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#29 遠い星で、また会おう。

※この作品は、フィクションです。




 家の玄関を開けると、いい匂いがした。みそ汁の匂い。目玉焼きの匂い。炊き立てのご飯の匂い。浩介が、台所に立っている。家のことはほとんどやっていないはずの浩介が、晩御飯を作っている。

 「ただいま。何してるの?」

 「あ、兄ちゃん、おかえり。飯、作っといたから、食べて。」

 「学校は、行った?」

 「いや、兄ちゃんに言われた通り、休んだよ。」

 「そっか。」

 「母さんは?」

 「今日、いつもの病院に入院した。とりあえず、1か月は帰ってこないらしい。」

 「そっか。また、2人だね。」

 「ごはん、作ってくれたの?」

 「たまにはね。兄ちゃんが作ってるの、いつも見てるし。」

 「そうなんだ。」

 「あれ、何か食べて帰って来た?」

 「いや、朝から何も食べてないから、お腹空いた。食べる。ありがとね。」

 初めて、弟の手料理を食べる。みそ汁には、豆腐とわかめが入っている。豆腐は、俺が作っているより、小さく切ってある。だしの素を入れていないからか、少し味気ない。目玉焼きは、端が焦げて、箸で切りづらい。塩コショウが、少し多めにかかっている。それに、醤油を垂らして食べる。いつもなら、あっという間に食べてしまって、自分が一番に片づけているのだが、食べ過ぎたせいか、思うように箸が進まない。少しずつ、少しずつ、口に運ぶ。

 どうして、コンビニなんかで満たしたのだろう。どうして、こんなに優しいのだろう。どうして、頼らなかったのだろう。目の前にいる浩介は、もう、中学2年生になっていた。俺が母さんを支えると決めた年齢になっている。弟なんだけど、大きくなっているんだよな。

 「ありがとう、おいしかった。」

 「え、全部食べてないじゃん。」

 「今日、朝からいろいろあって疲れて、眠気がきちゃってさ。先に寝る。」

 「まだ、7時だよ?」

 「うん。眠いから寝るだけ。これ、残ったやつ、朝食べるから、ラップかけて、置いておいて。絶対食べるから。」

 「わかった。」

 「風呂も、明日入る。俺のことは気にせずに、夜、適当に過ごして。」

 「わかった。」

 浩介は少し不満そうな顔をしていた。俺は、すぐに立ち上がって、部屋に逃げ込んだ。布団に潜り込んで、枕で顔を覆った。そして、泣いた。声が出ないように、泣いた。涙が止まらなかった。

 どうして、浩介に本当の気持ちを話さなかったのだろう。どうして、強がっていたのだろう。もっと早く、正直に、話したほうがよかったんじゃないか。どうして、浩介に「殺すぞ!」なんて言ったんだろう。どうして…。

 もう、自分がなぜ泣いているのかさえ、分からなかった。今まで、母さんの病気を隠すための嘘から始まった。嘘を隠すための嘘をつき続けて、そんな自分の嘘を隠すために、浩介にまで、嘘をついた。どれが本当の自分なのだろう。

 自分で自分を責めるしかなかった。


 目が覚めた。いつ眠りに落ちたのか定かではない。横で、浩介が寝息を立てていた。時計を見る。5時。体だけは、いつもの生活をキープしている。
俺は、机の上の食べかけの夕食を胃に流し込み、台所で、昨日使われた調理器具と、食器を洗った。いつも通りの時間、いつも通りの朝。制服に着替え、カバンを確認する。宿題に全く手を付けていなかったから、必要最低限のところだけ、雑に処理した。

 嘘をついたのは、俺。そして、部活を辞めたのも、家族を背負ったのも、俺。俺が責任を持って、全てを背負う。浩介、お前には苦労させないからな。兄ちゃんに、任せとけ。部活も友達も何もかも失っても、浩介だけは、俺が守るからな。

 鏡に映った自分に、そう宣言した。目は赤くはれて、クマがひどかった。それでも、いつも通りにバス停に向かった。もう、学校は勉強以外しないようにしよう。バスは、定刻通りにやってきて、俺も、いつもと何ら変わりない素振りでバスに乗り込んだ。



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この物語は、著者の半生を脚色したものです。

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