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じいちゃんの余命、私のすべきこと。

母方の祖父が入院しているせいで、ちょっと我が家もバタバタしている。
母は毎日病院へ行き、私もすでに2回お見舞いに行った。
お見舞いって、なんであんなに疲れるのだろう。ただ座ってしゃべったりしているだけなのに。
病院という場所のせいなのかな。嫌でも生と死について考えてしまうから。


祖父の詳しい検査結果はまだ出ていないけど、主治医によると「癌でしょう」とのこと。余命は持っても1年ぐらいらしい……。
祖母のことは認知症が進んできているので気にかけてたけど、祖父がこんなことになるとは。実感がない。
祖父には癌だとういうことは伝えない方針なので、本人は実にのんきなもので、畑の心配をしたり、快気祝いで何が食べたいかと質問したりしている。
ずっとこんな感じでいてほしい。死んでほしくないけど、死んでしまうのなら、死の恐怖を感じずにのんきに生きて、ぽっくりいってほしい。


死は苦手だ。私が不安障害になったのは、同居していた父方の祖父の死がきっかけだった。
父方の祖母のお葬式でも、精神的に耐えられなくなりそうで、お骨を拾うのには参加しなかった。


一番つらかったのは愛犬の死だ。今でも思い出すと泣いてしまう。愛犬の最期のことを思い出すと、私は今後も必ず泣いてしまうのだろう。
愛犬は最後のころは歩けなくて、食事もとれなくて、介護が必要な状態だったけど、介護をちゃんと「やりきった」と思えるくらいしてあげられたから、看取ったときも後悔はなくて死を受け止められたと思う。


死に向かう人の気持ちはわからないけど、見送る側としては、後悔のないように、してあげられることをしてあげられるうちにすることが大切なんだろうな。
そうしないと、精神的にしんどくなる。何をしてあげるかも大事だけど、精神面が弱い人間にとっては、いかに自分のダメージを減らすかも大事なことだ。
私自身を守るためにも、祖父に対して後悔がないようにしたい。とりあえず、行くと喜んでくれるので、何回も会いに行こうと思う。
私が会いに行っただけで喜んでくれる人って、他にはなかなかいないからね。

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