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宿災備忘録-発:第2章6話②

境内を離れ、鳥居をくぐり、石段を下りる。満車状態の駐車場。鷹丸はその隅へと歩を進め、準備されていたかのような2人がけのベンチに腰を下ろし、脚を組んだ。
 
美影は鷹丸から少し離れて歩いていた。外灯もない場所に座る鷹丸の姿が、月明かりのおかげでよく見える。ベンチの手前で足を止め、結露をまとったジュースを握り締めた。
 
鷹丸は缶ビールを飲み干し、タバコに火をつけた。吐き出された煙は、夜が染み渡った空間に広がる。それはカタチを記憶する間も与えずに消え去り、鼻を刺激する匂いだけが残った。
 
「まあ、座れよ。慣れてないんだ、見下ろされるのは」
「そんなつもりじゃないですけど……失礼します」
 
美影はベンチの右端に腰を下ろした。リュックからコバルトブルーのソフトケースを出し、タバコを1本摘む。
 
「は、マジで吸うのかよ。しかも俺のと同じじゃん。まさか愛煙家?」
「違います。ばあちゃんが吸ってたんです、このタバコ。ホントにたまにですけど。線香代わりになるかなって。ここで吸ったら、山全体に広がりだし」
「線香代わりって……まさか初めてでそのタバコ?」
「ダメですか?」
「ダメじゃねえけど……ほい」
 
ライターを差し出し、ふっと笑った鷹丸。それになぜか対抗意識を抱き、美影は見よう見まねでライターを擦り、タバコの先端に近づけた。
 
恐る恐る息を吸い込む。口内に広がる乾いた苦味。それは眩暈を呼び込み、むせて吐き出した煙は目元を襲う。美影は火種のついたタバコを体から離し、無言で鷹丸に救済を求めた。
 
「おススメしないって言ったろ……ほら、寄こせよ」
 
鷹丸にタバコを渡し、美影は素早くペットボトルのキャップを捻った。
 
喉を刺激する炭酸の痛み。広がる冷たさと甘み。自分にはこっちが合っている、と、美影は一気にボトル半分を空にした。
 
「……すみません、ありがとうございました」
「いや、別にいいんだけどよ……なあ、それアンタのお気に入りだろ?」
「え?」
「ジュース」
「ああ、これ。はい、たまに飲んでますけど」
「久遠の好きな飲み物って知ってるか?」
「知りません」
「相手をちゃんと見る余裕はありません、ってことね」
 
鷹丸は自分のタバコを吸い終え、美影がひと吸いで放棄した1本をくわえた。やや大げさに吐き出された煙は、まるで意思を持つかのように美影を避け、夜空に舞い上がる。
 
「アイツはちゃんと観察してんだよ。アンタが何を考えてるのか知ろうとしてる。でもどうせ、ろくに話しもしてないんだろ? アンタのほうが避けてるように、俺には見えるけど」
「……必要最低限、話してます」
「例えば?」
「あの人も宿災だっていうのは知ってます」
「他には?」
「えっと……そんなとこですけど」
「ある程度話せてたら、あの人、なんて呼ばないだろ。久遠はさ、無口なくせに行動派だから誤解されやすいんだ……俺は久遠と違って強引にことは進めないタイプだし、質問にもちゃんと答える。でも聞かれなきゃ答えない。なんだか聞くの怖くてぇ、どうしたらいいのか、なにから聞いたらいいかわかんないですぅ、ってオーラ出されても、こっちからベラベラ説明するつもりはねえから……ほら、質問するきっかけは作ったぞ。後はそっち次第だってこと」
「……失礼なのか親切なのか、わかんないですね」
 
素直な気持ちを述べた美影。大量の煙を噴き出した鷹丸。咳き込みなのか笑いなのか判断し難い音は、しばらく続いた。
 
鷹丸の音が止まり、場は静けさを取り戻した。そこに別の賑やかさが到来。境内の方向から届く、拍手と歓声。それが静まると、銅拍子の音が鳴り響いた。
 
「お、始まったな。見なくていいのか、って、それより大事なもんがあるよな」
 
組んでいた脚を解き、鷹丸は美影に顔を向けた。その気配を察知し、美影も鷹丸に向き直った。僅かに加速した鼓動を抑えながら、口を開く。
 
「あの遺体の件は、まだ解決してないんですよね……ずっと考えてるんです。私とあの遺体は、どう繋がってるのかって。宿災だとか、湖野が結界に囲まれた不思議な場所だとか聞かされても全然自覚できなくて……だから、あの遺体との関係がわかれば、もっとはっきりと見えてくると思うんです」
「何を見たいのかは、アンタ自身だってことは、わかってるんだな?」
「はい……だから教えて下さい。鷹丸さんは、何を知ってるんですか? どんな真実に辿り着いたんですか?」
「なにを、か」
 
重厚感のある鷹丸の響きに反応し、美影の心臓はリズムを速める。心音が体から漏れそうで、美影は思わず胸元に手を伸ばした。祖母から貰った石の感触を確かめながら、言葉の続きを待つ。
 
「実は俺も途中なんだよ。つーか久遠の分野なんだ、こういうのは。だからアイツにアンタのことを教えた。餅は餅屋って言うだろ……ああ、スマン。聞きたいのは、こんなんじゃねえよな……そうだな、俺が知ってるのは、山中の遺体が、山護美代の写真を持ってたってことだ」
「え?」
「その写真があったから、アンタと遺体が繋がったんだ」
「遺体が、ばあちゃんの写真を?」
 
美影は素早くスマートフォンを操作し、画面を鷹丸に向けた。
 
「なんでスマホに画像保存してんだよ……遺体だぞ」
「わかってます。でも、自分に関係あるのかもしれないし、何回も見たら、何か思い出すかもしれないと思って。別に拡散するわけでもないし」
「若者の感覚は理解できねえな……」
 
鷹丸は頭を軽く振って、美影のスマートフォンから顔を逸らした。
 
「その遺体が持っていたのは、正確に言うと、ばあちゃんと、誰かが映った写真だ」
「誰か?」
「破けてたんだよ、半分」
 
鷹丸はカーゴパンツのポケットからコンパクトなデジタルカメラを取り出し、電源ボタンを押した。
 
「ほら、これだ」
 
美影は画面を覗き込んだ。映し出されていたのは、向かって左半分が破り取られたカラー写真。折り目のような線が入っている。古いもののようで、画質は悪いが、写っているのは確かに祖母の姿だった。その顔に皺は少なく、白髪もない。立ち姿や着ている服は、美影の知っている祖母と、そう遠い印象ではなかった。
 
「あの……ホントにこれ、遺体と一緒に?」
「遺体の首に小さな袋がぶら下がっててな、それに入ってたっんだってよ。他に身元に繋がりそうな物はなかったらしい。で、その写真のことを調べてるうちに、アンタの生い立ちにぶつかったわけだ」
「すみません、質問が増えました。どうして鷹丸さんが遺体の持ち物について知ってるんですか?」
「俺みたいな仕事してると、自然と情報網が広がるんだ。そうしないと仕事にならねえしな。その画像と、それにまつわる情報は、地元の警察関係者からいただいたんだ。勿論タダじゃなく、見返りアリでな。それについては聞かないでくれ。そもそも、俺がアンタのことを調べた理由は知ってんだろ?」
「石寄会長の隠し子疑惑」
「そう。だから元々アンタの生い立ちを調べる目的で湖野にきた。ツクモに入会して、ばあちゃんのことから調べたんだが、みんな知らないんだよな、山護の生活ってヤツを。口々に言うのは、とにかく真面目で、親切で、良い人だったって……石寄会長についても聞き込んだが、悪口なんてひとつも出てこなかった。わかったのは、相当慕われてるってことぐらいだな……まあ、そんなこんなで行き詰ってるところに、あの遺体発見だ。最初は興味本位で警察関係者に近づいたんだ。身元不明者の素性明らかにするってのも、探偵心をくすぐるしな。でもまさか、そこからアンタに近づくなんて考えもしなかったよ」
 
経緯を話し終えた鷹丸は、自分の手にあるコバルトブルーのソフトケースを逆さまにし、中身がない、とアピール。美影は自分の手にあるタバコを丸ごと鷹丸に渡し、デジタルカメラの画面に視線を落とした。
 
美影の一番古い記憶にある祖母より随分と若く、口元は僅かに笑っているように見える。右手を何かに乗せている。おそらく人間の肩だと思うが、乱暴な裂け目のせいで、確認できない。
 
「ところで、山護の家にアルバムの類はなかったけど、写真はアンタが持ってんのか?」
 
タバコをふかしながら言葉を再開させた鷹丸に、美影は、はっきりと答えを返した。
 
「写真はないです」
「は、1枚も?」
「はい、って、家捜しもしたんですね」
「許せ、それも仕事だから。触った場所は全部もとに戻しておいた。まあ、あの時うっかり香織お嬢さんに見つかっていなかったら、今アンタと話すこともなかったんだろうな。あの日の家捜しが俺の運命を変えた、のかもな」
「結構迂闊なんですね」
 
美影の言葉に、なぜか不敵な笑みを浮かべ、鷹丸はデジタルカメラに手を伸ばした。カメラは持ち主のもとへ戻り、美影の手は空に。目には残像がちらついている。
 
視界の端に赤。鷹丸が宿した火種。夜風に乗り、煙はいずこへ。残されたのは、祖母が吸っていたタバコの匂い。神事の後の、祖母の楽しみ。
 
換気扇に向かって煙を吐き出す祖母の後ろ姿が、美影の中に浮かび上がる。それに触発され、しまい込んでいた記憶が、音を上げた。
 
 
山護は自分の存在を残して死んではなんね
んだがら仕方ねえんだ
ごめんな
ちゃんと覚えておくがら
 
 
小学校の入学式。集合写真に入ることを承諾しない祖母の手を、美影は引っ張り続けた。しゃがみ込み、視線を合わせた祖母。返ってきた答えと、握られた手の感触。僅かに潤んだ目元。
 
祖母が可哀想に思えて、必死に笑って見せた後、ひとりで列に加わった。あの日覚えた感情を、美影は忘れられずにいる。
 
美影は記憶の再生を止め、空を仰いだ。あれ以前も、以降も、祖母がカメラのフレームに収まる姿を見た記憶はない。祖母には遺影もない。墓もない。手を合わせ、線香を手向ける場所すら与えられず、遺灰を山に撒くことで、死してなお、山を守る。祖母が山から解放されることはない。山で生き、今でも山に囚われたまま。その祖母が写った写真。それには一体、どんな意味が込められているのか。
 
 
九十九山で見つかった遺体
祖母が映る写真
赤毛を持った男と祖母
二人を繋ぐ糸
それを辿り結ばれていたのは自分の生い立ち
 
現れた久遠
突きつけられた現実離れした真実
湖野は結界の町
宿災と呼ばれる存在
 
 
――まだ……まだ足りない
 
 
繋がった点と点は線を描き、その先に新たな点が生まれる。生まれた点は謎を芽吹かせ、更なる答えを求め始める。追いつかない。もっと、もっと情報が必要。本能は更なる情報求める。そして真実を知れ、と命令を下す。
 
「……鷹丸さんは、私の生い立ちに辿り着いたんですね?」
「ああ」
「教えて下さい」
「聞く覚悟は、できているのか」
「はい」
「たどり着くまで結構大変だったけど、まあ、これ貰ったし、タダでいいよ」
 
鷹丸は短くなったタバコをひと吸いし、煙を吐いた。
 
「先に言っとくけど、これから話すこと、アンタが信じなくても、俺は全て真実だと思ってるから」
 
言葉を切った鷹丸。瞬きを抑えた美影。ぶつかった視線。その眼差しの強さが、互いの決意を伝え合った。


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