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ひねくれ者だった私がただのコミュ障→「いい人」になった会話術

私は、自分で言うのもどうかと思うが「いい人」と言われることが多い。

今年職場を変えてからは、「真っ直ぐ健全に育ってきた感じがする」「気配りが凄い」など、身に余るお言葉をいただいている。

勿論、全くそんなことはない。ぐねぐねにねじれて育ってきた。小学6年生からヴィジュアル系バンドの世界に足を踏み入れ、大学生になった頃にはヴィジュアル系は卒業したが家に帰らない日も増え、大学は病んで1年休学。新卒の切符も捨て去った。とまだまだ闇の深い話は山のようにあるが、正直よくぞ更生しましたねと言われても否定できない…。

気がついたり、空気が読める方ではあったと思う。

ただ、それを良い形で人に返したり、誰かの負担を軽くしようとフォローをしたり出来るようになったのは、大人になってからだ。

学生の頃はそもそも人と会話をするのも怖かったし、大人と話すのはさらにもっての外だった。つまらない意地を張って尖りまくって、人を傷つける言葉も自分を傷つける言葉もたくさん吐いてきた。

そんなコミュ障の自分が少し他人に優しくなれたのは、優しさを無償で与えてくれる人たちに出会ったことが大きかったのだが、

『カウンセリングの技法を会話に取り入れたから』

というのがもう一つの大きな理由だった。

何を隠そう私は臨床心理学科、つまりカウンセラーの勉強をする大学にいた。
まぁ、その只中で心を病んで休学して自分がカウンセリングを受ける側にもなったのだが。

カウンセラー(臨床心理士)になる道は選ばなかったが、自分を実験台にして『カウンセリングの技法を会話に活かす術』を手に入れたのだ。

細かい高度な技法は、ちゃんと大学院を出て試験を受けてプロになった方々に任せるので各種書籍等を読んでもらいたい。
まぁ今回は会話術の話しなのでざっくりと。

これはあくまでコミュ障の私なりの、カウンセリングの技法を使った会話の仕方の基本です。
会話の全てをこうしろと言うわけでも、コミュ障ならばやれ!と言うわけでもなくて、会話が苦手な方のヒントになればと思って公開します。

基本はひたすらにこの二つである。

・オウム返し

・共感的受容


文字で書くと素っ気ないし、身に入らないと的を射ないものになるので、会話の中でどんなふうに使っているか例を上げながら書いていこう。


オウム返し

書いてその通りだが、相手の言っていることを繰り返して話すことだ。
これを言葉通りに受け取ってはいけないのがミソである。

悪い例)
A「昨日は疲れたんだよね」
B「へぇー、昨日は疲れたんだ」

当たり前ですけどなんかムカつきません?

「お前真面目に聞いてないやろ?!」って気持ちになります。
しかも次の会話につながりません。

オウム返しという言葉を文面通りの意味に受け取ってはいけない。

改善案)
A「昨日は疲れたんだよね」
B「昨日は何があって疲れたの?」

ちゃんと話を聞いた上で話を続ける気がありそうに聞こえませんか?


本当に普通にコミュニケーションが取れる人は当たり前にやっていることだと思うが、人との喋り方が分からなくなった私は、これを家族でも友人でも同僚でも上司でも、なるたけ怠らずにやることにした。愚直に。


どうだろう、これを応用して積み重ねていくだけでも会話が割と成立するし、話を聞いてくれる人という印象になる。

A「街で変な人に絡まれてさ」
B「どんな変な人だったの?」

こんな具合に会話は続いていくはずだ。

その話に興味があろうがなかろうが、相手が話したそうにしている部分や詳細が足りない部分を取り出して返す。

これで会話のキャッチボールは成り立つのだ!

(本当に当たり前のことだけど、意外と誰も教えてくれない)

初対面など緊張していると特に
「ソウナンデスカ…」
としか言えない元来の自分にとっては、
この応用オウム返しを身につけただけで話が続くようになった。

共感的受容

なかなか俗世間で聞かない言葉だが、こちらも書いて文字の通り。共感した上で受け止めること。

さらに改善)
A「昨日は疲れたんだよね」
B「そっか、大変だったね。昨日は何があって疲れたの?」
A「街で変な人に絡まれてさ」
B「うわぁ、それはきついね。どんな変な人だったの?」

一気に人間味が増しませんか?

そして(実際に共感していようがいまいが)受け止めるというのが、実はなかなか難しい。
頭を柔軟にし、自分自身の主義主張はどっかに避けておかなくてはならない。センシティブな問題は特にこれが難しい。そして、距離の近い相手ほど『意見』とか、『自分の場合は違う』ということを言ってしまうことが多い。
(あんまりにもセンシティブな例はアレなので、緩い内容でいきます)

よくありそうな会話1)
A「昨日役所に手続きに行ったら、3時間も待たされたよ」
B「私なんて、半日待ったのに今日は終わりって帰されたことある!」

よくありそうな会話2)
A「昨日役所に手続きに行ったら、3時間も待たされたよ」
B「お役所なんてそんなもんだよ」

1は打ち返すパターン。しかも自分の方が大変!というアピールまで入っいる。この返しでアハハと笑って成り立つ関係性や文脈なら何も言えないが、私は割と何でもこう打ち返してくる人とは、あまりたくさん話をしたいとは思えない。

2は、なくはないが、辛さを我慢しろと言われてる感じがしてしまうような。一言前に「うわー、大変だったね。でも、」とつくと多少マシというか、この人も似たような経験があったのかなと感じることができる気がする。

よくありそうな会話3)
A「昨日やる気出なくて家事サボっちゃった」
B「いや、ダメじゃん。家事くらいやんないと」

自分の価値観では絶対許せないことを言われて、否定するパターンです。さらに、追い詰められた気持ちになります。こう言う発言が多い方とも、「あっ、この人違う人種だな」って距離取ります、私は。

これが共感的受容フィルターを通すとこうなる。

よくありそう?な会話3の改善案)
A「昨日やる気出なくて家事サボっちゃった」
B「(私はどんなに疲れてても絶対にサボらないけど!)そんな日もあるよね。無理しないのがいいよ」

(実際の私はサボりまくりなのであくまで例です)
と、こんな感じ。少し打ち解けた関係であればここに自己開示(自分の場合はこうという話)を足すと、さらに人間味が出る。

よくありそう?な会話3の改善案2)
A「昨日やる気出なくて家事サボっちゃった」
B「そんな日もあるよね。無理しないのがいいよ。私もたまにはサボってみようかなー」

匙加減は関係性によりけりだが、相手に寄り添った上で多少の自分は頑張ってる感を匂わすことができている。

家族や友人など近しい人や、状況によっては意見を言うことは勿論ある。ただ、とにかく相手を否定しないで寄り添うということは気をつけるようになった。


コミュニケーションが上手い人たちを観察すると、こう言った会話を息をするようにしていることに気付く。

私は後からなんとか身につけただけなので、人工物である。天然物の人は凄い。

あとはいくつかの話題を用意しておけば初対面の人もOK。

自分のことを話たがらない人もいるので、共通でできそうな無難な話題からスタートして、様子を伺っていく。

  1. 天気の話。(「雨降りそうですね」)

  2. 持ち物の話。(「その鞄、○○ですか?」)

  3. 出身地や居住地の話。(ここまで話してくれる相手はもう少し突っ込んでも大丈夫。)

  4. 職歴や仕事の内容の話や、学生さんなら学校の話。(ここでかなり時間が稼げる。)

  5. その人のことを観察して気付いたこと。(「ロックな感じの服装ですけど音楽とか好きなんですか?」等、少し切り込み始める。)

  6. あとは飲酒、喫煙の有無、好きな食べ物、共通の趣味や考え方がありそうだったらそこを突っ込んで聞いていく。

  7. 家族や家族構成などはセンシティブな話題なので相手側が話してくるまで無理に聞かない。自分から話せる話題がある場合は自分の家のことは話す。

そう、コミュニケーションの巧みな人たちから見ればアホのように見えるだろうが、コミュ障の私はこんなアンチョコを用意をしている。
社会に出てからはこんな感じの流れで話していけば、通じる部分の多い人とは仲良くなっていけるし、あんまり通じるところがない人とは仕事の話題を膨らませておけばなんとかなるようになった。


コミュ障で社会不適合で未熟な自分が大人になるために身につけた武器、というか武装。

結果としてそれは、わたしをいい人に見せることになったし、いろんな人の話を一度は飲み込んで返すことで、受け止められる物事の幅は大きく広がった。実際、20歳の頃の自分より視野を広く持った、自分で自分を好きになれるいい人間になれてると思う。

もちろん、このコミュニケーションの取り方を身につけるまで、修行はしてきた。知らない人しかいないコミュニティに飛び込んでみたり、電話応対から始まり長時間対面で接客する仕事や、友人にカウンセリングもどきもしてきた。

一朝一夕でカンペがあれば何とかなるものでは全くもってない。

それでもどうか、コミュ障で悩んでいる人は、一歩ずつでいいから挑戦してみてほしい。

コミュニケーションは才能じゃなくて、技術だ。

失敗はたくさんするかもしれない。

こんなこと言って傷つけてしまった。
言葉で傷つけられた。
あの時こう言う言い方できてたら。
本当は優しく声をかけたいのに上手くできない。

そんな経験が積もっていけばこそ、自分の発する言葉が相手にどういう影響を与えるかに気付くことができる。

切り付けてきた相手がどんな気持ちでそれを言ってきたんだろうということを想像できるようになる。

悲しみを乗り越えたところに優しさがある。


私はいい人に見られたいと思ってこうしているわけではない。

誰かを無闇に傷つける人になりたくなかったから、自分が傷つけられた時悲しかったから、ちょっとずつでもいい自分になりたいと思って、今ここにいる。

本当のカウンセリングをしてる訳ではなくて、カウンセリングの技術を使ったコミュニケーションをしているだけなので、無闇に切り付けてくるような人には優しくできない時はもちろんある。人間だもの。

でも、こういうコミュニケーションが取れる人が増えたら、世界は少し優しくなると思うから。

溜まったキャッシュは趣味で発散しながら、地道に愚直に、なるたけ優しく生きています。


これを読んだあなたにも、優しさを分け与えてくれる人がいますように。
そしていつかあなたも、その優しさを誰かに手渡すことができますように。

誰かの何かのお役に立てれば光栄です。
最後まで学んだくださった奇特な方は、よろしければスキ!をいただいたり、この記事を紹介してくださったりすると、奇声をあげて喜びます。
最後までお付き合いありがとうございました!

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