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リサコラム#19 マザコンを生み出す親って…。そして、イタリア男はマザコンが多いのは本当?

「マザコン」は、過干渉の母親 と 無干渉の父親 の組み合わせから生まれるよね、という内容を最初に書こうとしたら…、よく耳にする「イタリア男にはマザコンが多い」についての違和感の話になったので、路線変更。


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ワタシ自身、イタリアでそこそこの年月を過ごし、現地の言葉や会話を通じて感じたことの一つに、「イタリア男にはマザコンが多い」というイメージへの違和感があります。確かに、イタリアにも「マンモーネ (mammone)」と呼ばれる母親に依存的な男性が存在することは否定しません。が、実際に抱いたその違和感の正体、理由と、ネガティブなイメージの「マザコン」が生まれる背景についての考えです。


—— イタリアの家族における母の存在と息子

まず、「イタリア男にはマザコンが多い」というイメージは、ほぼ誤解だと感じています(サンプル数が少なく、イタリア男の定義も曖昧なため、断言は避けます)。実際には、母と息子は深い相互理解と尊重で結ばれており、精神的な距離が近いと言えるでしょう。

そうしたイメージが定着した理由の一つに、母と息子の頻繁な電話がよく挙げられるのですが、これは家族や友人間での一般的なコミュニケーションの一環、実際に自分の大切な相手がどういう状況なのかを直接確認したいという欲求や、お喋り好きの国民性、習慣によるもので、特別視するようなものではないと見ています。日本では「便りのないのは良い証拠」といった以心伝心的な考えが根強くありますが、それにはそれの良さがある一歩で、結果としてのすれ違いや認識の齟齬が生じることもあります。そういった対極とも言える考えがベースにあるが故に、特別視しているのではといった印象を抱えています。

また、イタリアを含む欧州の多くの国では、子供が小さいうちから個人の部屋が与えられ、日本のように親と同じ部屋で寝る習慣は少ないです。教育においては、個人の成長、自己表現、批判的思考や問題解決能力の育成が重視され、小さい時から自ら考え、問題に対する解決策を見つける力が養われるような教育がされます。

個人の成長だけでなく、少人数でグループを組んで協調性を養う場面では、圧倒的に言語による伝達力・表現力で他者へのアピールや討論、プレゼンテーションなどの能力が求められる…、というより、そうした能力が高まる環境といえます。また、英語やイタリア語は構造的言語であり、日本語と比べると論理的な思考が育ちやすい側面もあるでしょう。友人宅などで親と未就学児の会話を聞いていても、そうした違いを感じることが多いです。大人が自分の考えを述べ、その理由を論理だてて説明するなど、親と子の会話の量と質の違いが顕著です。もちろん、子供が小さいうちはその論理を完全には理解できませんが、親の態度と語り口から、何か大事なことを言われていると感覚的に受け取っている様子が見受けられます。

親は割と早い段階で子供を一人前の成人として認め、信頼し、必要な時にサポートをしますが、特に母親は息子に対し、逆に娘の場合は父親がその立場なる立つ傾向が多いように感じます。


—— 「マザコン」の誕生

一般的にネガティブな意味合いで使われる「マザコン」は、過干渉の母親無干渉の父親の組み合わせから生まれると言えるでしょう。母親が息子を過度に心配するのは、愛情というより支配欲からくるものであり、その背景には夫との関係がうまくいっていないことが多いように見受けられます。夫婦間の問題が先なのか、母息子の関係が過度になってきたことで夫婦間の問題が生じたのか、は夫婦によるでしょう。こうした家族関係に於いて、息子は母親への依存度が高くなり、思考力や決断力の欠如、社会における家族外との関わり方に問題が生じやすくなるのです。

両親の関係性によって子供がどのような影響を受けるかは、子供の個性にもよりますが、いずれにせよ、子供はいずれ独立し、新たな人間関係を築いて社会に出ていく存在です。多くの親が自分の子供に対してそれそれ願いを抱いていると思うのですが、その願いの下にとる行動、或いはとらない行動が本当に子供にとって良いことなのかを客観的に見つめ、夫婦で話し合える関係性がまず築けていることが大切ではないでしょうか。


—— イタリア男の「マザコン」のイメージはどこから?

日本に広く浸透したイタリア男の「マザコン」のイメージは、様々なメディアが選択した理解や印象に基づいています。これには、大衆ウケを狙ったインパクトの大きさや表面的なもの、単純化などが含まれており、そこにはイタリア文化の家族関係の深さや複雑さがほとんど意識されていないでしょう。このイメージが広く浸透する過程でも、更にそぎ落とされた内容だったり、新たに付与された別のイメージや情報等もあるでしょう。

ワタシの場合、日本で得たイタリアのイメージを携え、海を渡り、イタリアで生活する時間が長くなりました。やがてディテールがわかるようになって、イタリアの母親と息子の関係は、日本で言われる「マザコン」のイメージとは異なるように感じたのです。

ある情報や文化に遭遇した時に、関心や好奇心の度合いにもよりますがどれだけ長く、どれだけ深く接するかには限界があります。しかし、一般に流布するステレオタイプのイメージに限らず、自分が得た情報の純度はどうなのか?という疑問を持ち続けること、可能であれば1次情報に触れようとすることは、異文化や自分を取り巻く外の世界に対する理解をさらに広げる助けになるでしょう。



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by リサ@サブミッシブ



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