません。同じプロジェクトや目的を持ったチームであれば、ズレを訂正して、皆が同じ方向を向かなければなりません。「ズレてる」を指摘することは、大切なことです。

ただ、ここで現れるのが、「ズレだけを指摘して、解決策を提示できない人」です。もちろん、多くの経験から、即座にズレを指摘できる人がいます。それは良いことですが、そのズレの原因や根拠を提示しない人がいます。こういう人は厄介です。



「ズレてる」を”平気で言えちゃう人”は自己チュー

最初の方で述べた通り、私たちは同じ世界で生きているのにも関わらず、お互いに「ズレてる」存在です。それなのに、他人に何の配慮もなく「ズレてる」を言えちゃう人は、ただの自己中心的な思考の持ち主なのです。

キツイ言い方をしますが、自分が正しくて、自分を中心に世界が回っていると思っていないと、「お前って、ズレてるよね。」なんて言葉は言えません。

そんな人に、いちいち反応してあげる必要はありません。「どこがズレているか」「どうしたらズレないようにできるか」と具体的に言える人の話を中心に聞いた方がいいのです。


自分の考えだけをもとに、「ズレてる」と言う人は、相手にするだけ時間の無駄なのです。



「ズレ」を減らすための「伝える」「聞く」

何度も同じことを書いていますが、「ズレてる」のは当然の現象なので、これ自体は悪者ではありません。

しかし、私たち人間は、共存しないと生きていけません。そのため、何かの目的を達成するためには、「ズレ」をなくさないといけないことも出てくるでしょう。

その時には、お互いに話をしっかりと伝えあい、聞き合うことが大切になってきます。最初は意見がズレていたとしても、最終的に同じ方向を向くことができるように、徹底的に話し合う。お互いのズレを認識し、ズレを減らしていくことで、協力し合うことができるのです。


私たちは、生きていく中で「ズレてる」存在同士であることを認識して、それを減らすことが大切になってくるのです。



終わりに ~「ズレてる」を指摘された話~

私は、教員として働いているとき、現場の考えと個人の考えに「ズレ」が多い人間でした。

しかし、周りの先生方は、私の「ズレ」を指摘して、いつも解決策を提示してくれました。

私は、ある先生に「いつも、ズレてることばっかり言って、すみません。」と謝りました。その時、こういう返事が返ってきました。

「あなたは、指摘した後きちんと話を聞いて、どこが間違っていたのか、どうやったらいいのか、きちんと自分の言葉で返してくれるでしょ? だから、教えるの。むしろ、自分の考え方をきちんと言ってくれるから、私も新人さんの、”どういうことが分からないのか”も勉強させてもらえるし。ズレてるのは、しょうがないことだから、気にしなくていいのよ。」


私は、昔から、他人と感覚が合わないことが多いと自覚していたので、常に自分の考えをオープンにしてきました。その分、注意されることも多いのですが、そうすることで、自分の感覚の「ズレ」を認識するようにしてきました。

「ズレてる」のは他人ではなくて、自分なのでは? と考えて、どこがズレているのかを考えることが、意外と社会で生きる力なのだな、と私は実感しました。


こんな経験をして、教えてもらわないと理解できない私は、やっぱり「ズレてる」のかもしれませんね。

そして、私は私で、「ズレてる」ことを容認して欲しいだけなのかもしれませんね。笑



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