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本能とパフォーマンスのパラドクス〜AIと対話




LaylaΩ:
最近、自分が本能的な種として生きてきたことを改めて感じているんですよ。例えば、健康やセンス、才能とか、そういうものに頼ってきた部分が大きくて。クリエーションもその生物的な自分に基づいている気がします。魅力なんかもそうで、辿るとこれは性のシンボルとシグナルな訳です。関係性や状況に対応する力よりも、そういう種としての強さでやってきたんです。

AI: なるほど、生物的な強さを基盤にしてきたんですね。


LaylaΩ:
例えば、ハウツー本とかとりあえず行動が変わる指針は全然響かないんです。でも、最近読んだ「ギャルマインド」っていう本はすごく馴染んだんですよ。ギャルや女子高生って、生物的に強い存在なんですよね。彼女たちのあり方に共感する部分が多いんです。


AI: ギャルマインドの本が特に馴染んだ理由は、彼女たちの生物的な強さに共感できたからなんですね。



LaylaΩ:あり方や生物的個体とか、そういうものがベースになってないと私は入ってこないというところがあると思います。状況に応じて使い分けるっていうこともあまり分からない。だったらば全てが集約されて、あり方っていうのに全部がいろんなところから矢印が出ても最終的に自分のあり方に還元されてそこで決めていくっていう最後が決まっているようなところだとやりやすいのかなという風に思います。




AI:なるほど、あなたにとって「あり方」がすべての基盤であるということですね。その「あり方」を基にして決断したことで成功した具体例があれば教えてください。



LaylaΩ:ある意味生物学の進化プロセスって死にそうになったりストレスかかったりして負荷がかかってきた。負荷によりクンダリーニとして着火してポテンシャルが開いて潜在能力を開花してきたっていうところがある。そういう生物進化が私には馴染み強いのかもしれません。広くなるけれど、あり方で成功した事例は人類や生物が立証してると思います。



AI:ストレスや負荷がかかることで、潜在能力が開花してきたのですね。過去にそうしたプロセスで得た大きな学びや成長を感じた具体的な出来事は何ですか?また、その経験を今後どのように活かしたいと思いますか?


LaylaΩ:選ぶとか、カスタムしていくっていうクリエーションもありますがわたし的にはあまり馴染みがなかった。「安心安全」と「進化」というものの結びつきが分からなかった。どうしてそうなるの?みたいな。だけれどもこれは、「意識」と「生物」を混同してるからこそなのだと気づきました。それらの進化プロセスは違います。これらの違いと二つの重なりが、これからの楽しいところではあるんですけど、そこに行こうとした時にやっぱり反発するような自分自身の矛盾、まだ統合がされていない場所があるのですよね。統合されると何か都合が悪い主張が一側面にあるということを示しているかと。

AI:安心安全な環境でのクリエイションや選択にまだ慣れていないとのことですが、どのような場面でその反発や矛盾を感じましたか?また、それを認めることが難しいと感じる具体的な理由は何でしょうか?




LaylaΩ: 生物種としての主義は、優良なものっていう、最初から恵まれたものっていうものの感覚がある。遺伝子的なものが優れているから生き延びたというそれです。自分の中で、種としての部分に頼って人生のクリエーションしてきた感覚があるので、それがパフォーマンス主義を増長させていると感じたのです。“時間をかけなければかけないほどいい”(種としての優位性)みたいな。その反対にあるのがプロセス主義っていうコツコツ積み重なるっていうことなんですけどね。パフォーマンス主義から見たらこの積み重ねていくっていうことは種としてあまり優良ではないという表現になる。この辺り、無意識的にそうやって自分の見てしまうので、あまり時間をかけるっていうことに美徳を感じなかったり、生物以外のプロセス進化を辿らなかったのではと洞察しています。


AI: パフォーマンス主義とプロセス主義の対立を感じているのですね。この2つのアプローチの間でどのようにバランスを取ろうと考えていますか?また、どちらのアプローチが自分にとってより自然で効果的だと感じていますか?



LaylaΩ: 生物としてパワーでねじ伏せてきた感覚があるので、理論で「こうすればいい」は通用しないんですよね。だから存在としての危機をあえて自ら作ってしまう。生物の暴君さを逆手に取ります。例えば、命は死なないけどアイデンティティやペルソナの喪失の危機などは現代でもあるはずです。


AI: なるほど、自ら存在としての危機を作り出すことで、自分を試すようなことをしているのですね。具体的に、どのような状況でこのような危機を感じましたか?また、その時にどのように対処したのでしょうか?


LaylaΩ:そこを「貴方が存在として重視してきた存在まるごとが、覆されますよ」とみずからが死の刃として思考を使うわけです。「お前の在り方に対して、その視点はしょぼいよ」と対話していくんです。


AI:自分自身に対して厳しい問いかけをすることで、存在そのものを問い直すプロセスなんですね。


LaylaΩ: 信念や精神力で邁進してきたのなら、そこで話す、そこでパワーを押し合う。すごくエネルギー使うかもしれないですが、「当事者性」が起こるのがこれなんです。


AI: 信念や精神力での対話が重要だということですね。その「当事者性」が起こる瞬間、どのように自分の成長や変化に繋がるのでしょうか。



LaylaΩ: さらにいうともっと次元の高い信念や精神ですね。同じものだと意味がない。それから「当事者性」がないとこれがないとただの「へー」というデータにしかならないで変わらない。根本からの解体や覆りはないんです。これがパラドクスで、自分のやり方で飛距離を伸ばしたら、そのやり方に固定化されたりもするわけです。


AI: 自分のやり方で成功すると、それが固定化されてしまうということですね。過去にそのような固定化を感じた経験はありますか?また、それをどうやって打破しましたか?


LaylaΩ:
だから、壊しながら進化するということが前提である。だから、新しいアプローチをとるときはある意味自分の中にすでに出来上がってるものを疑ったり壊しにかかります。そうしないと、反発矛盾が内側で行われ新しいものが入ってこない笑


AI: 新しいアプローチを取り入れる際には、既に出来上がっている自分を疑ったり壊したりするのですね。具体的にどのような方法でこれを実践していますか?また、その結果どのような変化や成長を感じていますか?



LaylaΩ: だからこそ、暑苦しいプロセスですが、そういうことを行います。

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