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高校球児坊主解放史

遡れば、正岡子規がベースボールを野球として輸入したところから始まる。
野球は坊主なんだと。
正岡子規が禿げていたからである。
その信仰が平成時代まで信じられた。令和に入り多少は崩れ始めたが、日本人特有の同調圧力により何となく殻を破れずにいた。坊主禁止とする高校が甲子園で優勝してもそれは変わらなかった。型にはまった短髪でほぼ統一されていたからである。
高校野球以外は個性の時代、ジェンダーレス、多様性、LGBTなど統一美から解放しようというキーワードで溢れていたが、なぜか高校野球の鎖国状態だけは変わらなかった。或いは、選手自身が洗脳状態だったのかもしれない。
その硬直化した状況を打ち破ったのは意外な人物だった。
元サッカー選手の北澤豪氏である。
全国高校野球連盟理事長が相次いで不祥事を起こし突如人材不足となり、彼が新しい風を入れるという合言葉の元で就任に至ったのである。
北澤氏は現場視察をしてすぐに愕然とした。
なぜ全員坊主なのかと。
そう。彼は全く野球文化を知らなかったのである。
随行した副理事は当時を振り返り「王様は裸だ。と聞こえた」と表現した。
そこからは急速に高校球児の髪型にソバージュが推奨され、それはおかしいという勢力が発生し、以降は、現在よく知られている高校球児髪型戦国時代に突入し、現在に至るという状況である。
やっと髪型など気にせず野球ができる時代が来たのである。

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