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おじいちゃんとおやつ

私の母方の祖父はパティシエだった。

某有名ホテルで日々提供するスイーツやパン、ウェディングケーキを作っていたらしい。祖母いわく氷の彫刻を拵えた時もあったとか。私の想像してたパティシエの仕事の域を越えている。

そんな祖父も私が生まれた頃にはもう定年退職していて、ホテルで働くパティシエから家族専属のパティシエおじいちゃんになっていた。

定年退職したからといって祖父の腕は衰えることはなく、誕生日やクリスマスなどの特別な日のケーキから普段の日常でもクッキーやあんぱん、餃子の皮からピザ生地まで作ってくれていた。

祖父が作ってくれた魔法のようにおいしい記憶はたくさんあるのだけれど、その中でもバターパン、クッキー、そして誕生日ケーキが思い出深い。

早起きバターパン

祖父はスイーツやパンを作るプロであってもそれを教えるプロではなかったため、一緒に何かを作った記憶は私が食べた祖父のお菓子の数と照らし合わせてもかなり少ない。元々控えめでシャイな性格だから照れくさかったのかな。

そのため、幼い私が朝のそのそと起き上がってリビングに向かうと、早起きの祖父がテキパキと作ったバターパンがテーブルに綺麗に並べられてふんわりバターの香りを漂わせながら朝日に照らされていることが多かった。

祖父がいつも作っていたバターパンはホテルの朝食ビュッフェ用に作っていたものらしく、大きさは成人女性のこぶしより少し小さめサイズのコロンとした丸いフォルムが可愛らしいパンだった。パンの上半分に薄く塗ったバターがいい具合にこんがり焼けていてつやつやと輝いていた。

私と母はよくこのバターパンにジャムを塗って食べたり、祖母が作るこれまた最強に美味しいポテトサラダをはさんでポテサラサンドにしたり、あるいは何も付けずにおやつにムシャムシャ食べていた。優しい甘さのあるこのバターパンは何を付けても何と一緒に食べても相性が良くて本当に大好きだった、というより私の中でパンといえばこのバターパンだった。

大活躍のクッキー

クッキーは祖父が作ってくれたお菓子の中で一番よく食べた。一緒に作った経験が多いのもこのクッキーだ。

普段学校では習わないようなことをクッキー作りの中で学んだ。例えば、普段自分が食べているクッキーにはたっぷりお砂糖が入っていて、いい香りのするバニラエッセンスはそれだけ舐めても美味しくなくて、鉄板にクッキーを並べる時はクッキー同士が近いとくっついちゃって…など。あと、焼きたてのクッキーの美味しさ。あまりに美味しいので母と祖母も参加して、ふと気がづくと粗熱が取れるころには作った三分の一を食べてしまうこともよくあった。

祖父の作るお菓子は全体的に香り高いのに優しい甘さのものが多く、このクッキーも優しい味だった。プレーンやチョコのクッキーもあった中で私がダントツで好きだったのは薄くスライスしたココナッツがちょこんと乗っている抹茶味。今でも食感、香り、味を思い出せる程お気に入りだったそのクッキーは、バレンタインデーには気になる男の子に渡したり友達の誕生日プレゼントになったりと大活躍だった。

中でも一番鮮明な思い出は、小学生の時に学期末のお楽しみ会でそのクッキーを持って行ったこと。その時は確か私の学年でその日限定のお金を作って、グループごとに好きなものをクラスメイトに売ったり買ったりできるイベントだったはずだ。

私と友達の4人グループは、たまたま家族にお菓子作りが得意な人がいる4人だったのでお菓子屋さんをオープンすることになった。(今から思うと小学生が作って持って来た焼き菓子を授業の時間中に他の児童にシェアすることができたってことよね…今の小学生も早く心が踊るイベントが学校でできるようになりますように。)

この日ばかりは祖父に先に作らないで教えてね、おじいちゃんと一緒に作って学校に持って行くの!としっかり主張し手とり足とり教えてもらった。当日のみんなの反応もよかったのだけれど、それよりも優しく丁寧に作り方を教えてくれて、焼き上がったクッキーを上手だねぇと褒めてくれた祖父のことの方が覚えている。その日学校から帰って来て、好評だったことを伝えたらとても嬉しそうににこにこしていた祖父の表情も。あのクッキーには祖父の人柄そのものがよく表れていた。

ずっと特別な誕生日ケーキ

日頃のパンやクッキーが美味しいのは言わずもがなだったが、祖父のパティシエとしての職人技がフルに発揮されるのはやっぱりケーキだった。

祖父がケーキを作るのは主に孫たちの誕生日ケーキかクリスマスケーキで、私の誕生日ケーキはいつも真っ白な生クリームにキラキラ輝く苺が乗っているおっきな苺のショートケーキ。

誕生日当日、祖父は朝早く起きてふわふわのスポンジを焼き、腕力と泡立て器を駆使して滑らかで美しい生クリームを作る。直径30cmほどのケーキのスポンジは幼かった私の目にはとても大きく見えた。

積もりたての雪のように白い生クリームをスポンジに塗り、さらにその上に美しく絞られたクリームと苺が乗せられていく。3月生まれの私の誕生日の時期には旬の苺がお店に並ぶため、祖母がとびきり大粒で鮮やかな苺を買って来てくれて、祖父の手によってさらに輝きを増してケーキの上に乗っていた。

祖父が切り分けてくれたケーキはふわふわだけどしっかりしたスポンジと、クリームと苺の甘酸っぱさが天にも昇る美味しさで、私の中では今も祖父のケーキが人生で食べたケーキの中で不動の一位だ。

私がアメリカに渡って夏休みに祖父母に会いに行く6月でも祖父は私の誕生日ケーキを焼いてくれた。その時期はさすがに苺は旬ではないため、桃のショートケーキを作ってくれて、夏らしく爽やかなこの誕生日ケーキも大好きだった。

そんな魔法の手を持つ祖父は87歳で亡くなる数年前から認知症を発症して、晩年はお菓子を作ることはなくなった。祖父が最後に作ってくれたのはやっぱり私の誕生日ケーキで、桃がたくさん入ったロールケーキだった。上には粉砂糖がふんわりかけられていて、相変わらずどんなケーキにも負けない美味しさだった。もうすぐおじいちゃんの作るお菓子は食べられなくなるのかな、と切ない気持ちと一緒に味わったあの甘酸っぱさと舌触りは一生忘れないだろう。


これで今の私の職業は祖父と同じパティシエールです…と締めくくれれば綺麗なのだが、現実の私は修論に追われている大学院生で、ケーキを食べる機会があればおじいちゃんのケーキは世界一だよねぇと母と話している。

祖父の作るお菓子やパンはいつも優しく、食べると嫌な気持ちもスッとほぐれていくような味で、祖父の人柄そのものを写していたように思う。祖父からもらった美味しい記憶と幸せな気持ちは今でも鮮明に私の舌と心に残っていて、これから先も褪せることはないだろう。

おじいちゃん、たくさん素敵な思い出をありがとうね。おじいちゃんの孫で本当によかったよ。パンデミックが落ち着いたら会いに行きます。

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