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オッペンハイマーとゴジラの奇妙な因果関係

第96回アカデミー賞では、日本の『ゴジラ-1.0』が受賞され、話題を呼んだ。
 
監督である山崎貴は、同じくアカデミー賞を受賞したハリウッド映画『オッペンハイマー』を拝見して、本作のアンサー(解答)となる映画を、日本人としては作らなければならないとコメントしていた。
 
『オッペンハイマー』は、原爆を開発した科学者であるロバート・オッペンハイマーの半生を語った映画であり、監督は、『ダークナイト』三部作や『ダンケルク』で有名な、クリストファー・ノーランである。
 
広島や長崎に原爆を落とされた日本としては、確かに『オッペンハイマー』の解答となる作品を制作したいところである。しかし、『オッペンハイマー』の解答にふさわしい作品は、1954年に制作され、ゴジラシリーズの原典となった『ゴジラ』ではないかと思う。
 
『ゴジラ』は『オッペンハイマー』の、数十年も前に制作された作品であるが、なぜ、『オッペンハイマー』の解答と言えるのだろうか?
 
それは、両作品には奇妙な因果関係があるからである。


ゴジラとは?

『ゴジラ』は今日まで続く、怪獣映画の傑作で、米国でも制作されるほどに世界レベルで人気を得ている作品である。
 
シリーズの原典となった『ゴジラ』は、本多猪四郎が監督を務め、特撮を円谷英二が担当した。円谷英治は、後に「円谷プロダクション」を設立し、『ウルトラマン』を手がけるようになる。
 
ゴジラは、海底奥深くに住んでいた古代生物で、1954年に、ビキニ環礁で行われた「キャッスル作戦」という水爆実験の影響で突然変異して怪獣となり、日本に襲い掛かってくるという物語である。
 
尚、『ゴジラ-1.0』は1946年に行われたクロスロード作戦に変更されている。
 
本作は、この水爆実験の影響で起きた「第五福竜丸事件」が元となっている。第五福竜丸というマグロ漁船が、キャッスル作戦に巻き込まれ、乗組員が被曝してしまうと言う痛ましい事件である。『ゴジラ』本編で、「原子マグロ」という単語が出てくるのは、この第五福竜丸事件を意味している。
 
又、『ゴジラ』は、怪獣映画でありながら、記録映画的な重厚感のある内容となっているのが特徴である。
 
これは、監督の本多猪四郎が、ゴジラの恐ろしさを表現するのに、ドキュメンタリータッチ、すなわちモキュメンタリ―として描写するのが最適と判断したためである。
 
さらに、本作で登場する、ゴジラを倒すために使用される未知の化合物「オキシジェン・デストロイヤー」が、原爆や水爆に代る新たな破壊兵器となることを懸念し、発明者である芹沢博士が苦悩する場面がある
 
そのため、『ゴジラ』は、単なる怪獣映画というだけでなく、科学とは何なのかを問いかけるような物語となっている。

水爆とは?

ゴジラを生み出した水爆は、映画『オッペンハイマー』にも登場する、エドワード・テラーが開発していた。
 
核分裂で製造される原爆に対し、水爆は核融合で製造され、原爆よりもはるかに強力な力を持っている。そのため、オッペンハイマーは水爆をつくることには反対しており、オッペンハイマーとテラーは、水爆の製造をめぐって対立してしまう。
 
作中では、オッペンハイマーとテラーが、いがみ合うような場面は見受けられなかったが、両者の対立を暗示させるような場面はあった。
 
そして、オッペンハイマーの意に反して、米国は水爆の開発に着手しはじめた。この時、ソ連が核を保有しはじめていたためである。ソ連だけでなく、イギリスやフランスも、核の開発に乗り出していった。
 
そのため、米国では『ゴジラ』誕生のきっかけにもなったビキニ環礁で、幾度も核実験を行うようになる。
 
それは、世界各国が核でにらみ合いをするという、東西冷戦の幕開けを意味している。

敵を倒すために作られた兵器

オッペンハイマーが原爆を製造したのは、ナチス・ドイツを倒すためであった。兵器とは、いついかなる時でも、敵を倒すために製造されている。
 
ナチスは、世界で猛威を奮っていただけでなく、核分裂を発見していた。そのうえ、後のミサイルの原型ともいうべき、「V2ロケット」も開発していたため、核兵器を生み出すことを危惧していた。
 
オッペンハイマーはドイツに留学していた経験があり、映画では、彼がV2ロケットを目の当たりにする場面がある。本当に目の当たりしていたかどうかは定かではないが、おそらく、クリストファー・ノーランは、核ミサイルの誕生を暗示させるものとして、この場面を入れたのではないかと思われる。
 
一方、前述したように、映画『ゴジラ』で、オキシジェン・デストロイヤーという、未知の化合物である。オキシジェン・デストロイヤーは、作中の重要人物である芹沢博士が偶然発見した未知の化合物であり、芹沢博士は、当初、この化合物を平和利用するために研究していた。
 
だが、ゴジラの被害に苦しむ人々を見捨てることはできず、オキシジェン・デストロイヤーをゴジラを倒すために兵器として使うことにしたのだ。
 
『ゴジラ』は多くの続編が制作されるものの、オキシジェン・デストロイヤーは、この時一回しか登場していない。
 
制作者である芹沢博士は、自らの命を絶つことで、オキシジェン・デストロイヤーの秘密を守り通したからだ。

政治、権力

オッペンハイマーの原発は、結果的にナチスには使用されなかった。ナチスが降伏したためである。そのため、米国はターゲットをいまだに戦い続けていた日本に向けた。
 
ただし、米国は日本を倒すために原発を使用すると言うよりは、後の敵対国となるソ連への牽制のために使用したようである。つまり、米国は、戦争を終わらせるために原爆を使用したのではなく、次なる戦争に備えていただけであった。
 
オッペンハイマーが発明した原爆は、徐々に己の思惑とは違う方向に向かって行き、とてつもない悲劇を生んで行った。
 
さらなる力を求める米国は、水爆実験に踏み切った。そして、その水爆がゴジラを誕生させ、日本にさらなる脅威を降り注ぐことになる。
 
芹沢博士は、オキシジェンデストロイヤーを使ったら、世界中の為政者が黙っておらず、この発明品を兵器として扱うことになるだろうと言った。
 
それは、まさしく歴史が証明している。原爆から水爆へと移り変わっていったのが何よりの証拠であり、そして、映画『オッペンハイマー』でも表されていたように、当時はソ連に原爆の情報が流れていたのだ。
 
やがて、世界各国が核ミサイルで牽制し合う冷戦時代に突入していくのだが、そこへ核を超越した生物であるゴジラを倒したオキシジェンデストロイヤーの存在が、世界各国のパワーバランスを崩してしまうことは、想像に難くなかった。

政治と権力が科学と結びつくと、恐ろしいモンスターとなる。50年代から70年代にかけて、怪獣がブームになっていたのは、人類はそうした怪物と隣接して生きているのだということを、暗示しているようにさえ思える。

怪物となる英雄

原爆を開発したオッペンハイマーは、一躍時の人となる。しかし、オッペンハイマーは、自身の原爆により、日本で無数の死傷者が出てしまったことに心を痛めていた。
 
そうした博士の内面を知らず、世間は彼を英雄として祀り上げた。しかし、英雄は見方を変えれば、忌まわしい怪物そのものであった。オッペンハイマーは、原爆という怪物を作り上げてしまったのだ。
 
ルーズベルト大統領と面会したオッペンハイマーは、自分の手は血で塗られていると発言をし、大統領は、彼を泣き虫となじった。米国は、彼のセンチメンタルな感情を切り捨て、全てを蹂躙する力を選択したのだ。
 
世界大戦を終わらせた原爆は、米国を、そして原爆の情報を手に入れたソ連を新たな脅威と変貌させ、そして、両国は世界を東と西に分ける冷戦へと向かって行った。

そして、米国は、もはや戦争を終わらせた英雄国ではなく、ソ連共々、核という力を持った、恐ろしい怪物になり果ててしまったのだ。
 
東西冷戦は、核と言う恐ろしい力で牽制し合う戦いでもあった。一つ歯車が狂えば、崩壊する世界。冷戦時代に、米国でシェルターが多数つくられたのを鑑みればその恐ろしさがわかる。
 
ローマ皇帝のネロ、ロシアの雷帝イヴァン、最初は英雄として称えられたにも関わらず、独裁者や暴君となってしまった者は多い。あのヒットラーも、最初は英雄と言われていた。

神話の世界で、怪物となったのは、独裁者や暴君と呼ばれていた者ではないのか?
 
前述したように、芹沢博士は、原爆から水爆、そして水爆からゴジラが生まれ、そのゴジラをオキシジェン・デストロイヤーが倒したら、世界は果たしてどうなってしまうのかということを危惧していた。
 
そして、怪物を退治した英雄は、恐ろしい怪物へと変貌していくのではないのかということを、芹沢博士は問いかけているようにも思える。

科学と言う禁断の果実

映画『オッペンハイマー』で気になる場面がある。オッペンハイマーがケンブリッジ大学にいる際、師であるパトリック・ブラケット教授に、毒リンゴを食べさせようとする場面だ。

幸い未遂で終わったが、これは完全なフィクションであり、オッペンハイマーの孫は、この場面について否定している。
 
実は、ケンブリッジ大学に在籍していた頃、オッペンハイマーは、コルシカ島に遊びに行った際、ブラケットの机の上に置いてきたのが気になると言って、ケンブリッジに一足先に帰還したの逸話があり、おそらくは、これが由来となっているのではないか。
 
『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』を執筆した藤永茂によると、リンゴは、英語圏だと色んな表現、隠喩として用いられるので、オッペンハイマーは、何かパトリック・ブランケットの机の上に、まずいものを置いてしまったのではないかと言っている。
 
映画としては、毒リンゴをいかなる意味で出したのかは不明であるが、実は、パトリック・ブラケットはイギリスの物理学者であり、後にノーベル物理学賞を受賞するほどの人物である。

そして、イギリスにおける原子爆弾計画にも参加していた。つまり、パトリックは、オッペンハイマーから禁断の果実、すなわち知恵の果実を食わされたと言う意味にも見受けられる。
 
つまり、毒リンゴとは禁断の果実の隠喩であったのだ。
 
『ゴジラ』には山根博士という生物学者が登場するが、彼は、ゴジラの危険性を目の当たりにしながら、未知の生命体であるゴジラに魅せられてしまう。

その姿は、映画『オッペンハイマー』で、原爆や水爆の力に魅了される、科学者や軍人たちと、どこか似通っている。
 
又、ハリウッドが制作したゴジラ映画『キング・オブ・モンスターズ』では同名の兵器が登場し、ゴジラシリーズ22作品目となる『ゴジラVSデストロイア』では、オキシジェン・デストロイヤーに近い力を持つミクロオキシゲンが登場する。
 
これは、時代が進むにつれて、オキシジェン・デストロイヤーに近い力を、人類が手にしてしまうことを示唆しているように思えてならない。
 
科学と言う知恵の果実を食べた者は、たとえ忌まわしいとわかっていても、その知恵で恐ろしい力を作り出すことを、やめることができないのかもしれない。
 
原爆やオキシジェンデストロイヤーを開発したオッペンハイマーや、芹沢博士は、己の作り出した発明品によって苦悩することとなる。禁断の果実を食べて、恥と言う概念を持ち、苦悩するようになるアダムとイブのように。
 
そして、その苦悩の種は、世界各国に広まっていくことになったのだ。

監視される科学者

オッペンハイマーは原爆を開発したという後悔から、核開発を反対する立場となったのだが、そのためにソ連へのスパイ容疑をかけられてしまう。その後、彼は、国家から監視されるようになるのだが、その姿は、芹沢博士が辿るもう一つの姿のように思える。
 
冷戦下の時代において、日本も赤狩りが行われていなかったわけではないからだ。
 
芹沢博士は、ゴジラを倒す前に、オキシジェン・デストロイヤーの資料もすべて焼き払っていたが、自分自身の頭の中には、すべて記憶していた。

そのため、芹沢博士は、オキシジェンデストロイヤーを使用した後、自ら命を絶ってしまう。自分自身の発明品を悪用されないために、頭の中にあるオキシジェン・デストロイヤーの製造法を闇に葬ったのだ。
 
そして、前述したように、ゴジラを倒すほどの発明品を、国家や世界が黙っているはずがない。芹沢博士がもし生きていたら、拘束されるか、もしくはオッペンハイマーのように監視されるようになるだろう。
 
人類に火を与えたために、神々から磔にされたプロメテウスのように。

世界にばらまかれた導火線

かくして、核の力を解析した科学に世界各国は魅せられ、多くの国々は核の力を持つこととなった。日本も核兵器こそもたないものの、原発を保有している。
 
『ゴジラ』に登場する山根博士は、映画の最後でこう述べる。
 
「あのゴジラが、最後の一匹とは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかに現れるのかもしれない…」
 
これこそ、映画『オッペンハイマー』の解答ではないか?核に魅せられた人類は、核を作り続けて、世界各国に導火線をばらまいて、恐ろしい怪物を作り続けていく。そして、人類は核と言う怪獣と共存していかなければならない。
 
オッペンハイマーは、1954年にスパイ疑惑をかけられ、聴聞会で追及を受けることになる。後のオッペンハイマー事件である。映画『オッペンハイマー』は、この聴聞会の場面からはじまり、彼の過去を手繰るようにして、物語が進行していく。
 
そして、1954年は『ゴジラ』が放映された年でもある。
 
『オッペンハイマー』にとって『ゴジラ』とは、過去であり、現在であり、未来でもあるのだ。

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