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無思想、その先にあるもの。

私には自分の考えというものがない。

世の中にはさまざまな主義思想が跋扈しているが、そのどれもに一定の共感を感じるし、限界も感じる。

まあ、政治的な思想がないというのは別に珍しいことでもないだろう。
「あなたは政治に対してどう考えてますか?」なんて街角で聞いてみても、答えに窮する人は多い。
まだ社会的に守られていて、世の中のあれこれを身を持って感じていない若者たちならなおさらだ。

私は政治的な無思想にはむしろ肯定的だ。もちろん、無知故の無思想ではなく、知識を入れた上での無思想。「中庸」であることは素晴らしい。私の好きな二字熟語だ。

しかし、私が言っている「自分の考えがない。」とはこのような話ではない。

日常レベルでも、だ。

例えば、友達と遊びに行く時、「どこに行きたい?何がしたい?何が食べたい?」という会話をすることはよくあるだろう。
こんな時、私は本当に困ってしまう。
相手が楽しいならなんでもいいと本気で思ってるし、自分も楽しい。友達は大事だ。

でも、本当は私が提案したものを否定されるのがこわくてこわくてしょうがないのかもしれない。わからない。
こわいから、自分を抑えていくうちに、自分が何を望んでいるのかさえ、わからなくなってしまったのだろうか。
べつにいいけど。

大学では、自分の考えを求められる。非常に苦しい。くるしい。
私は覚えることが得意だ。既存の考え方を、理解することだって得意だ。だから受験勉強だってある程度はできた。
でもダメだ。自分で何も生み出せない。
レポートなんてクソ喰らえ。私より馬鹿な人間が褒められる。いや、馬鹿はどっちなんだろう。
秋学期では全てテストの授業を取ってやる。

ところで、このサムネイルは、アインシュタインの死後の机の写真らしい。なんかいいなと思って保存した写真だ。アインシュタイン、いいなぁ。偉大なひと、後世に名が残るひと、かっこいい。自分はいてもいなくても、広大な世界になんら影響を与えることはない。生きる意味ってなんだろうか。

思想。思想が欲しい、アイデンティティとなるような、そんな思想。自分を貫いて、支柱となってくれるような、そんな思想。確固としてブレない、そんな思想。

プライドがない。馬鹿にされても、ヘラヘラと笑ってしまう。怒りさえ湧いてこない。いや、湧いてきたものを、無視しているんだろうか。そんな感情初めからなかったと、自分を誤魔化している。

私は、他人に自分の感じているものを見抜かれるのが嫌だ。
不機嫌になって、怒りを露わにして、「あぁ、今こいつは怒っているんだな」と思われたくない。
自分の感情は、自分だけのものだ。
でも、やっぱり、外に出さないとダメだったみたい。
自分からも見えなくなってしまった。

無思想の先には、何かあるんだろうか。
あるのは、虚しさと不安定な足元だけだ。

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