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エデュカッションを通して見えてきたもの

さる5月3日の日曜日、「エデュカッション(Educussion)」というオンラインイベントが開催されました。これはラーン・バイ・クリエーションのワークショップとして企画したもので、小学生から大人まで、年齢も性別も職業も違うさまざまな人がZoomの画面上に一堂に会し、これからの教育について想いを語りあいました。

エデュカッションとは何かについて説明する前に、結論から先にのべましょう。
「よかった! ものすごくよかった! 予想を超えてよかった!」というのが私の感想です。「いやぁ、本当にやってよかった!」
と、興奮してばかりじゃ伝わらないので、何がどのようによかったのかを、ここに書いていきたいと思います。

お察しのようにエデュカッションとは、Education(教育)とDiscussion(議論)をくっつけた言葉です。
目指したのは、教育についてみんなで熱く語りあうこと。子どもと大人、教師と保護者、健常者と障がい者、そういう垣根を取りはらい、自由に話しあってほしいと願って企画しました。

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SNS上で告知したところ、50名の定員があっという間に満席に。
ラーン・バイ・クリエーションの注目度の高さに、あらためて驚かされました。

多様な人が自由に語りあえる場。

さて、当日の参加者の属性は、ほぼ私たちが望んでいた通りになりました。小学生から、中・高・大学生、学校の先生、保護者、企業人、クリエイター、障がいのある人など、いい感じのごちゃまぜ感です。
教育の話は、ともすると狭い世界での議論になりがち。
小さなコップの中でグルグル回ることが多いので、私たちはあえてボーダレスであることにこだわりました。
参加者の約3分の1を児童・生徒・学生が占めたというのは、なんとも嬉しい結果です。

当日のイベントは、「全体説明→グループセッション(1)→全体共有→グループセッション(2)→全体共有→感想のシェア」と、こんな感じで進みました。
運営面で意識したのは、多様な参加者がいるので、できるだけ平易な言葉で話すこと。
「世代やさまざまな境界を越えて、ニューノーマル(新しい普通)な社会・教育・生き方について、これからの学びについて、対話を通じて考える」ことがエデュカッションの狙いです。

説明の後に、さっそく1回目のブレイクアウトセッションに入りました。
テーマは、「外出をせずに学ぶことが、日常になっているいま、感じていることは何ですか?」

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コロナウィルスの感染拡大で、いま、日本人の多くが同じ窮屈な思いを共有しています。この体験を通じて見えてきたことや気づいたこと。
たとえば、学校や会社に行かなくなって良かったことや悪かったことなどについて、自由に発言してもらいました。

用意したブレイクアウトルームは全部で8つ。
それぞれのグループに、児童生徒から学生、社会人までがバランスよく分かれました。なによりよかったと思うのは、この多様性の豊かさ。
中には障がいのある人もいて、「僕らはもともと外出できないから日常は変わらない」という発言にハッとさせられたりしました。

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●1回目のセッションでは主に以下のような意見が出ました。
「学校がないと友達に会えなくて寂しい。でも、自分の好きなことができるのは嬉しい」
「これまで職場でなかなか進まなかったテレワーク化が急速に進んでいる」
「離れていると、心の距離も離れていくようで不安」
「学力は心配していないが、生徒のメンタルな部分が心配」
「学校は必要だと思うけど、休校になっていいのは、道徳などのつまらない授業を受けなくてよくなったこと」などなど。

セッションを見て思ったのは、多様な参加者がいることとオンライン会議は意外に相性がいいなということ。リアルな空間に一緒にいると、子どもはつい大人の存在に気圧されて、話しにくくなります。でも、Zoomではどんな人も同じ大きさの一コマになるので、さほど威圧感がありません。多様な人がフラットに話しやすい環境がオンラインにはあるなと感じました。

未来の教育を妄想する。

2回目のブレイクアウトセッションでは、1回目のセッションで話したことを踏まえ、「未来の教育・学びはどう変わっていく?」を妄想してもらいました。良い悪いの評価はせずに、「こんな教育・学びがあったらいいな」というアイディアを、思いつくままに出しあいました。

●2回目のセッションでは主に以下のような意見が出ました。
「できる子は先に進めばいいし、ゆっくりの子はゆっくりでいい。個別最適化した学校」
「毎日が文化祭みたいな学校がいい。みんなで思ったことを形にしていく場」
「学校に行く意味は友達に会うため。週に2、3日通える学校があればいい」
「自分の興味のあることを選択して学べる大学のような学校がいい」
「教師は子どもに教えるのではなく、子どもの学びをサポートする役割になっていく」
「世界中のいろんな考えの人とつながれる学校がいい」
すべては紹介しきれませんが、各セッションの参加者からたくさんのユニークで素敵なアイディアが生まれました。

個人的に心に刺さったのは、「毎日が文化祭」のような学校という妄想。

やりたいことをみんなで考え、協力して創りあげていく文化祭は、ある意味Learn by Creationを体現した学びの場です。

だから、学校の毎日を文化祭にしちゃえと。正直、面白いなと思いました。そこから発想が広がって、生涯学習という観点から、「大人も混じって学べる『毎日が文化祭学校』があってもいいのでは?」「もはや、それは学校という名前じゃないんじゃない」など、多様なメンバーの話しあいから、時間が足りないぐらい議論が盛りあがりました。

フラットな関係が教育を変えていく。

最後は、エデュカッションに参加してみてのみんなの感想です。
「学校にいるときは自分の考えだけになっていたけど、今日はいろんな人の話が聞けてよかった」(中学生)
「高校生と一緒のグループだったけど、高校生ってこんなに大人なんだと驚いた。考えの根が深い。私もそうなりたい」(中学生)
「いろんな世代の人と話せて意見を吸収できた。この年齢でこういう経験ができたのは、自分の糧になると思う」(高校生)

アンケートにも同様の声が多数寄せられました。
「とても良かった。特に中高生、いろんな立場からの視点に学ばせてもらった」
「普段話せないような年代の方と話ができて、とても勉強になりました」
「子どもも大人もフラットな立場で話せたことが良かった」
「中高生がしっかりしていて驚きました」
「世代を越えてイベントに参加することがあまりないので、よい機会を得ました」
「子どもたちのまっすぐな意見に目が覚めるような思いを何度も持ちました」
「私のグループにはハンディキャップを持っていらっしゃる方がいて、そういう方のお話が聞けてよかった」

エデュカッションを企画する前段階で私たちが気にしていたのは、いろんな人の前で子どもたちがちゃんと話せるかということでした。
でも、やってみて、それが余計な心配だったことが分かりました。
子どもたちのしっかりした発言や考えに、参加者の多くが驚きを覚えたのです。

いまの社会には、一般的に大人が子どもを下に見る傾向があります。子どもは未熟な存在だから、大人が教えたり導いたりしてあげなければいけない。

でも、今回のようなフラットな場を設けると、子どもは意外な力を発揮するものです。いや、“意外”とは子どもに失礼かも。
もしかすると、大人が子どもの持っている力に気づいていないだけのことかもしれません。

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今回のエデュカッションでは、多くの中高生が「好きなことを自分で選択して学べるようになるといい」と発言していました。

それはつまり「学校」から「個人」へと学習の主体が変わることを意味します。そして、これこそまさにラーン・バイ・クリエーションが目指すこと。「Teaching」から「Creation」へ。
学校主体の「教える」から、学び手主体の「創る」へと変化していくということです。

この変化を実現するために有効なのは、「大人と子どものフラットな関係」を築くことではないかと、今回のエデュカッションを振り返って私は実感しました。声高に「教育改革」などと叫ばずとも、大人が子どもの話に耳を傾け、フラットな関係を築ければ、教育はおのずと変わっていくのではないでしょうか。

そして、子どもと大人だけではなく、偏見のメガネを捨て、すべての人がフラットにつながれば、多様な一人ひとりの力が発揮され、もっと生きやすい豊かな社会になっていくような気がします。

そのためには、多様な人間が立場を越えて自由に語りあえる、この「エデュカッション」のような場がますます必要になってくるでしょう。
というわけで、近々第2回を開催する予定です。みなさん、ぜひとも参加くださいね。

蓑田 雅之|Learn by Creation ワークショップ・デザインチーム




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