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空き家の子供 第13章 現在・冬(7)

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第13章 現在・冬(7)

 通夜の夜。蒼太が帰っていった後、親戚たちも皆帰ってしまって、私たち家族三人だけが会館に泊まった。
 会場の奥にある畳敷きの宿泊室に布団を敷いて、久々に親子三人並んで横になった。私は今夜も眠れそうにないと思っていたし、もし夢を見て悲鳴を上げるようなことになったらどうしようと、密かに心配していた。
 明かりを消してずいぶん経ち、誰かの寝息が聞こえ始めた頃に、
 ポーン
 エレベーターの音がした。
 父がもぞもぞと起き上がった。その暗い影が闇の中に見える。
「見てこようか?」と私は言った。
「起きてたのか。早く寝なさい。ちょっと行って、見てくるよ」
 父は言って、宿泊室を出て行った。その間、私は不吉な予感を感じながら父が戻るのを待っていた。母の寝息が、すうすうと聞こえ続けていた。
 やがて、父が帰ってきた。
「どうだった?」
「いや、誰もいなかったよ。会館の人じゃないかな。寝よう寝よう、明日も忙しいんだから」
 言って、父は布団にもぐり込んだ。
 私はもう、完全に目が冴えてしまっていた。あの子が来たんだ、と私は思い込んでいた。
 またしばらく経った頃に、
 ポーン
 エレベーターの音が鳴った。父はがばっと跳ね起きた。やはり父もまだ眠れず、音が鳴るのを待っていたようだ。父はまた布団から起き上がった。
「また行くの? もう放っておいたら?」
「会館の人が出入りしてるのかもしれないな。そうだったら、うるさいから止めろって言ってくるよ」
 今度は、父はさっきより長く戻ってこなかった。会館の事務所まで行っているのだろうと私は思った。だが、どうせ誰もエレベーターを使っていないと言われるのだろうと、私は思っていた。
 やがて、父が戻ってきた。そのせわしない動きから、イライラしているのがわかる。
「どう?」
「誰もエレベーターは使っていないってさ。絶対嘘だろう。誰も使ってなくて、音が鳴る訳ないんだから」
 また布団にもぐり込み、父は頭から布団を被った。それから、私はじっと耳を澄まして次に音が鳴るのをまった。
 ポーン
 父が反応するより先に、私が起き上がった。父が何か言おうとするのを制して、
「私が見てくるよ。寝てて」
 私は言って、宿泊室を出た。
 スリッパを履いて、会場へと歩いていった。誰もいない会場。線香の匂いだけが漂っている。エレベーターを見ると、扉が開き、誰も乗っていない明るい箱の中が見えていた。私が見守るうちに、エレベーターの扉は自動的に閉まった。
「いやがらせは、やめて」
 私は言った。父に聞こえないよう、小さな声で。
「ここに何の用? もう来ないで。どこかへ行って」
 通路の真ん中に立ち、無人の椅子の列を見つめながら、私は待った。やがて、あの子の声が聞こえてきた。
 おばあちゃんを、ちょうだい。
 寒気が、私の背中を這い上がった。
「嫌。あげない」
 私は言った。誰もいない無人の椅子の列に向かって。ふと、振り返る。祭壇の上の祖母の写真が、私を見下ろしていた。祭壇の前に置かれた棺桶に目をやって、そこにちゃんとあるのを確かめる。そんなことをしながら私は、これじゃ本当に狂ってるみたいだと思った。
 また声がした。
 おばあちゃんを、ちょうだい。
「ダメだったら!」
 思わず大きな声が出た。父に聞こえたかもしれない。私は耳を澄まして、向こうの宿泊室の様子を伺った。
 やがて長いこと待って、気配がもう感じられないことを確かめてから、私は宿泊室へ戻った。
 父は起きて待っていた。私の声については何も聞かなかったが、
「何かあったかい?」と尋ねた。私は何もなかったと答えた。
 結局、それから朝までに、エレベーターのポーンという音は何度か繰り返された。私は寝付きかけたかと思うと起こされ、父も似たような状態にあるようだった。

 翌日、告別式の日。私は一日中ぼんやりしていた。父も、ずいぶん辛そうだったが、そこは喪主だから表向き眠そうな様子は見せなかった。
 父の挨拶も滞り無く済んだ。出棺、車とバスに分かれて斎場への移動。火葬場でのお別れと、その後の会食。それからお骨上げ……。
 一通りが終わって、私はほっとした。これでもう、「おばあちゃんがとられる」ことはないだろう。
 父の運転する車で、私たちは斎場から自宅へと向かっていた。助手席に、遺影を持った母。後部座席に、お骨を持った私。
 昨日に続いて、細かく静かな雨が降り続いていた。道はやはり混んでいて、渋滞とやや流れる区間とを小刻みに繰り返していた。そのリズムは父を苛つかせるようで、ずっとイライラと指でハンドルをせわしなく叩いていた。
 私は雨に濡れた窓の外を眺め、人通りの多い冬の街を眺めていた。人ごみの中にあの子の姿が見えたようで、何度もはっとすることを繰り返した。私はぼんやりと、あの子について考えていた。
 昨夜のあれは、空き家の子供の攻撃だったのだろう。私と父を眠らせず、疲れさせるための嫌がらせだ。面倒だが逆に言えば、今のあの子にできることはケチな嫌がらせだけなのかもしれない。
 空き家の子供には、容れ物が必要だ。空き家に囚われていることで、なんとか存在を保っていた。だから闇から出られなかったし、闇の中では消えずに居続けることができたのだ。だが、今はもう空き家はない。あの子の力の元になる闇は、消えてしまった。
 だから、あの子の力は失われる一方であるはずだ。
 もう少し、もうしばらく持ちこたえれば、あの子は力を失って、今度こそ本当にこの世から消えてしまうだろう。
 私はただ、それまで持ちこたえればいいだけだ。
 そんなふうに考えると、私はいくらか楽になった。頭痛も収まってくれていて、私は少し眠れそうだと思った。
 窓にもたれて、私は目を閉じた。その時、声が聞こえた。
 おとうさんを、ちょうだい。
 おかあさんを、ちょうだい。
 私は目を開け、前を見た。
 私は息を呑んだ。バックミラーに、運転席でこくり、こくりと頭を垂れている父の姿が映っていた。
 助手席を見ると、母も眠っている。
 私は手を伸ばして、父の肩を強く揺さぶった。父ははっと目を覚まして、私の手を振り払おうとした。何か嫌なものに捕まる夢を見ていたのかもしれない。
 大丈夫、と私は言おうとした。その時に、父の向こう側、本当は誰もいられるはずのない運転席と窓の間の空間から、あの子がぬうっと顔を出すのが見えた。父の体の向こうから顔だけ突き出し、父の肩越しに私の顔を見て、そしていかにも嬉しそうに笑った。
 あの子が手を伸ばし、父の手が離れてゆらゆら揺れているハンドルに手をかける。
 私は大声を出しながら、運転席に身を乗り出し、ハンドルを掴んだ。右へ曲がっていくのを、引き戻そうとする。だが私たちの車は大きく右に曲がって行き、センターラインを超えて対向車線に入って行った。向こうから走ってきた大型トラックが、まっすぐ突っ込んでくるのが見えた。
 そのトラックの、フロントガラスで動くワイパー。私たちの車に気づいて、驚愕の表情を浮かべるドライバー。そういったものがありありと見えた。まるでスローモーションのようだったが、それはすべて一瞬の出来事だったのだ。
 父も私も悲鳴を上げる暇はなかったし、母が目を覚ます暇もなかった。
 すさまじい衝撃が私たちを襲い、私たちの車は激しく壊れながら弾き飛ばされていった。

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#創作大賞2024 #ホラー小説部門


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