聞か猿

ジェンダー論だとか、そういった分野や、自分の内面などに対するメンタリズムのようなものを少し調べていると、必ず遭遇するのが、「『すべき』や『しなければならない』という言葉、考えに支配されてはいけない」という論説であります。その考えを持ってして、この息苦しさや違和感から許されるというのです。
ただ、私はこう思うのです。その論説もまた、私の外から生まれた「すべき」という言葉の1つではないのかと。
畢竟、必要なのは自分を説き伏せるもう少し強い自分なのではないかと。

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