見出し画像

宿災備忘録-発:第4章6話①

師走の風に乗る、線香の香り。細く揺らめいた煙は、寒風に吹き流される。墓前には白と薄桃のクリスマスローズ。美影は、質素な墓石に亡き人の顔を重ねながら、手を合わせた。
 
月命日は14日。先月の一周忌には、墓石が隠れてしまうほどの献花があった。墓の前でしゃがみ込む人の背中は途切れず、美影は、故人がどれほど愛されていたのか、改めて知った。今は自分以外の気配はない。ゆっくりと対面できることに、喜びを覚える。
 
「本当は生きてるうちに、たくさん向き合わなきゃいけなかったんですよね……今後気をつけます」
 
悔いずに省みた美影の耳に、足音が届く。誰のものなのか、振り返らなくても判断できた。
 
「おっ、クリスマスローズか。寺にクリスマスって……若いねぇ」
「まあ、それなりに」
「素直に認めてくれよ。まだ四半世紀も生きてねぇんだから」
「四半世紀って……おおげさな」
 
美影は目元を緩めながら、ウイスキーの小瓶を片手にやってきた鷹丸に墓前を譲った。
 
「安酒で、すんません」
 
手を合わせた後、鷹丸はウイスキーの蓋を捻った。瓶を掲げ、お辞儀をし、口に運ぶ。喉を鳴らして眉間をひそめると、鷹丸はゆっくりと腰を上げた。
 
入れ替わって、再び墓前にしゃがみ込んだ美影。ジャケットのポケットに手を突っ込み、コバルトブルーのソフトケースを取り出す。タバコに熱を宿した後、美影は、線香に重ならない位置に、それを寝かせた。鷹丸の声が、寒風に乗る。
 
「質素倹約のばあちゃんの楽しみは、神事のあとで会長と同じタバコを吸うこと、か……向こうで、一緒にいっぷくしてるかもな」
 
頷きを返した後、美影は煙草から赤が消えるのを待った。その時が訪れ、煙が完全に宙に溶け込むと、鷹丸は肩をすくめる仕草を見せる。
 
「一段と寒いな、今日は……あったまりに行くか?」
「はい」
 
最寄り駅に向かうバスには乗らず、ふたり並んで歩く。
 
「マンションの大掃除、手伝えなくて悪かったな」
「なんとか無事に、というか、結局テナントの皆さんに手伝ってもらっちゃって……来年は業者さんに頼もうかな」
「まあ、いいんじゃねぇか。管理人代行として、入居者とのコミュニケーションをとっているんだって思えば」
「掃除でコミュニケーション……悪くないかも、ですね」
 
だろ、と言った鷹丸の顔を見上げ、美影は刹那、不思議な感覚にとらわれた。
 
山神の庭から戻って、1年と5ヶ月。月に一度は鷹丸と会っている。慣れたようで、いまだにふと、どうしてこの人といるのだろう、と考えてしまう。
 
 
――初めは私の天敵みたいな存在だったのに
  この人はどうして
  おじさんの背中を押してくれたの?
 
 
《イシヨリグループ会長・石寄正蔵氏、末期ガンを告白》
 
その衝撃的なニュースを美影が知ったのは、山神の庭から戻った2日後。香織の美容室で、何気なく、午後の情報番組を見ていた時だった。
 
 
私は胆のう癌を患っております
若い時分から胆石症でね
本当に石に縁の深い人生です
 
 
懇意にしている新聞記者に、石寄はこれまで隠していた病を告白した。そして、自分に向けられた疑惑について語った。
 
 
私は妻に先立たれて
これまでずっと独り身です
血の繋がった子はいません
しかし隠し子がいるんじゃないかなんて
嗅ぎ回られてしまった
なにを根拠に、と気にもかけずにいましたが
隠し子なのではないか、と
あれこれと探られてしまった方には
本当に申し訳なかったです
はっきりと否定しなかったことを悔いています
 
私に子どもはいないと、はっきり言えます
私は子種を持っていないんです
幼い頃に高熱に襲われましてね
それが原因だそうです
きちんと診断を受けた結果です

もし私の血を引くと言う方がいたら
喜んでDNAを提供します
堂々と名乗り出てください

ああ、しかしですね
血は繋がっていなくても
大事に思っている方はいますよ
たくさんいます
私の人生に関わってくれた皆さんに
本当に感謝しています
 
 
美影はすぐに東京へ。移動中、なんどもネットニュースを確認した。そのたびに涙が溢れた。
 
石寄本人と会うのは、およそ1年ぶり。挨拶も口にできず、美影は泣き崩れてしまった。石寄は泣き止むまで、頭を撫でながら待ってくれた。
 
久遠から預かった手帳を返し、深夜に及んで語り合った。そして、これからは月に一度食事をしようと約束した。しかし約束が守られたのは一度きり。冬が始まる前に、石寄は他界した。
 
石寄は、自分が病を告白した背景を美影に語っていた。鷹丸から懇願を受けたことがきっかけだった、と。
 
 
美影ちゃんには黙っておいて欲しいと言われたんだよ
でも知っていてもらいたい
人間が持つ、様々な愛情をね
 
 
鷹丸は、調査対象である石寄に顔を晒し、頭を下げた。山守美影の生活を守りたい。嗅ぎ回る輩が二度と現れないよう決定的な手を打ちたい。打っていただけますか、と。
 
その切実な願いに背中を押され、石寄は病を告白し、自らの最もプライベートと呼べる部分までをも語った。
 
 
話したおかげで楽になったよ。
今度、鷹丸君も交えて食事をしたいね。
 
 
石寄との最後の晩餐で語られた真実と、果たされなかった願い。美影は、それらを鷹丸に伝えていない。伝えてしまうと、均衡が崩れてしまいそうだから。
 
 
――まだしばらく
  このままでいいよね
 
 
石寄が言った【人間が持つ様々な愛情】というもののいずれかを、美影も抱きつつあった。
 
20分ほど歩き、駅前の賑わいに身を投じる。
 
通りすぎる自動車は半数が外国産。ダークトーンのロングコートに身を包んだ老婦人は有名百貨店の紙袋を提げ、上品な手袋に包んだ手で、タクシーを捕まえる。その横を、やけに洒落た外国産の自転車が走り抜ける。
 
「馴染めねぇんだよなあ、この雰囲気……石寄邸に近いっつっても、お前よくこんな街に住んでたな」
「駅の向こう側は庶民的です。私が住んでたアパートなんて築35年……って、知ってますよねぇ鷹丸さんは。調べたんですから」
「おっとぉ……さては根に持つタイプだな。怖い怖い」
 
わざとらしく身震いし、鷹丸は足を速め、そのままカフェチェーン店へ。出入り口の前で美影を手招く。
 
平日の午後。ランチタイムは終わり、店内は閑散として、美影にとっては居心地が良い。
 
ふたりともブラックコーヒーを注文。通りを見渡せる席に着いてすぐ、美影のスマートフォンに着信。
 
「あ、先生からです」
「こっちにもきたぞ。動画だ」
「じゃあ同じ内容ですね、たぶん」
 
美影は自分のスマートフォンをしまい、鷹丸の画面を覗き込む。
 
 
見てーーー!
雪だよ、ゆきーーー!
 
 
音量は微小に調整されているのに、中森の声は美影の中に大きく響いた。
 
画面の中の中森は、ダウンコートにダウンベストという重ね着。いちめん雪に覆われた広場に走って突入。すぐに雪に長靴を奪われ転倒。小さく聞こえる笑い声は、朗らかな、香織の響き。それに重なる、鷹丸の含み笑い。
 
「さすがは東京生まれ東京育ち。大雪に慣れてなさすぎ」
「ダウンコートにダウンベストってところが……そんなに寒いかな」
「いや寒いだろ、湖野の冬は。まあ、雪には慣れてねぇみたいだけど、仲良くやってんなら安心だ。しょっちゅうこんな動画送ってくるよな」
「はい」
「シンちゃんから着信あると、久遠が帰ってきたのかと思ってドキドキすんだよなぁ」
「そうですね……動画も、面白いんですけどね」
 
コーヒーに息を吹きかけて、笑み。熱い苦みを飲み込んで、美影はガラス越しの人混みに視線を移した。
 
 
――湖野は雪景色
  山神の庭は?
  今、どの季節?
  眠りについたのなら
  もう季節は巡らない?
 
 
美影が祠の前に戻った時、山は既に秋。祠を抜けて戻るまでに、およそ1ヶ月が過ぎていた。たった1ヶ月、なのか、1ヶ月も、なのか。
 
時間の感覚が取り戻せなくて、戸惑うことも、感慨に浸ることもできなかった。ただ灯馬の姿が妙に優しく、両手にフキと白馬の存在もあり、安心が一気に体を支配した。
 
気づけば山守の家。いつかの目覚めと重なって、全てが夢だったのでは、と自分を疑った。
 
美影に現実を伝えたのは、傍らで眠っているフキと、土間で飼い葉を食む白馬の姿だった。
 
 
――元気かな
  フキちゃんも
  馬さんも
 
 
フキの親族については、いまだ不明。どう頑張っても辿り着けないだろう、と鷹丸は言った。行方不明者の情報を可能な限り遡ったが、フキと同一人物と思われる人間は存在しなかった。
 
仮に同一人物がいたとして、フキの服装が現代的ではなかったことを考えれば、その家族が生存している可能性はゼロに等しい。
 
行方がわからなくなったフキを思い、探し、家族が心を痛めていたと考えると、美影は、ただただ胸が苦しくなった。
 
久遠が言った通り、鷹丸はフキに居場所を用意した。これを、と言って持ってきた戸籍抄本については、どこでどう手に入れたのか詳細は語らず、詳しく知る必要はない、と零し、フキが湖野で生きるための手続きを済ませた。フキは書類上、菊谷トシの養子。今は香織と生活をともにしている。
 
昨日、美影に届いた中森からのメッセージには、サンタクロースのコスチュームに身を包んだフキの姿があった。とてもいい笑顔だった。
 
 
――大丈夫
  ひとりになんてしないから
  絶対に
 
 
年が明けたら、湖野に行こう。みんなの笑顔に触れに行こう。そう思ったところに、新たな着信。送信元は、またしても中森。先生、と表示された画面を鷹丸に見せた後、美影はメッセージを確認。
 
「大掃除お疲れ様でした! エントランスのイルミネーション、センス良い! すぐにお正月飾りに変更で大変だけどヨロシクね! 年明けたら商工会の新年会とか色々あって忙しいだろうけどヨロシクね! そっちにクリスマスプレゼント届くからヨロシクね! だそうです」
「ヨロシク多いよ、シンちゃん!」
 
美影と鷹丸、揃って笑う。
 
「まあ、あれだな……ヨロシクって言えるってことは、お前を信頼してるってことだ。居場所がわかってるっていう安心もあるだろうしな」
「信頼か……ありがたいです」
「だな」
 
美影の帰還を知った中森は、東京から湖野まで駆けつけた。顔が僅かに痩せ、老けたようにも見えた。ただの夏バテだよ、と笑ったが、中森が相当な心労を抱えていたことを、美影は後に、香織から聞いた。
 
 
――香織さんにも
  いっぱい心配かけたよね
 
 
香織は、山守の家で目覚めた美影に、いつも通りの笑顔で、おかえりなさい、と言ってくれた。その言葉に、美影は涙を隠さなかった。初めて自分から香織の首に腕を回し、声を上げて泣いた。こんなに正直に人前で泣いたことがあっただろうか。そう思うほど。腫れた瞼を冷やしながら、香織が作ったカレーを食べた。
 
香織は、事情がわかっていないフキに笑顔で接し、存在について掘り下げようとはしなかった。フキはすぐに香織に笑顔を見せ、初めて食べるであろうカレーに、何度もむせ込んだ。あの光景に抱いた安心感は、今も美影の心を温めてくれる。
 
 
――香織さんのカレー、食べたいな
 
 
脳内に浮かんだカレーの画が、美影の嗅覚を刺激する。
 
「あれ?」
 
鼻に届いたリアルなカレーの匂いに、思わず声が出た。鷹丸の前に、カレーパンがふたつ置かれている。いつの間に。
 
「1個食う?」
「え、いいんですか?」
「すっげぇ見てるし、昼飯食ってなさそうだし」
「正解です。いただきます」
 
美影がカレーパンの乗った皿を寄せるのと同時に、鷹丸はカレーパンを完食。コーヒーを飲み干し、息を吐いて手を合わせる。
 
「ごちそーさん。んじゃ、そろそろ行くわ」
「冬休みは、なさそうですね」
「ああ、今回は遠出だ」
「バイク、このへんに停めたんですか?」
「いや、アイツは故障中。久しぶりに電車移動だ」
「お気をつけて」
「ホームから転げ落ちないように?」
「そこまで足腰衰えてます?」
 
それはないな、と言いたげな表情を残し、鷹丸は店を出た。
 
「慌ただしい人だ……師走だしね」
 
呟いた自分の顔が緩んでいると気づき、美影は意識して顔を引き締めた。
 
カレーパンを食べ終え、冷めたコーヒーを一飲み干す。長い息を吐いたタイミングで、スマートフォンに着信。表示された名は【鷹丸さん】。
 
 
正月の飾りつけは手伝いに行く。
風邪ひくなよ。
メリークリスマス!
 
 
黙読し、メッセージを作成。
 
 
鷹丸さんも風邪引かないよう、ご注意下さい。
今夜遅くに関東も雪が降りますよ。
災厄予報なので当たります。
バイクじゃなくて良かったですね。
メリークリスマス!!
 
 
雪が降りますよ

 
自分で打った文字が、災厄に高揚を与える。それを感じながら、美影はメッセージを送信し、店を出た。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?