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苦労噺②

さて、前回も書いた通り私はシェアハウス暮らしに慣れている。学生の頃2年ほど別のシェアハウスに住んでいたのだ。例によって金欠だったのである。

そのシェアハウスは大体20人ほどが住む中規模のハウスで、私を含む数名が学生であった。
私が住んでいたのはドミトリーであり、一部屋に8名ほどが住んでいたと思う。カプセルホテルのように上下2段に限られており、それが4列ほどあった。
それぞれに与えられた区画は1畳程度であり、立ち上がることもできない程度の高さしかなかったが、作りが丁寧で、個人のスペースはある程度保たれていた。狭い巣穴か映画かなにかのセットに住んでいるようで、私は大変その場所を気に入っており、工夫を凝らし住みやすく整えるのが日々の楽しみであった。

共用スペースには広めのキッチンとリビング、シャワーなどがあった。
リビングでは酒やそれぞれがキッチンで作った料理を持ち寄って小規模な飲み会をしたり、学生同士で励まし合いながらレポートを書いたりした。あれは確かに青春であったと思う。
仲良くしてくれる社会人のお姉さんもいて、人生や仕事についての話をした。そしてなによりオーナーさんが優しかった。
訳あって卒業の前には出て行ってしまったが大きなトラブルもなく過ごし、またいつか帰りたいと思っていた。

そんなわけで、私はシェアハウス暮らしには良いイメージを持っていた。

少し脱線するが、私は学生時代ゲストハウスを泊まり歩いてひとり旅をするのが趣味であった。
夏休みなど長期休みになると18きっぷを片手に1週間ほどバイトの休みを取り、その日の気分でふらふらと電車に乗ってどこを目指すでもなく動き回った。
ゲストハウスは大抵ドミトリー形式であり、見知らぬ他人と部屋を共有していたが概ね居心地は良く、何より安かった。幸い盗難などのトラブルにも合わず、金欠の学生にも穏やかな旅を保証してくれた。
シェアハウスというと他人との生活に耐えられないという人も多いと思う。私もそうであった。しかし旅行を通じて案外全く知らない他人とであれば割り切って暮らせるかもしれないということに気がついた(かえって知っている人の方が甘えが出たりするような気がしている)。
そんなわけでゲストハウスに鍛えられた私はドミトリーのシェアハウスに移り住んだのである。

さて、話を戻そう。
運良く空いていたシェアハウスで、私はまたドミトリーを選んだ。今度は2段ベッド形式で、本格的なドミトリーであった。
ありがたいことに机が個人に用意されていたが、自習室を借りて勉強スペースは別に確保した。
働きながら勉強をするという環境はばっちり整ったのである。

待ちに待った入居の日、私はリビングをそっと開けた。

続く

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