自己肯定感激落ちマン
弊社には、従業員のメンタルヘルスの維持のため、年に一、二回程度人事部と個別に面談する時間が設けられている。
職場に嫌な人はいないか?
相談できる環境か?
ストレスは溜まってない?
仕事続けられそう?
そういうことを、極めて優しい口調で質問してくれる。
有難いけど、どこまで話したらいいのか分からないし、正直面談する日のモチベーションによって受け答えの内容も変わってしまう。
最近どうも、かなり仕事に対するモチベーションが下がっている。
社会人2年目となりやっと仕事を覚えてきた中で、6月から急に係変えとなり、右も左も分からない状態で働いている。
職場の人間関係は良好だと思うし、優しい先輩や面倒を見てくれる先輩もいて、かなり恵まれていると思う。
それなのに、なぜかモチベーションは下がる一方である。
前までは、仕事へのモチベーションは人間関係が良好なら保たれると思っていたが、最近はそうでもない。
仕事中の自分に対する自己肯定感が下がりすぎているのか、働いていて全然楽しくないし、目が死んでると言われるし、朝から顔が疲れてると言われるし、一年ぶりに会った同期には一年前に比べて全然元気がないと言われた。
仕事ができない自分に対する苛々を、反省のつもりなのか、はたまた周囲へ許しを乞うための謙遜なのか、外部への疲労感で示すようになったのはいつからだろう。
「疲れた感じ」を出せば、「あいつは最近必死だから仕方ない」と許してもらえるんじゃないかと、疲労感を免罪符のように使っている気がする。
本当は、自分のことを遜るのも嫌だし、自信を持ちたいし、バリバリ仕事したいし、いつも元気な人間でありたい。
でも、小中高とまあまあ勉強もできて、器用だの優秀だのと褒められて育ち、大抵のことは難なくこなせて、大学もまあまあ優秀な国立大を卒業して、まあまあな会社に就職した私にとって、仕事が思うように出来ないということは、かなりプライドが傷つく出来事なんだと思う。
正確にいうと、仕事ができないのか、要領が悪いのか、単純に経験不足なのか、何が原因か分からないけれども、とにかく自分が思っていたほどには自分は優秀な人材ではないと気付いてしまったとき、こんなにも自分のモチベーションが下がるとは。
最近、日記によく登場している彼氏であるが、彼はかなり優秀な人である。
超難関国立大院卒(理系)で某大手広告代理店で働いていて、仕事も早いし意識も高いし頭の回転が早くて努力家で読書家で話も面白くて、それでいて穏やかで優しい。
数少ない弱点は、朝起きるまでが苦手なところと、至極普通な外見なところくらいだと思う。
だから余計に、彼と比較して劣等感を抱いているのかもしれない。
彼にとっては私なんて同じ土俵で戦う相手ではないと思うが、私にとっては彼は大きな目標であり、追いつきたいライバルみたいになっている。
話が紆余曲折してしまったけど、近頃どうもメンタルが弱っているので、ここいらで一息つきたいです。
中途半端にプライドの高い人間こそ、遅くやってきた試練にメンタルをやられてしまうんですかね。
やってらんねーな、何か面白いことないかな。
本日のトップ画像は、六本木アートナイトでもらったオノ・ヨーコさんの「夢」シールです。
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