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【小説】日本の仔:第26話

【坂本 茉莉】(徳永テンスチルドレン)
『真の修行とは 如何なる状況であっても 生きている 生かされている奇跡に感謝して 全力で取り組むこと』
「何ていい言葉なんでしょう。この言葉がある限り、毎日の苦行も大したことないと思えるわ。全ては修行の一環、魂を鍛え上げるのです」

 いつものお母さんの朝のお話が始まった...
 ここは、東京都檜原村にある、とあるお寺。
 私はこのお寺の一人娘として生まれた。
 お父さんは私が小さい頃に病気で亡くなったらしいけど、全く姿を覚えていない。
 なぜか写真も一枚もない。
 そんなことってある?

 今の世の中、どっかしらに写真が残ってるもんなのに。
 ネットでちょっと検索すれば、その人の一生も引き出せるくらい情報が溢れているのに。
 まあ、うちにはネットに繋がる物は何一つないんだけどね。

 お母さんは、何でも苦労することが美徳と考える人なので、辛ければ辛いほどありがたいと思っちゃう、所謂ドM。
 そんなことで、ずっとお母さんと住職であるお爺ちゃんとの三人暮らしは、檀家さんの対応で時折忙しくなるくらいの日々なんだけど、お母さんはとても厳しい人で、私は子どもの頃からお寺のあらゆる事を手伝わされ、友達と遊ぶ暇もなかった。
 ちょっとミスをするだけで夜外に出されて、朝まで家の中に入れてもらえないこともよくあって、雪が降っている夜は、外にある便所に逃げ込んで、凍え死んじゃうかと思ったこともある。
 そんなうちってある?

 ちなみに檜原村は東京の西の外れにある、東京都唯一の村。
 人口は2,000人くらいで、何十年も前からほとんど変わってないらしい。
 これは実はすごいことらしくて、東京都の中で人口があまり減ってないのは檜原村だけだそうな。

 今では当たり前だけど、私が生まれる前に人工知能が急激に発達して、人口が減ってもあまり困ることがなくなり、経済発展に益々力を注ぐことになった日本は、ピーク時に1億2000万人を超えていた人口が8,000万人まで減り、60歳以上の高齢者の比率が40%を超えた。
 そんな中、ほとんどの仕事は自宅で行えるようになり、余裕のある人はある程度地方を好んで住むようになった。

 檜原村はほとんどが中山間部で、平らな土地はほとんどないし、道がクネクネと走っていて、クルマや徒歩で移動するには不便なところなんだけど、今はドローンユニットが使えるから、何の不便もない。
 いざとなれば、東京の都心へも数十分で飛んで行けるから、自然が好きな都会人に人気がある。
 なのに、私は修行の一環として母からクルマの利用を禁じられ、バスにも乗れなかった。

 小学校も6kmの山道を徒歩で通い、中学校もほとんど同じ場所に自転車で6km、今通っている高校は自転車で20kmの距離を毎日通学している。
 それも1年生の時はママチャリだったので、毎日3時間を通学時間に取られた(行きはほとんど下りで1時間、帰りは2時間)。
 実はその事を知られて、入学してすぐに高校の自転車部に猛烈に勧誘され、部長センパイがちょっとイケメンだったこともあり、まんまと入部。
 結局入部したのは男子が6名と女子が私ともう一人の計8名だったんだけど、もう一人の女子は当然ながら初心者で、ロードバイクはおろか、自転車もあまり乗ってないという。
 なぜそんな娘がというと、彼女もイケメン部長センパイが気になったらしい。
 しかし、彼女はあまりの練習の辛さに2回目以降二度と姿を現さず、男子もすぐに半分になった。
 そんなに練習、辛いかなぁ?

 最初は借り物のバイクだったものの、そのあまりの軽さ、速さに感動して、コンビニでひたすらバイトに励み、遂にマイバイシクルを手に入れた。
 GIOS LEGGEROマットブラックエディション。
 コンポはシマノのアルテグラ2×12s。
 カセットスプロケットはトルク重視の11-25T!
 GIOSはGIOSブルーと呼ばれる特徴的な青色のフレームが有名だけど、マットブラックに青のラインが入ったこのモデルに一目惚れしてしまった。

 自転車は100年以上前に乗り物として完成していて、ほとんど形が変わってないらしい。
 そのあまりのカッコよさに感動して、毎日の通学、クラブの練習で乗りまくり、月に1,500km以上を走っていたら、いつの間にか部長センパイを追い抜いていた。
 部長センパイには常に前を走っていて欲しかったな...

 家のお寺と高校までの標高差は約1,000m。
 私はいつしか山岳のスペシャリストになり、色々なレースで優勝するようになった。
 中でも地元で行われる東京ヒルクライムでは年間シリーズ4戦(日の出、青梅、奥多摩、檜原)を全て優勝して、シリーズチャンピオンになった。
 優勝した時にお立ち台でやるシャンパンファイトって初めてやったけど、気持ち良くって癖になりそう。
 あれって瓶を振ってから口を指で押さえないとプシューッてならないのね。
 早くまたやりたい!

 でもちょっと不思議だったのは、私の脚って全然太くなくて、むしろモデルさんのように真っ直ぐだったこと。
 他のライバルたちの脚は太ももが私のウエスト位あって、ふくらはぎはガンダムみたいなのに。
 あ、ガンダムっていうのは大昔のロボットアニメね。
 ガンダムについては長くなっちゃうから、また今度お話しします。

 レースに出だした最初の頃は、スタート前に並んだ他の選手たちに、その脚の細さで下に見られているのが分かった。
 ふふふ、今上から目線で見た人、一人残らず潰して差し上げますわ。
 案の定、レースがスタートして登り坂に入ると誰も付いて来れなかった。
 普通、登り坂では軽いギヤを選択して、高回転(90回転位)でペダルを回すのがセオリーなんだけど、私はフロントはアウターのまま、低回転でも大概の坂は登ることができたので、他の選手とスピードのレンジが全く違っていた。
 実は東京ヒルクライムでは男子の3位の選手と同タイムだったらしい。

 その時、もしかして私って凄いのかも知れないと思い始めた。
 そんな自転車中心の生活が日常になったある日、私に手紙が届いた。

「あなたのお父さんのことでお話があります」

 え?何この手紙。
 送り元は...環境省?

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