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【随想】恩送り
最近は、恩返しよりも「恩送り」という言葉を聞くようになった。
受けた恩を「返す」のではなく、別の人に「送る」という意味だ。
確かに、恩を与えることのできる人は次のステージに行っている感じがするので、
上流の人に遡ってまでして返すよりも、流れに従って「送る」のが自然なのかもしれない。
かくいう私も、親の恩を返したかと言えば何の言葉も出ないが、
親から言われたことで覚えているのは、「経済的に自立できれば十分親孝行」という言葉だ。
確かに、私も子どもに対して独立してくれたら十分だと思うし、
もし、独立できなかったとしても、家族単位で幸せであれば◎だと思う。
むしろ、経済的云々よりも幸せになってほしいという気持ちしかない。のかもしれない。
私は親としては少し頭のネジがアレだからかもしれないが。
とにかく「親の恩」を返してほしいなんて気は全然ない。
むしろ、与えられてさえいない。
(すまん我が子。)
今まで生きてきて、友だち、職場の同僚などたくさんの恩を受けてきたと思う。
しかし、自分に余裕がなく恩を受ける「受け皿」が割れ、
恩とさえ認識できなかった時期も長いことあったと思う。
今思うと、良い出会いをみすみす逃したこともあったと思う。
人はつい、1%の良くない方に目が行きがちだが、99%の日々のなんでもない営みをしっかり味わい、その価値を噛み締めることが「恩の受け皿」を育てる第一歩だと最近感じている。
そして家族。
一番大切で毎日たくさんの恩を頂いている。
一瞬でもスマホを置いて、目を合わせて話を聞く。(ただし、この際決してコメンテーターになってはいけない。)
これで十分恩返しだと思う。ようにしている。
恩送りは、貧乏だからという訳ではないが、
決してお金やモノではないと思う。
良い気持ち、笑顔、仕草、ちょっとした動き、励まし、スキンシップ、ときには言葉などが「恩の中身」だと思う。
そして、自分が思い出せる範囲の受けた恩もお金やモノではなかった。
結果としてお金やモノだったこともあるが、それは副次的なものである。
むしろ、お金やモノ「だけ」を贈るのはあまり好ましくない。
何故なら、自分が受け取ると考えたとき、まず、「お返しはどうしよう」と考えてしまうからだ。
そこに気持ちが乗っていないとやはり、「恩着せがましい」気持ちに私はなってしまう。
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