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自分のことを知られたくないくせにエッセイを書く

おはこんばんにちは。

初の投稿は前回の自己紹介だったわけだが、本格的な投稿というのは今回が初となる。

最初に何を書くか考えた時に、
そもそも私は、自分の考えを書くとは言ったものの、私自身が自分のことを理解していないし、なんなら他人にも心の中を見られたくないような人間なのに、なぜエッセイを書こうと思ったのかと自分で自分に引っかかってしまった。
そこで改めて自分について問いかけてみることにした。

自分を知られることの怖さ

自分を知られるのって怖い。
少なくとも私にとっては。
自分の性格や考え方が露呈するような発言はあまりしたくない。普段の生活ではその辺に細心の注意を払って生活している。まあもちろん完璧にこなすことはできないので喋っちゃう時もあるけど。

好きな映画や音楽について話すのは好きだけど、一番好きなものとか、なぜそこまで好きになったのかとか、深い話になればなるほど口を閉ざしてしまう。
例えば音楽だったら、私はスピッツが世界で一番好きなのだが、だからといってあまりスピッツのことを話したくない。それは私の殆どがスピッツで出来ているから、スピッツについて話すことはつまり私自身について話すことになるからだ。

自分を知られることで何が怖いのか。
私の場合、人から嫌われるかもしれない、期待を裏切ってしまうかもしれない、という怖さがある。
私はこういう人だと断定してしまうと、私と違う人は確実に私と分かり合えない。それだったら、自分を固定せずに、柔軟な回答をしておけば無駄な対立を回避できると思っている。もし聞かれたとしても、角が立たないような、内向的で聞き上手とかいう言葉に逃げる。
また、私はこういうことが好きで得意だと言うと、実際に他人がそれを見た時に、悪い意味で期待を裏切ってしまうのではないかとヒヤヒヤしてしまう。

しかし、大学に入って、同じような考え方の人や同じようなものが好きな人が周りに多くいる状況になり、皆から好かれることの不可能さというものを学び、前よりもその部分は気にならなくなった。
だがやはり、期待を裏切ってしまうかもしれないという恐怖は今でもずっとある。

なぜ思考を晒すのか?

では、なぜエッセイという形で自分の思考をネットの海に流そうと思ったのか。

それは、思考はたくさんの参考資料の上で成り立つと思うからだ。

考えることは、人であれば誰でもすることだ。
でも、たどり着く結論はみんな違う。
それは当たり前のことで、誰が悪いと言うことでもないと思う。
重要なのはその後だ。その考えを自分の中だけに留めるのではなく、たくさんの人の考え方を見たり聞いたりすることで、より磨きのかかった思考にたどり着くことができる。多くの他人の意見、つまり多くの参考資料を読んだ人は、多角的に物事を捉え、本質を掴むことができるのではないか。

私の考えがその参考資料の一つになればいいなと思って、このノートを始めようと思った。

自分を知られるのは怖いと言ったが、それは現実の世界の話であって、ここは広い広いネットの海だ。私の生活に直接影響が及ぶことは少ないだろう。たぶん。
だからこのネットという匿名性を有意義に使って、普段では言えないことをここで吐き出そうと思った。

正直この投稿も何度も消しては書き直し、消しては書き直しを繰り返してやっと投稿に至っている。ネットでさえ少し怖いのだ。
まだ自分の考えを言葉にすることに慣れてないが、少しずつ届けていけたらいいなと思う。

それでは、また。

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