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「生きて」

生まれ直しの予感がした今回の故郷。

高知帰省の最終日。親子2人で過ごす事ができた。
何年ぶりだろう。眠る前、電気を消して暗闇の中で母は私にぽつりと話しかけた。

「生きて」
「生きてることでしか味わえないしあわせを味わってね」

この言葉を伝えて母は眠った。
私は泣いてるのが分からないように眠ったふりをした。この涙の意味を問いかけていた。

幸せを願われたり、頑張れと言われたり、応援されたりはあったけれど、「生きて」と言われたことは人生で、初めてだった。「生きて」と誰かに願われたことが、口に出された事が初めてだった。それはおそらく人の営みにおいて当たり前の大前提であり、それを土台として人生を創造していくからだ。「生きて」この言葉が私の胸や深い部分に浸透していくのは、生きるとコミットしてどこか力が入りすぎていたから。それは随分前からで幼い頃からだったように思う。それはいつしか生きなければになり、生きる事自体に自由を感じることより、気負い制限を感じるものとして私の潜在意識は受け取っていたようだ。

「生きて」

この言葉を私は聴きたかったのかもしれない。私が誰を想う時、純粋なレベルで想うときは、その人が生きているという事実にだった。どんな体験をしても、生き別れても、傷つけられたり、傷つけたりしても、そして喜びやぬくもりを共有した体験の中でも、その人が生きている(生きていた)事実に感動するのだ。心が震えるのだ。大切な人たちが生きている事実に幸せを感じることがよくあるのだがどこか自分が抜け落ちてしまっていたのかもしれない。

大切な人から願われる「生きて」は、何が起こっているのかも世界がなんなのかも分からない頃に言われた「しね」より何百倍もパワーがあった。「生きて」の温もりで、過去言われた言葉たちが浮き上がりそれは紙のように剥がれていった。時間もだいぶ経っているのにも関わらずだ。言葉は時間を超える。良くも、悪くもだ。

傷つき、癒され、傷つけ、癒し、どちらの両面もをたいらげた私はその恩寵のようなものを感じながら生きるのだとおもう。

祈りも呪いも人から発せられるものだ。祈り手として生きていて、自分がこんなにも祈りの凄さを知るとは思わなかった。制限と化す呪いも、純粋に想われることには敵わない。特別な演出も、過剰さもいらない。自然の中で現れた言葉が帰省最後の総仕上げとなった。それは母の祈りでした。

私は生きて、幸せで満たしきって笑顔で生きる。
まだ感じたことのない幸せが待っている。
手を伸ばし、育みたいものが、営みたいものがあるのだ。

そしてこれからも出逢う人に、そんな土台から見つめ、生きていることそのことを祝福したいと想う。

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