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空き家の子供 第15章 現在・冬(8)

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第15章 現在・冬(8)

 トラックと正面衝突した車は大破し、運転席にいた父は即死、助手席にいた母も搬送された病院で死亡した。トラックのドライバーは軽いけがで済んだ。私は大けがを負ったが、命は取り留めた。
 体中に包帯をまかれギブスをはめられて、病院のベッドで私は目覚めた。事故から二日が経っていた。自分が生きていることを確かめながら私は、あの子が父と母を取って行ったことを知った。祖母もだ。祖母の遺骨は事故現場に散乱して、とても回収は不可能だったと聞いた。
 私だけは取り損ねたのか。それとも、わざと私だけ残したのか。どっちだろう?
 祖母の葬儀の当日、火葬の帰りでの死亡事故だから、テレビのニュースでも流れたし、大きな話題になった。祖母に続いて父と母を一気に失い、私は突然一人になって、親戚たちも大騒ぎになった。幸運だったのは、事故直後の喧噪の間、病院で隔離されて過ごせたことだ。立て続けの葬儀や面倒な手続きは、私に同情した叔父や叔母たちが進めてくれた。私はただ病院のベッドで、時々お見舞いに訪れる彼らの報告を聞けばよかった。
 彼らはみんな私のそばにやって来て涙を流し、私の手を取って気を落とすんじゃないよと言って、また感極まって泣き出すのだった。私は一向に泣かなかったが、それは怪我のせいだとみんなが思ってくれたので、好都合だった。実際、私はぼうっとしていた。脳が上手く働いていないようで、世界はぼんやりとした薄いヴェールの向こうにあるように感じられた。
 頭蓋骨を含め、全身のいろんな箇所を骨折していた。何度か手術を繰り返し、私の体は修繕されたぬいぐるみみたいに縫い目だらけになった。一通りの手術が終わると、今度はリハビリが始まった。
 車椅子に乗って、私は病室からリハビリテーション室へと移動した。そこはトレーナーがいる広い部屋で、つかまって歩くための手すりや、マッサージを受けるためのベッド、様々なギブスや歩行補助器具などがあった。
 トレーナーは澤田さんという若い女性で、親身になって私を励ましてくれた。
「頑張って!」と澤田さんは言った。「一緒に頑張っていきましょう。毎日、少しずつ元の体に戻っていきますよ」
 片手を澤田さんに支えて貰い、手すりにつかまって、私はゆっくりと歩く練習をした。
 リハビリの時間以外も、私はできるだけ松葉杖をついて、病院の中を歩き回った。
 ゆっくりゆっくりと廊下を歩いて、談話室に入っていくと、同じく入院患者であるおばさんが私を呼び止めてみかんをくれた。
「ありがとうございます」
 おばさんの隣りに座って、私はみかんを剥いて食べた。
「大変ねえ。でもすぐに良くなるわ、若いから」
「そう思って頑張ります」
「頑張ってね。応援してるからね」
 また別の日に談話室に入っていくと、おばさんは三人に増殖していて、皆でパックケースに入れたおせち料理を囲んでいた。
「そうか、お正月か!」と私は言った。
「聡子ちゃん、こっちおいで」とすっかり気安くなったおばさんは私を呼んだ。
「ここまで頑張って歩いてごらん。そうしたら、一緒におせち食べよう」
 賑やかなおばさんたちに応援されながら私は松葉杖をついて歩き、皆の歓声を浴びながらたどり着いて、ご褒美のおせちを頂いた。
 勝手に大騒ぎするおばさんたちの談笑に包まれながらふと窓を見ると、雪が降っていた。都会の雪は大きくて、私には灰が舞っているように見えた。音もなく降りしきる死の灰を、私は連想した。入院している間に核戦争が起きて、世界は滅亡したのだ……。

 もちろん世界は健在で、それまでと同じように続いていた。
 大塚は毎日、会社帰りに病室に寄ってくれた。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったな」と彼は言って、差し入れのシュークリームを一緒に食べた。
「退院してからも何かと大変だと思うけど、大丈夫、俺がついてるからな」
「ありがとう」と私は素直に言った。
 大塚は私の顔を覗き込むようにじろじろと眺めた。
「……何よ」
「なんだか、前よりも顔色が良くなったような気もするな」
「病院で、真面目に規則正しい生活をしてるからね」
「あれから、あっちの方はもう出てないのか?」
 あっちの方。私は思わず吹き出した。
「幽霊なら、あれっきり出てないよ」
「そうか。さすがに満足したってことなのかな?」
「そうね。それともあなたの言ったように、最初から私の妄想だったのか」
「そう思うのか?」
「さあね。わからない」
 事故の瞬間を最後に、あの子は私につきまとうのをやめていた。
 病院で目覚めてからも、最初のうち私は周囲をきょろきょろ見回し、気配に過敏に反応したり、物音にびくっとしたりするのをやめられなかった。夜になると、廊下を歩く足音にどうしても聞き耳を立ててしまい、子供の呼び声が聞こえてくるのを今か今かと待ってしまった。夢を見るのが怖くて、なかなか寝付けない夜が続いた。
 だが、あの子はやって来なかった。声も聞こえず、姿も見えない。夢の中にも現れず、私は久しぶりにぐっすりと眠った。
 そんな日々が何日か続くと、私もようやく緊張を脱して過ごせるようになってきた。ストレスがなくなり、確かに事故の前よりずっと気分も良くなった。
 大塚の言うように、父と母を得て、満足したということなんだろうか。
 それとも、空き家が供給していた力がいよいよ尽きて、もうこの世に存在していられなくなったのか。あの子は、この世から消えてしまったんだろうか?

 一月も半ばを過ぎて、私のリハビリもずいぶん進んだ頃、叔父と叔母が分厚い書類を持って病室にやってきた。これまでも葬儀や保険金の話で、何度も来てくれていたのだが、今日は相続の話だった。
「いや、急ぐことはないんだけどね」と叔父は言った。「だが、とりあえずどれだけの財産があるのかは、見ておいてくれた方がいいと思ってね」
 司法書士がまとめた目録を、私はパラパラと眺めた。ほとんど興味は沸かなかったが、家のところで目が留まった。
 そうか。あの実家は、私が相続するのか。
「あの家なあ。どうする? 聡子は住まないよなあ」
「うん……一人であそこに住むことは、ないと思うけど」
「そうだなあ。この間行ってみたけど、だいぶ古くなってるな。住むにしてもリフォーム、いや建て替えかなあ」
「ああ、片付けをしてくれたんだよね。ありがとう」
 突然住人を失った家で最低限の掃除や整理をするために、叔父と叔母が家に入ってくれていた。
「そう言えば、あの家に行った時、妙な女の子を見たよ。あんた知ってる?」叔母が何気ない口調でそんなことを言い出して、私は急に緊張した。
「女の子? どういうこと?」
「いや、別に何てことないんだけどね」叔母は言った。「この人と二人で、駅から歩いて行ったんだけどね。玄関の前に立って、じっと家を見ている女の子がいたのよ。変でしょう、他人の家をじろじろ見てるなんて。私はぎょっとして、ちょっとどちら様?って聞いたのだけど、何も答えずに走って行っちゃったの」
 私はドキドキしていたが、何気ないふうを装った。
「近所の子じゃないの?」と私は言った。
「そうかもしれないけど。それにしても変じゃない?」
「どんな子だったの?」と、さり気ない口調で聞いた。
「小学生くらいかな。おかっぱで、薄着で。寒いのに、まるで夏みたいな格好だったよ。何ていうか……無表情でね。気持ち悪い子供だったよ。私何だか、ぞくっとしたもの」
 私は溜め息を噛み殺した。間違いない。あの子だ。
「確かに、変な子供だったな」叔父が言った。「俺も、幽霊を見てるような気がした。変だよな。あの家に出るなら子供じゃなく、大人の幽霊が出るはずだろう」
「ちょっとあなた!」と叔母がたしなめる。
「それはさておき!」叔父は強引に話題を変えた。「いずれはどうするか、売るのか壊すのか、決めなくちゃならんけど。当面は空き家ということに、なりそうだなあ」
 私はハッとした。
 私の家が、新たな空き家になったのだ。

 消灯時間が過ぎて、イヤホンを使ってテレビを観ていたら、ベッドサイドテーブルの上でスマホが震え出した。何気なく手に取って、私はドキッとした。登録のない、知らない番号だったからだ。
 少し迷ってから、イヤホンを外して私は電話に出た。
「もしもし……」
 慶太だった。
「……慶太くん? どうしてこの番号を知ってるの?」
「彼氏に聞いた」
 ……なんで大塚が。聞けば、慶太は一度、病院までやって来たそうだ。私はリハビリ室に移動していて、病室には大塚がいた。古い知り合いであることを告げると、大塚はタイミングの悪さを気の毒がって、私の電話番号を彼に伝えたそうだ。
「なんて不用心なんだろ」
「何か察したんじゃないかな。俺が小学校の時の知り合いで、近所に住んでるって言ったから」
「何を察するって言うのよ。空き家のこと?」
「彼氏は知ってるんだろう?」
「全部では、ないけどね。それで? わざわざ電話してまで何の用?」
「あれは事故だったんだよな?」勢いこんだ口調で、慶太は聞いた。「あれは……あいつは関係ないよな?」
「関係あるよ。事故を起こしたのはあの子だよ」
「……どうやって?」
「運転中にいきなり出てきて、ぶつかるように仕向けた。それ以前にしつこく嫌がらせをして、父が眠れないようにした。ぜんぶあの子のしわざ」
「……そうなのか」
 慶太の苦々しい声。そして沈黙。やがて息を吐き出すように、慶太は続けた。
「それで、これからどうなるんだ? まだ続くのか?」
「知らないわよそんなこと。あの子に聞いてよ」
「それはまあ、そうだろうけど」
「もう満足したのか、私を殺すまでやめないのか、わからない。今のところは、病院には来てないようだけど。あ、でも家の方には来たみたい」
「家に?」
「実家の方に。あの家はもう、空き家だからね……」口に出して、私は気づいた。「そうか。あの子は空き家が欲しいんだ」
「……何だって?」
「あの子には容れ物が必要。空き家がないと、あの子は長くは存在できない。だから、あの子は新しい空き家を求めてる。だからあの家に入りたいのね」
「ちょっと待てよ。何を言ってるんだ」
「あの子を家に入れてはならない」私はそう呟いて、戸惑っている慶太を無視して話し続けた。「前の時もそうだった。あの子はどこにでも出現できるようだけど、家には入れないのね。家は特別な場所だから。あの子はずっと、空き家に閉じ込められていたんだから」
 私は高揚していた。あの子を縛る法則が見えてきた。それはそうだ。生きているものに自然のルールがあるように、生きていないものにもそれなりのルールがあるはずだから。
「家は……結界なのね。開けてもらわなければ、入ることはできない。入ることができれば、あの子は家から力を得る。でも入れなければ、あの子は力を失うはず。今度こそ、あの子を消してしまうことができる。永遠に。長いこと取り憑かれてきた呪いから、今度こそ解放されるのよ。私も、あなたも」
「俺が?」慶太はうわずった声をあげた。「お前の話だろ。俺は関係ない。俺は取り憑かれてなんかない」
 私は笑った。「自分で気づいてないの? 慶太くんはばっちり、取り憑かれてるわよ。空き家の子供が気になって、そこから一歩も動けずにいる。あのアパートにずっと閉じこもって、空き家を見張っていたんでしょう?」
 慶太は黙った。沈黙が流れる。慶太の苦痛が電話から伝わる。
「……そうだな。俺のせいだからな」絞り出すように、慶太は言った。「平井を空き家に入れたのも俺。閉め出された後で、もう一度入るように唆したのも俺だ。せっかく閉め出されたのに、わざわざ俺が戻しちまった。俺がいなけりゃ、今頃こんなことにはなっていなかったんだ」
「そうだね。でも、起きたことは仕方がない。ねえ、私に協力しない?」
「協力?」
「私は実家に戻るつもり。あそこに居座って、あそこを空き家にしてやらない。あの子が完全に消えるまで。あの子が消えたら、私もあなたも今度こそ自由になれるのよ」
「……ふざけんなよ。何で、俺がお前に」
「そう? まあ好きにすればいいけど。でも聞いて。長いこと、空き家があの子の存在をこの世に繋いできた。それは本来、不自然なことなのよ。これは、あの子を解放することにもなる。そう思わない?」
 慶太は電話を切った。不意に夜の病室に一人でいる自分に戻されて、私は戸惑った。意識は、空き家のあったあの町に飛んでいたのだ。
 電話を切った後、私はあの子を出し抜く方法を考え始めた。病院では、考える時間はいくらでもあった。

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