見出し画像

空き家の子供 第11章 現在・冬(6)

第1章へ / 第10章へ / 第12章へ

第11章 現在・冬(6)

 祖母の遺体は通夜の会場である葬儀社の会館へ運ばれていった。母に続いて父も帰宅し、私たちは父の運転する車で会館へと移動した。運転席に父、後部座席に母と私。助手席にはお通夜と葬儀のための着替えを入れた大きな鞄が積まれていた。
 年末に向かう時期、道路はひどく渋滞していた。父はイライラと体を揺すりながら、何度も大きなあくびをした。
「大丈夫?」と母が聞いた。「着いたらしばらく昼寝する?」
「大丈夫。今日明日はきばるさ」
 父は答えた。が、また大きなあくびが出た。
「夕べに限らず、あんまり眠れてないんじゃないの?」と母が言った。
「まあな。どうも最近、変な夢を見て……」
 私はドキッとした。おずおずと、私は聞いた。
「どんな夢?」
「うーん、あんまり覚えてないんだけどな。なんだか、誰かに呼ばれるような。誰だろうな……」
 まさか。私は首を振って、余計なことは考えないようにした。そうでなくても、心配事が多過ぎるのだ。
 年末の渋滞の上に、ぽつぽつと雨も降ってきた。空き家の跡を見に行ったあの日を思い出すような、細かい、静かな雨だ。気温は下がっているようで、窓は白く曇ってきた。
 父はエアコンを操作して、フロントガラスの水滴を払った。
「聡子も、あまり眠れていないんじゃないのか?」
 またドキッとする。
「顔色が悪いし、目の周りに隈ができてるぞ。ずいぶんやつれた感じがする」
「それは…」
 私は言い訳の言葉を探した。
「それはだって、仕方がないでしょ。おばあちゃんが死んじゃったんだから」
「聡子はおばあちゃん子だったからね」と母が言った。
「確かにな。小さい頃は、何かとおばあちゃんにかばって貰ってた印象があるな」父が言った。「大きくなってからは、そうでもないような気もするが」
「まあ、そんなに悲しまないで。おばあちゃんも、苦しんだり、長く辛い思いをしなくて済んで、むしろ良かったのよ」
 母が私を慰めたが、私にとっては見当違いだった。別に、祖母を悼んでやつれた訳じゃない。
 ずっとあの子につきまとわれて、疲れ切っているだけだった。
 私は頭を押さえて、目を閉じてこめかみの辺りを指で揉んだ。不眠と長い緊張のせいで、頭がずっしりと重かった。時々響くような頭痛もやってきた。
 いつまでこれが続くんだろう、と私は思った。
 いつになったら、あの子は存在を終えて、この世から消えてくれるんだろう。

 お通夜は、国道沿いの会館で行われた。エレベーターを昇って、二階の会場。次々に訪れる人々に、私は両親と一緒に頭を下げて迎え続けた。
 祖母の友人らしきお年寄りたちは、私を見て一様に驚いた。
「まあ、聡子ちゃん? 大きくなって」
 私の側はそれが誰かほとんどわからなかったので、ただ曖昧な表情を浮かべているしかなかった。
 目の下の隈が、いいように働いてくれた。皆は私のやつれた顔を見て、そんなに悲しむなんてと同情してくれた。泣き出す人も少なからずあった。
 お通夜が始まる。僧侶が読経をして、皆が焼香に並ぶと私たち親族は挨拶に立った。機械的に頭を下げていると、大塚がやってきているのに気づいた。
「気を落とさずに。疲れすぎないようにな」と大塚は言った。
「どなた?」と隣りで母が聞いた。
「会社の人」と私は簡潔に答えた。
 お通夜が終わり、別室で食事ということになった。同じ会館の別の階へ、ぞろぞろと移動する。お寿司の桶が並び、瓶ビールが振る舞われた。母に促され、私も瓶を持って動き回らなければならなかった。
 自分自身、ぶり返す頭痛に耐えながらも、私は横目で父の様子をうかがっていた。父も具合が悪そうだった。いかにも疲れたふうで、笑顔にも力が入っていない。あの子が、父にまでちょっかいを出しているのだろうか……と私は思い、不安を覚えた。
「聡子、どなたか見えてるわよ」と母が言った。「あんたの友だちじゃない?」
 遅くに弔問に訪れる客に気づくことができるよう、食事の会場にはモニターがあって、別のフロアにある通夜会場を映していた。見上げると、黒いスーツのがっしりした体格の男が一人、誰もいない会場にやってきている。少し考えて、思い当たった。慶太だ。
 少し面倒臭さを感じながら、私はエレベーターに乗って会場へ向かった。
 エレベーターが着いて、椅子だけがずらりと並ぶ無人の会場に出る。焼香をしていた慶太が振り返った。
「ああ……どうも」と慶太。私も「どうも」と言った。
 よそよそしく、お互いに頭を下げて挨拶をする。この度はまことに……。ありがとうございます……。
「来てくれるとは、思わなかった」
「まあな。近所のことだからな」
「顔見知りだっけ? うちの祖母と」
「……いや。別にそういう訳じゃないけど」
 慶太は常に私から目を逸らし気味にしていたが、あらためて私の顔を見ると、言った。
「ずいぶんやつれたな」
「今日はみんなに言われてる。おばあちゃんが死んで落ち込んでるからだって、みんな納得してくれるけど」
「本当はそうじゃないんだろう?」
「うん。あれからずっと、あの子につきまとわれてる。昼間もずっと近くにいるし、夜も眠れない。まあ、慶太くんは私の自業自得だって言うんだろうけどね」
 慶太は目を逸らした。
 祭壇の方へ歩いて行って、祖母の写真を見上げた。しばらくそれを見ていたが、違うことを考えているようだ。
 その背中に、私は問いかけた。
「なぜ会いに来たの? 私のことが嫌いなんじゃなかったの?」
「ああ、嫌いだよ」振り向きもせず、慶太は言った。「あれからずっと、嫌いだった。お前の顔は、見るのも嫌だった。でもな……」
 慶太は振り返り、落ち着かなげに体を揺らしながら、続けた。
「あれから十五年、俺はずっと空き家を見張っていた。隣に住んでりゃ、どうしてもそうなる。でも、俺は一度も何も見なかったよ。声も聞かなかった。なあ、空き家の子供なんて本当にいるのか? 本当は何もいないんじゃないのか?」
 言って、私の方ににじり寄ってくる。私は思わず後ずさった。
「何もいないなら、今私を追いかけてくるのはいったい何?」私は言った。「空き家があるうちは、あの子はずっと奥の方に引っ込んでいたのよ。だから見えなかっただけだと思う。空き家が壊れて、あの子は外に出てきてしまったの」
「子供を見たのか? それはつまり……」
「あの子よ」と私は言った。「それはもう、私を恨んでる。今回はどうやら、あの子は私を殺す気みたい」
 慶太は大きな溜め息を吐いて、疲れたように会場の椅子を引いて腰を下ろした。
「俺はもう、どう考えればいいかわからなくなってるんだ」慶太は言った。「お前が憎いという気持ちもある。だけど、あの夏のことに関しては、俺にも責任があるんだ。平井を巻き込んだのは、俺だからな」
「そうだっけ?」
「そうだよ。空き家に入る方法を教えたのは俺だ。俺がいなければ、あんなことにはならなかったんだ」
「そんなに責任を感じる必要はないんじゃないかな。慶太くんには関係のないことなんだから」
 苦々しい顔で、慶太は笑った。「お前が俺を慰めるのか」
 私も笑った。「そうだね。変だね」
 しばしの沈黙を挟んで、「じゃあ、帰るわ」と慶太は言った。立ち上がり、ずれていた椅子を列に戻す。
 エレベーターに向かう彼について歩きながら、私は言った。
「空き家のことなんか気にせずに、どこへでも行けばよかったのに」
「そうしたかったよ。でも、できなかったんだ」
 ポーン、と音が鳴って、エレベーターの扉が開いた。
「じゃあな」
「うん」
 私の前で扉は閉まり、慶太は帰っていった。
 彼も空き家の子供みたいなものだ、と私は思った。空き家に囚われて、そこから出られないでいる。あの夏から十五年、ずっと囚われたままなのだ。

第12章へ

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?