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宿災備忘録-発:第4章6話②

イルミネーションで彩られた街。吹きつける風。駅に向かう人々の波から、寒いね、と聞こえ、美影は小さく息を吐いた。吐く息は白い。確かに外気は冷えている。しかし美影は、心地良さを感じていた。自分に宿る災厄が、喜んでいるからかもしれない。
 
どう考えても以前の自分とは違う。その自覚があった。自分が何者かを考えずにいた頃には戻れない。少し前の普通が、なんだかとても遠く感じる。
 
「普通、か……」
 
思わずつぶやいて、口を噤み、首を横に振る。久遠達に出会う前と同じ生活、否、同じ感覚に戻れないことに、多少の未練はあるのかもしれない。しかし、宿災としての自分を受け入れることはできた。
 
 
――もっと早く受けれていたら
  結果は違った?
 
 
出せない正解を求める自分を、美影は消せずにいた。宿災である自分が山神の庭に招かれた理由。久遠が語ったことが、真実だったのだろうか。
 
 
――巫女は寂しかった
  だから私を呼んだ
 
  それだけ?
  そんなわけない
  久遠は隠している
  本当の理由を
 
 
直感。真実はこれじゃない、と自分の中の自分が言っている。だからといって、久遠に詰め寄るつもりはないし、恨み言をぶつけるつもりもない。言えないような理由があるのだろう。言えないと判断された理由は、自分にあるのかもしれない。
 
 
――いつか
  言えるって判断してくれるのかな
  私が宿災として久遠に認められたら
  話してくれるのかも
 
 
思いを巡らせながら、美影は改札の前を通り抜け、駅ビルの中庭へと向かった。ビルに囲まれた吹き抜け。そこにそびえるクリスマスツリー。その前でポーズを決める子どもに、スマートフォンを向ける母親達。笑い声に重なるオルゴール調のBGM。
 
美影はしばらくの間、目の前にある平和を眺めていた。ふと、イルミネーションの輝きが増したと感じ、夜が近づいていると気づく。帰路につこうと足を動かした、その時、
 
「すみませぇん写真とってもらえますかぁ」
 
鼓膜を揺らした音が、美影の心臓を叩いた。この声を知っている。そう判断すると同時に振り返る。
 
小柄で華奢、漆黒の長髪。頭に両手を乗せて、なぜかウサギの耳を作っている、鎖火(くさりび)。
 
突然の再会に声を失った美影の前で、鎖火はウサギの耳をピースサインに変える。
 
「やっほー! おひさしぶりだねぇ。元気そうじゃん」
 
美影は涙腺を引き締め、頷いた。いつ戻ったの、と問いを投げる前に、もうひとつの声が耳に流れ込む。
 
「相変わらず、ビックリしてるわね」
 
トン、と美影の腕に触れたのは、水輪(すいりん)。
 
鎖火と水輪。ふたりの顔を交互に見て、美影はその場にしゃがみ込んだ。
 
「クリスマスプレゼントって、これか」
「え? なになに?」
「ホント、ビックリした……おかえり」
「え? なになに聞こえなーい」
「おかえり……おかえりなさい!」
 
笑顔を溢れさせた美影。鎖火と水輪を抱き締める。
 
「ただいま」
「ただいまあ!」
 
ふたりの声は、確かに美影の耳に届いた。
 
「おかえり……ホント、待ってたんだから……」
 
鎖火と水輪の指が、美影の頬を濡らした喜びの感情を拭う。
 
「ねえ、写真撮って! ツリーの前で」
 
鎖火はツリーの前に走り、赤いダッフルコートで、おめかし風なポーズを決める。無邪気な可憐さに、美影はスマートフォンを向けた。その隣で、水輪の静かな音が流れ出す。
 
「元気ね、あの子は……美影は、元気だった?」
「うん。水輪は、どうしてたの?」
「湖野で久遠を待っていた、それだけ。でも結構楽しかった。広々して、空気が美味しくて、いいところよね」
 
水輪の微笑みに、美影は頷き、鼓動を速めた。久遠を待っていた水輪が、ここにいる。ということは、久遠も、灯馬も。
 
美影は視線を周囲に走らせた。しかし黒と白のコントラストは確認できない。いかにも人を捜し求める様子の美影に、水輪が静かな声を向ける。
 
「ふたりは用事があるって……察しつくでしょ?」
 
刹那、水輪は目元に憂いを見せた。美影は頷き、ここにいないふたりの行動に感謝を抱いた。そして、灯馬の白が頭を過ぎった途端、胸の奥に疼き。
 
自分に宿る災厄のひとつ。それはいまだ灯馬を恋しがる。美影が灯馬を頭に描くと、決まって胸に疼きを感じる。恋しい。寂しい。寂しいと感じる心が、痛い。
 
 
――これはずっと続くの?
  居場所を共有するって
  ともに生きるって
  こういうこと?
 
 
自分の感情ではない疼きをおさめる美影。隣に戻ってきた鎖火は、撮影した写真のチェックを始める。けっこういい感じ、とご満悦の鎖火をよそに、水輪は美影に静かな響きを向けた。
 
「シンイチのクリニック、凄い人気なのよ。ん? 人気って言ったらおかしいわね。病人ばっかりってことだもの」
「田舎のお年寄りにとっては、集会所みたいなものだから」
「そうそう、まさにそんな感じ。みんなシンイチのこと、とっても気に入ったみたい。頭は良いけど、ちょっと頼りない孫みたいな感じ。可愛がられてるわよ」
「そっか。香織さんとも仲良くしてるみたいだし、フキちゃんもすっかり懐いたみたいだし、感謝だよね」
「シンイチと同じこと言ってるのね」
「え?」
「仲良くしてるみたい、って」
「ん?」
「向こうでは、美影と純一のこと、そう言ってる」
「え、なにそれ、やめてよ。なんの話、それ?」
「さあね。とにかく、いっぺん帰りなさいよ。みんな待ってるんだからさ」
 
意味深げな笑み。それを美影が問い質す前に、水輪は鎖火の持つスマートフォンに視線を移した。
 
「正月の飾りつけは手伝いに行く、風邪ひくなよ……随分と無愛想な文章ね」
「だよねー」
「ちょっと勝手に読まないでよ!」
「わ! 逃げろっ!」
 
スマートフォンを取り上げようとする美影をヒラリとかわし、鎖火は笑顔で首を傾げる。
 
「前はさぁ、美影のことアンタって呼んでたのに、お前になってたよねぇ。美影はさぁ、純一って呼ばないの?」
「呼ぶわけないでしょ! ってふたりとも、いつからいた?」
「ふたりがカフェにいる時からだよぅ」
「声かけてよ!」
「だってさぁ、なんか邪魔しちゃいけないって感じだったから」
「そんなんじゃないし……って言うかスマホ!」
 
追いかける美影を身軽にかわしながら、鎖火はスマートフォン掲げて走り出す。その後ろに水輪が続く。
 
動きの素早いふたりの背中は、あっという間に人波に飲まれた。改札方面か、それともビルの中か。勘に頼る他ない。美影は呼吸を整えながら、改札方向へと足を速めた。視線を周囲に走らせながら改札の前まで移動。ふたりの姿はない。
 
「まったくもう……あっちかな」
 
美影が踵を返そうとした瞬間、待ちわびたコントラストが、人波の中に浮かび上がった。
 
 
待っていた
やっとだね
 
 
災厄は速まった鼓動に反応。白い輪郭に手が伸びそうになる。黒い輪郭に足が近づきたがる。
 
 
――落ち着いて
  落ち着いて
  まずは
  あの言葉
  灯馬が私に言ってくれたみたいに
  今度は私が
 
 
立ち尽くした美影の前。到着したふたつの輪郭。久遠はいつものポーカーフェイス。灯馬は微笑。
 
美影が口を開くより早く、久遠がなにかを差し出した。見覚えのあるスマートフォン。
 
「鎖火からだ。ロックがかかってしまったから、今度パスワードを教えてくれと」
「教えるわけないじゃない!」
 
奪い返したスマートフォンをポケットに。美影は、まったく、と小さく吐いて、改めてふたりの顔を見据えた。
 
嬉しい。懐かしい。なぜか、気恥ずかしい。
 
先頭に立つ感情を定められないまま、美影は動きを止めた。人波は遠慮なく、3人の間に他人の気配を流し込んでくる。名も知らない人々への気遣いを見せたのは、灯馬。
 
「端に寄りましょう。私は見えていないので構いませんが」
 
自虐的発言に笑いを含み、灯馬は人の少ない一角に視線を飛ばした。駅ビルの一階、外通路に面した改装中のテナント前。
 
大きなガラスに背を向け、横に並んだ3人。会話をスタートできない美影に、灯馬が問いを投げる。
 
「零念達の様子は、変わりありませんでしたか?」
「うん、大丈夫。言われた通り、順番に見廻っているところ」
「そうですか。久遠、腕が上がりましたね」
 
美影は湖野を発つ前に、灯馬から使命を与えられた。久遠が東京に仕掛けた罠を、監視すること。
 
都会は人間が多い分、零れ落ちる邪念も多い。零念は絶え間なく生まれている。久遠は罠に零念をおびき寄せ、定期的に払っていたのだという。
 
久遠が仕掛けた罠は、都心を主として数ヶ所。美影は、その罠を監視しながら、宿災の務めについて考えた。
 
 
人間が零した邪念を無に還す
それは宿災の任
僅かに自然に近いものにしかできない務め
 
 
なぜ。いつから。誰がそう定めたのか。問い始めれば尽きることはない。しかし美影は、見え始めたものを信じ、受け止め続けた。結果、久遠の腕が上がったと証明された。他人が褒められて、自分が嬉しい。不思議な感情。
 
美影は、久遠に視線を。ダークグレーのハーフコートに包まれた、静かな存在。通り抜ける風が、久遠の黒髪に留まっていた線香の香りを、美影に届ける。
 
「おじさんのお墓参り、行ってくれたんだ」
「ああ……もう一度、話がしたかった」
「おじさんも、会いたがってた……手帳は返したよ。最期は棺に。久遠の気宿石も一緒に入れた。勝手にごめんなさい。でも、おじさん、凄く欲しがってたから」
「構わない。本当に好きなんだな……命日は11月14日。いいいし。会長らしい」
「ウソ、久遠も語呂合わせとかするの? 意外すぎて、なんかやだ」
「香織さんが言っていたんだ」
「あ、そう、だよね……」
 
美影の声はフェードアウト。久遠は口を閉じ、会話は終了。
 
 
――まだ言っていない
  大事なことを
  まだ
 
 
完全にタイミングを失った。美影は、言えない自分に苛立ち、唇を噛んだ。その隣で、灯馬の気配がゆらりと動く。
 
「美影」
 
微かに響いた、灯馬の声。久遠は反応していない。なにかを指さす灯馬。その場所に視線を。久遠の後頭部。うなじの辺り。襟の内側から飛び出した、水色のタグ。
 
美影は視線を灯馬に戻した。しかし白い輪郭はない。再び視線を久遠の襟元へ。二度見をして、美影は笑いを噴き出した。
 
「ちょっと失礼……」
 
手を伸ばし、久遠のコートからもぎ取ったのは、クリーニング店のタグ。
 
「これ、つけっぱなしでしたけど……こんなミス、するんだ」
 
美影は含み笑いを堪えられず、顔を両手で覆った。久遠は表情を変えずに歩き出す。美影は笑いをぽたぽたと零しながら、背中を追った。
 
ダークグレーの背中は改札には向かわず、駅ビルへ。迷わず下りエスカレーターに乗る。美影は、久遠がどこに向かっているのか、察しがついた。
 
久遠と灯馬、謎のふたりに遭遇してしまった、あの日を思い出す。自転車のカゴに積み込んでいたもの。オンボロアパートで食べようとしていたもの。
 
「……なにか買うの?」
「夕飯を買って帰る」
「うちの近くで買えばいいのに」
「ここの惣菜が食べたかったんだろう?」
「うん」
 
鷹丸が語った、ある日の久遠の行動。無表情で商品を取り、無愛想にレジに並ぶ姿。それを想像して、美影は頬を緩めた。
 
 
――あの時は
  気づかなくてごめんなさい
 
 
零しそうになった言葉を飲み込んで、エレベーターをおりる。美影は久遠の隣に。スーパーの入り口。壁いち面に貼られた鏡。映り込むふたり。鏡越しにぶつかった視線。久遠の顔。僅かに上がった口角。タイミングは、今だ。
 
「……おかえりなさい」
「ああ……ただいま」


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