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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節  冬・弐1

 あくる日、深遠と維知香は鷹丸家に赴いた。近所であるとはいえ、そうしょっちゅう行き来しているわけではない。維知香が身重であるのも理由のひとつだが、桜子の心情を慮って、と言うのが、一番の理由である。

 深遠と維知香が夫婦になる意思を伝えた時、菊野は涙して喜び、吾一はすぐさま酒宴の支度を始めた。しかし桜子だけは、葛藤の表情を隠さなかった。それでも酒宴が始まる頃には笑みとなり、手料理を振る舞ってくれた。

 その数日後、桜子はひとり、深遠のもとにやってきた。二人きりで話がしたいと。何を言わんとしているのか、深遠は大方の予想がついていた。脱厄術師と宿災。重き任を背負う二人が夫婦になるなど、本来なら考え難いものなのだ。

「ふたりが結ばれたことが、嬉しくないわけではありません。あの子はずっと、貴方を思ってきました。本当に、長い間、ずっと……維知香が幸せであるのなら、深遠さんのもとに嫁ぐのが一番良い、私も、そう思っていたんです……でも今は……不安でなりません。純一や夏津葉(かづは)と過ごす維知香を見るうちに、あの子には、普通の家庭に入って、普通の暮らしをして欲しいと望むようになりました。貴方を見ていると、とてもその……老いを感じないというのは、普通とは思えないものですから……

あの子が産まれた時から、貴方には本当に、本当にお世話になってきました。今更こんなことを申し上げるのは、とんでもなく無礼であると、心から思っております。それでも私は維知香の母として、貴方に本心を伝えておきたいと…………私は、維知香に宿るものを恐れています。特に幼い頃は、本当に怖かった……

朗らかでお転婆で、素直で、無邪気で……そんなあの子が、災厄の影響で突然荒ぶってしまうかもしれない。その時私は何をしたら良いのか、想像もつきませんでした……重い任を背負わせたのは私なのに、私があの子をあんな風に産んでしまったのに、自分はなにを成すべきか、わかりませんでした。考えれば考えるほど、無力な自分が嫌になりました……

主人や両親に支えられて、時には宿災なんて嘘だと自分に言い聞かせながら、必死に正気を保って育てて参りました。維知香が憎いわけでは決してありません。心から愛しています。憎むとすれば自分自身……もし貴方がたが、子を授かろうとお考えなら、その子は何も纏わずに、宿さずに産まれてきて欲しい……それを、心から願っております」

 桜子から受け取った言葉のひとつひとつを、深遠は克明に記憶している。その時まで、桜子の思いを直接知る機会はなかった。あるとすれば、他者の言葉を通じて。

 貴方に、維知香を託したい

 維知香が十の時、酒宴の席で正一から受け取った言葉。

 あの時正一は、菊野、吾一、桜子、そして自分、全員で話し合って出した答えだと言った。それに偽りはないだろう。正一は、誰かの意見を無視して事を運ぶような人間ではない。

 桜子は、吾一に対しては、結婚に難色を示す心を伝えていたようだが、決定的な変化は、本人が言ったように、もっと後に起きたのだ。

 純一と夏津葉

 宿りのない二人を産み、安堵したがゆえ、維知香の運命にことさら責任を感じたのだろう。弟妹と触れ合う娘を目の当たりにし、平穏な家庭に入る姿を想像し、それを強く求めた。結果、賛成していたはずの結婚に過剰なまでの不安を抱いてしまった。しかしそれは、当然と言えば当然。仕方のない事。誰にも責める権利はない。

「深遠? どうしたの?」
「……どう話を切り出そうかと、考えていた」

 鷹丸家の座敷。中庭には、子供達のはしゃぎ声。五歳になった純一と、三歳になった夏津葉。二人は、じゃれ合いとも喧嘩とも見える動きを見せ、桜子は庭の隅にて、それを見守っていた。

 慈しみ。桜子の顔にあるのは、紛れもない、その心。維知香が幼い頃も、あんな表情を携えていた。その裏で常に恐れと闘っていたのだと思うと、深遠は胸が痛んだ。

 維知香が【あちら側】に据えられるという事実を、桜子は受け止められるだろうか。心の崩壊に繋がらないとも限らない。しかし、伝えないわけにはいかない。


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