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人間の弱い部分についての考察

はじめに

私達は日々仕事をしていく中で、なんとも言えないモヤモヤした課題感を感じることがある。

このモヤモヤした課題感は、自分がそれまで理解できていた枠組み自体への疑問やその枠組によって成果が出なくなる、また成果と感じなくなると発生しやすい。

最近立て続けにこのような感じの話を観察する機会があったので、少し言葉に落としてみたい。


内容

論理的思考というか、ロジカルシンキングというか、フレームワークには前提があるというのと同じ話なのだが、例えばプロダクトAの販売をKPIマネジメントすると、交渉回数やリード獲得数などが重要なポイントに分解して落としこむことができる。そして初期の頃はこのKPIを上げるという作業をひたすら守り実際に数字も上がったりするだろう。

いわゆる守破離の守である。(たぶん)

しかし、仮にこのKPIを上げているにも関わらず売上が上がらないとか伸びないという事象が起きていることに気づいた時、あなたはこのKPIを上げる活動そのものの意味を考え出す。

これが破への第一歩である。(たぶん)

そしてこの自分が理解できているコトの先があることに気づくものの、その先どうなっているのか脳内で整理ができない、イマイチ答えが見えない状態。これがいわゆるモヤモヤしてるがうまく言葉できない課題感という事象である。

そして問題はここからである。

我々はその謎を解き明かすべく、本を読んだり、経験者の話をきいたり、様々なインプットをしていく。そしてある閾値を超えると何が問題なのか仮説化できるようになる。

しかしここで1つの重要な現実を突きつけられる。

ほとんどのケースにおいて、その仮説化できた問題はその時の自分の責務や権限の範囲の中だけの活動で解決できるものでないことに気づく。

最初は気付くというよりは、無意識にそこに触れないことの方が多いだろう。まずは自分の責務や権限の範囲内でできる活動でのカイゼンを試みる事が多いのではないか。しかしこの問題は自分の責務や権限の範囲外の活動が必要になることを徐々に自覚し始める。

ここで分かれ道がやってくるのだ。

周りを動かしてまでこの問題をカイゼンしていくか、それとも見てみぬふりをするか。

もちろん、周りを動かしてみようと動いてみる人も沢山いるだろう。でもすぐに「自分では直接コントロールできない変数の存在」が如何に自分を憂鬱な気分にさせるかということに気づいてしまう。

そして人は徐々に自分の責務や権限の範囲内の活動に落とし込むようになる。もちろんそんなことは無意識化の話なので本人は自分は常にベストを尽くしていると思っているケースの方が多いだろう。

でも、結果は変わらないというもどかしさも感じながら生きていく。

そうしてこじらせると、夜の新橋で愚痴ったり、SNSでキラキラしてる人に絡みつくようになる。

程度の差さえあれ、人はみなこのような経験をしながら生きている。

たぶん。

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