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#28 遠い星で、また会おう。

※この作品は、フィクションです。




 精神病棟というものに初めて入った。エレベーターホールを抜けて、その奥に大きなガラスの扉がある。看護師さんがジャラジャラと腰に付けている鍵を使って、扉を開ける。バタン、と大きな倉庫を開けるような音がして、そのすぐ先に、もう一つ同じような扉がある。入院、というより、収監、といった感じ。

 母さんの病室に向かうまで、他の患者さんにじろじろと見られたような気がした。思ったよりも老人が多い。髪の毛を金髪にしたヤンキーみたいな人もいるし、大学生くらいかなと思うような普通な感じの人もいた。ただ、目が違う。うつ病の詳しいことは一切分からなかったけれど、この場所では、俺が明らかな“異物”であることだけは間違いなかった。母さんの病室は2人部屋。すでに、病室には母さんより少し若いぐらいの女の人がベッドに座っている。話しかけてはこないが、視線を感じる。もう、この空間にいること自体が苦痛になっていた。早く、この病棟から出ていきたい。母さんは、こんなところで生活していたのか…?

 俺は、看護師さんから「もう、帰ってもいいですよ。」と言われたから、「母さん、体、治してね。」と一言言って、すぐに病室を後にした。

 病院を出ると、正面に沈む夕日が見えた。丘の上から街を見下ろす病院。ここから見える夕日は絶景で、太陽に吸い込まれそうだった。

 ああ、世界はこんなに綺麗なのに、どうして、こんなことをしているんだろう。

 母さんから貰った五千円札、タクシーに使えと言われたけれど、俺は、坂を下って、駅の近くのコンビニに入った。友達が「やっぱり、エルチキが一番うまいよね。」と言っていたことを思い出して、エルチキを買って、店を出た。歩きながら口に運ぶ。噛んだ瞬間、肉汁が吹き出て、のどを通る。口から胃までの通り道を、肉と油が滑り落ちていく感触が手に取るようにわかる。今日、初めての食事だ。あっという間にゴミになったビニール袋を、帰り道の別のコンビニのゴミ箱に捨てた。そのまま、コンビニに入り、普段食べない、おにぎりやお菓子、ジュース、アイスを買ってみた。1200円もの豪遊だ。店から出て、コンビニの裏の小さなくぼみに座り込み、空腹を一気に満たした。どれも、おいしいはずなのに、だんだんと味気なく感じてくる。食べきれなかったポテトチップスとアイスをコンビニのゴミ箱に突っ込んで、足早に家に向かった。お腹がいっぱいなはずなのに、眠気はなく、心にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。

 俺は一体、何をしていたんだろう。何も飲み食いせず、家のことだけして、学校に行って、部活を辞めて、母さんの転院を手伝って、コンビニで訳の分からないものを食べて、お腹だけいっぱいで。俺は、何のために生きているんだろう。

 ブルーな気持ちと裏腹に、体だけが、勝手に家に向かっていた。

↑ 前話



この物語は、著者の半生を脚色したものです。

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