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「幸せになりたいだけ」愛着障害について

この言葉を知ったのは数年前。
医者にそう言われたわけではなく、自分で調べた結果。
とてもしっくりきたことを覚えている。
それからはそれまで以上に安全基地を探し求めるようになった気がする。
愛情という名の癒しが欲しい。
欲しくて欲しくてたまらない。
つきつめていくと、ハーレムが欲しいと思うようになった  笑
永遠の愛なんてあるのかわからないし、私はとにかくたくさんの愛情が欲しい。
無償の愛なんて知らないから、どこか信用しきれないのかもしれない。
構ってくれる人ができると嬉しい。
依存する。
そして新たにできるとそれまでの人の重要度が軽くなってくる。
本当に失礼なことをしているなと思うが、不思議とそういう感覚になってしまう。
「そのポジションにいてくれる人」を欲しているんだろうか。
人に見捨てられるとこの世の終わりのような悲しみと怒りと虚しさで死んでしまいそうになるのに、自分も人を切り捨てることはある。ざっくりと。
その理由はわからない。

子どもが親に甘えるように、甘えたいんだと思う。
「聞いて聞いて」と話を聞いてくれる、いつでも暖かく迎えてくれる、無条件で味方でいてくれる、そんな安心感が欲しい。

普通の感覚の人にはわからないようだけど、愛着障害の人の言う「寂しい」は、普通の人のそれとは少し違う。
心に穴が空いていて、注いでも注いでも流れ出ていってしまうから、いつまでも満たされることがない。
常に喉が渇いているような感覚。
常に欲している。
癒しを得ている時間は潤すことができるけど、それを過ぎればまた渇く。
苦しい。
その瞬間だけ満たされた気持ちになるけど、実際は流れ出てしまう。
虚しい。
穴を塞がなければずっと満たされないのがわかっている。
塞ぎ方がわからない。
永遠ループしている。
ここから抜け出したいとずっともがいている。
それはつまり
必死に生きようとしているということだ。


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