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読書ブログの思い出

本を読み、その感想をブログに書く。
それを始めたのは、いつだっけ。
パスワードも忘れてしまいそうと思いながら調べようとしたら、一年以上更新していないのでロックされていた。
これを機に思い切って削除することにする。
ちょっと寂しいけれど。

noteも、このサービスが終わってしまえば、私の書いた文章も消えていく。
そう思えば、もう少し、気楽に言葉をつづってもいいのかもしれないなあ。

読書をブログを始めた理由はいくつかあった。
昔は自分の書いたものを全部残しておきたくて、それでブログを始めたように思う。
最初は日記のようなブログを作っていたが、長いつきあいの友人が、年間300冊ぐらいの読書をする人で、その人が読書ブログをしていたので、私も始めた。友人と感想を交換する楽しみが増えた。
論文を書くことから離れて、文章が書けなくなったと感じ、読書の感想を練習として書くことを自分に課したというのもある。
そのうちに、応援したい本を応援するためにも、感想を書きたいと思うようになった。

けれど、私はこれまでに何度か、本を読めなくなる時期がある。
一番読んでいた時期で、100冊程度までしかいかなかったのであるが、最近の2-3年は年間に10冊も読めない。
ちなみに、「読む」というのは、最初から最後まで読み通すことだ。私の中では。
読んでみたい本、読みたい本は次々と出版されるから、積読山だけは高くなり、猫がその山に頭突きしたりして床に散乱する。
昨年も、入院中に読もう読もうと思っても、痛いの苦しいの片腕が点滴で動かせないのとなると、本を開くことができなかった。
スマホを眺めることが精一杯で、本を買っても開けなくて、優先順位リストを何度も頭のなかで書き換えた。

今も読みたい本がある。
読みたいという以上に、もっと強く、応援したい本がある。
応援したい作者さんたちがいる。
私のつたない文章ではあるが、読んだ感想を書くことで、作者さんたちが喜んでくださったり、ほかの誰かが本に興味を持ってくださることがある。
そんな応援文を書きたいと思えば思うほど、本に触れられなくなった。
気合いが入りすぎて、機会を改めないと読めないからと後回しにしてしまうようになってしまった。

あほやろ?
と、自分で心のなかでツッコミを入れてしまう。

数年…10年ぐらい前は、一旦、それで読書感想文をやめてみた。
ブログも、某通販サイトの感想も、全部、書くのをやめた。
なにしろ、感想を書くために読むのと、ただ読むのでは、頭の使い方がまったく違うのだ。
書くためには、読んだものを頭の中にストックしなければならない。
内容だけではなく、自分の中に湧いてきた感情や思考を貯めて、整理して、どう取り上げれば魅力を伝えられるかを検討するのだ。
書く前提を一旦保留にして、やっと読めるようになったことがある。

よくよく考えてみれば、日頃、スマホを握りしめて、マンガも読むけれど、ラノベもたいそう読んでいる。
無料で読める投稿サイトも読むし、課金して購入して読んだものもある。
それは、出版されていたとしたら、何冊分になるかわからないぐらい、読み倒している。
課金がひどすぎて、とあるサイトで、年間の上位3%だか、5%だかに入ってしまったことには乾いた笑いしか出なかった。
モニター依存として、治療対象にされちゃいそうである。

ただ、そういうネットやスマホで読む物語群には、最初から感想を書こうとは思っていなかった。
痛みや苦しみから自分の意識をそらすため、頭の中をからっぽにするために読んできた。
何度も何度も、それこそ暗記しそうなレベルで読んだ物語もひとつだけあるが、それ以外は脳に残そうなんて思わずに読んでいる。
感想を書かないなら、脳に残さなくていい。
それは文字を追う作業に等しく、タイトルや作者も憶えず、心を動かさないこともある。

ということは、私、読める、よな?
というか、読んでる、よな?

気付くのが遅いのである。
それに、スマホ画面よりは、紙面のほうが目に優しい。
小さい画面よりもずっとずっと、私に優しいのは、いつも本であった。

当たり前であるが、読むと書くは異なる。
以前のようにとはいかなくていい。
気合いを入れ過ぎずに、今の自分に適切な距離感で、本と付き合えればいいなぁ。
ほんとはね、もっともっと、応援文を書いていきたいのだけど。
もっともっと、本と本屋さんと本を取り巻くすべての文化を応援していきたいのだけど。
いかんせん、自分には限界があることをあきらめよう。

そうそう。
読書ブログの思い出をひとつ書いておきたい。
毎年、今頃になると、急にViewが増えるのだ。
検索ワードを見るのが楽しみだった。
それが、その年の読書感想文の課題図書だったりして、読書ブログ仲間と微笑ましく思っていた。
それがわかっていて、中高生には引用しにくいような文章で、わざわざ書いている私もいた。
今年も今頃、誰かが検索をしているのだろうか。がんばれ。

(この下は課金にしてありますが、特になにも書いておりません。課金記事を書いてね、というお願いメールが来たので、課金設定にしただけです)

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