あなたへのおすすめ(翻訳→)お前への洗脳📱🧠 民よ!自分で選べ!

どうも平成生まれの麻田カズマです。

今、音楽ってサブスクでワンクリックで聴けるようになっていますが、
僕が中学生の頃は、わざわざ3kmかけてTSUTAYAに行き、CDコーナーでジャケ買いしたり、店長のオススメとか、NEWシングルコーナー、ジャンルごとに陳列された棚があり、あれはあれで楽しかった。

まるでTSUTAYAが消滅したかのような口ぶりですが(笑) サブスクの登場で、行く人は減ったのではないのでしょうか

現地に赴いて選ぶ。外に出る理由というものがしっかりあり、きちんと『そこに実在するもの』って感覚を思い出しました。

そして家に帰った時にCDを聴けるワクワク感。
その借りてきたCDを、PCのiTunesに時間をかけてインポートする高揚感😇

映画もアニメも、今やプライムやネトフリで観れるので、この世界に外へ出る理由がまた一つなくなった(笑)と思っております。

例えば、河原で必死になって探していた昭和少年のエロ本と、今や簡単に手に入ってしまう令和少年のエロ動画👙てきな…笑 苦労しなくても手に入れられるものって現実感がない…


簡単に手に入ってしまう、餌をもらえてしまうって【家畜の豚】感があって、真に生きてる実感がないなと。
ぼくは最近回りくどく生きようと思い始めてきました。


今や人類は自由🗽を手に入れてしまい、手間暇をかけることにたいする面白さを忘れてしまっているような気がする。
簡単に手に入ってしまうのは時として、貧しい心になってしまうのではと。

労働時間が増えていくと同時に、暇を持て余す楽しみがなくなり【インスタント】で済ましてしまおうという心理になるのも無理はない。
このインスタントが大きな罠で、簡単に手に入る情報こそ【洗脳】に陥ってしまう。

メディアに操作されている人間があまりにも多く、最近にいたっては📺のみならず📱にもその😈が潜んでいる。


今やなんでも簡略化されて、文章ですら140文字以内でシェアされ、一部分を切り取りわーきゃー騒ぐ民。
わざわざ本屋に行かなくても情報はネットで入手でき、若い世代の読書離れも加速化している。

でも待てよ?!と言いたい

グー○ルも、やほーも、X🕊️も、うぃんすたも、株式会社(持株会社)

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とまあ、狂人みたくなってしまいましたが、便利なものには洗脳と広告がつきものということです。



読書もKindleで読めますが、現代はコンプライアンスと金儲けの利益主義で、世には出せない本や情報がたくさんあります。あなたへのおすすめは、翻訳すると『お前への洗脳』で、実際『余計なお世話』なのです。

現代は浴びる楽しみが多く、選ぶ楽しみを忘れてしまっている。

こんなことを言っておきながら、僕もYouTubeやネトフリやAppleMusic…。Google社に貢献しまくりで、最近ではnoteも始めましたが、これは一般小市民が人工知能にたいして徹底的に戦うという意思表示で、遊びなのです。便利なものを使いながらちゃんと選ぶことを忘れない。

真に生きるということは、意識的に選ぶということで、誰かが、何かが、他者の欠乏感を自動的に埋めてくれることは永遠にないのです。

だから病む。だから不足感がある。だから依存する。

ぼくは最近、1から2.3.4…と、順を追って10を作るということを意識していて
例えばスーパーで野菜を買うなんてのは便利ではありますが、スーパー → 野菜の、簡略化された『→』のストーリーが分からないのでそこの解像度を上げてやる

そこから僕は家庭菜園をはじめ、種を植えて苗になり、野菜が実り収穫するという生命を感じる作業を生活の中に組み込みました。

他にもコンビニのコーヒーは自動的に豆を挽いてくれるけど、あえて手挽きミルを購入したり、サブスクの会員ではありますが、アナログレコードを購入して、CDでは削られている周波帯を聴くということも実践しております

【すべてのものにはストーリーがあり、そのストーリーを感じ取れるかが鍵】


例えばスーパーで購入した魚は、誰がどこで釣ってどういう経緯で並べられているか分かりません。
自分なりの想像はできますが、やはり解像度が低い。そこで実際に釣りをやってみたり、生産者や農産地を見てみるとか、調べてみるという好奇心が大事。

昔やってたテレビの番組の【トリビアの泉】のナレーションみたく

【実際にやってみた】って脳内再生するのを週間にしています。

どんな些細なことでも、徹底的にやります。そしてその謎が分かったら、

へぇ!へぇ!へぇ!
と、頭の中のへぇボタンを
押しまくる😂

いやー。腐ったテ○ビ業界でもあの番組は良かった(唐突)


それでも解像度が低くどうしても分からないことは想像することで、より感謝の念や生きてる実感を思い出します。
ただなんとなくぼけーっと生きてる深夜のスーパーへ買い物に来たオッサンは、解像度が低い。その人の解像度は見ただけで分かります。

そうです。物事の道理を見抜くセンスを解像度といい、その人の解像度と直結する。

つまり、あなたが解像度を高くして物事を見ていると、人から見てもあなたの解像度が高く見える📸

ここが、ぼやけてる人とハキハキしてる人の分岐点です。

国民的アニメONEPIECEには覇気という概念があり、覇気はキャラクターの強さに直結します。
あれはまさに尾田栄一郎先生のすごいところで、冒険とは【実際にやってみた】という連続です。

グランドライン初期の口だけ達者な海賊ほど【海賊が夢を見る時代は終わった】と言い、酒場でどんちゃん騒ぎして、行動しません😂
空島があることを確かめないし、想像しようとすらしません。

ところがグランドラインから新世界に行きますと、とんでもない覇気の使い手だらけで【これまでのストーリー】の厚みと解像度が高く、見ているこっちもハラハラドキドキします。


冒険なんていうとものすごく大がかりに聞こえますし、アウトドア的なイメージがあります。
しかしインドアの方でも実践できることがあり、今ぼくが文章を書いてることなんてまさに解像度をあげる手法です。1から生み出す。創作。思ってることを書く。

これはぼく個人の感想ですが、根っから、絵や文章を書くことや、歌うことが嫌いな人なんていないと思います。
子どもは怒られても壁に落書きするし歌うし叫ぶし、1から生み出すことを躊躇いなくやります。

みんな大人になるにつれどこかでセーブがかかって、怒られたり変な目で見られたりすることが怖くなってしまっただけです。
その恐怖を、嫌いと錯覚しているだけなのです。

だから思い出すつもりで、1行でもいいから書いたり、ワンフレーズ小さい声で歌ったり、部屋のなかで踊ったり、心のなかで叫んだりする。下手かろうが上手かろうが良いのです。

そういう【洗脳】を解くことが鍵だと思います。
だから、インスタントではなく手間暇かけて1から作る。
自分の不足感を埋めるには、誰かから与えてもらうのではなく、自分で生み出すことです。

本日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました☺️


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