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強い言い争いを前に感じた無力

半月に及ぶアメリカ出張を終え、半年以上に渡って準備してきた今年最後の大きな案件をどうにかこうにか収めた。

アメリカ滞在中のある日の出来事。

切れ者、と評価されているものの、特に現場では厄介になる社内関係者が、例に漏れずこの現場でも初っ端から不機嫌を振りまいていた。
彼女よりさらに厄介の層を折り重ねた強者の彼女の上司やシニアマネジメントも来ていたことも、プレッシャーとして彼女にのしかかり、些細なことでも苛つく態勢になっていたと思う。
彼女の怒りは、サプライヤー担当者の一挙手一投足に対して増していき、メラメラと怒りのオーラが見えるほどだった。
調整役として現場に立ち会っている身としては、自分に激しい怒りの矛先が向いていないことにホッとしながら、彼女の感情に適度に共感しつつ、原因遡及はさておき、今できる最大限の施策を速やかに取るしかない。

しかしサプライヤーの現場対応力にも限界がある上に、期待値と結果に埋めがたいギャップがあることも見えていて、どうしたら最適解を整えられるかと頭を抱えていた。
日本でなら力技で自分で解決できたかもしれないが、土地勘もないアメリカで私が闇雲に動くより、ギャップを埋めるための解決策を提示してサプライヤーに動いてもらったほうが断然速い。

それでも、彼女の期待値には到底及ばず、その夜、彼女とサプライヤーはぶつかった。

ホテルのロビーで隣り合わせに腰掛けた二人。
彼女は、サプライヤーの対応がいかにクオリティが低く評価にも値せず、どれほど彼女を失望させたか、それはネチネチと責め立てた。
一方のサプライヤーは要件通りになるよう奔走し、限られた時間の中で最大限手配したことを説明した。
経緯、背景、理由を説明するのは、何もしていないわけではなかったことの証明になるが、それは、人によっては言い訳がましく保身的な弁明に聞こえたかもしれない。

それがさらに彼女の怒りにガソリンを注ぎ、彼女はサプライヤーの失礼さに憤慨し、さらに強い言葉で責め立てた。
その言葉や表現は、確実に一線を超えて、誹謗中傷だと言われても疑問を抱かないレベルだった。

燃え上がる怒りと負のエネルギーを前にして、私はそれらを緩和する言葉、諫める術、仲裁する勇気をまったく持ち合わせていなかった。
あまりにも強い言葉、自分には到底考えもつかない責め、譲らなさを目の当たりにして、この個人同士の諍いがさらに大きな争いにつながっていくのだと見たとき、怖くて手と胃がブルブルと震えて冷たくなった。

彼女の怒りが一瞬隙を見せたタイミングで二人の間に腰掛け、それからの要求はすべて私を通して行うことを提案するのが精一杯だった。
それは、下手をすれば私に感情が向きかねないことを覚悟する必要があったが、人同士が争い合うのを見ていられない。
自分がサンドバッグになるのも耐えられないが、結果として全体の平穏が保たれるなら、それも役割と割り切るしかない。

ギャップの原因を丁寧に紐解き寄り添えば良いのに、と傍から見たら至極簡単なことに思えるが、当人たちにはそれを選択しない強い感情があり、それがぶつかりあった。それらの前に、私は無力さを感じた。

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