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会社に「居座り続けた」こと。

先日、私の勤めている会社から「永年勤続表彰」を受けました。
これは私にとってはとても特別なことです。新卒当時、私には社会人生活など到底続かないだろうと私含め誰もが思っていたからです。

永年勤続表彰は会社にずっと勤めてさえいれば誰でもいつかは貰えるものですから多くの人にとっては別にどうというものではないと思いますが、ASD・ADHDの私にとってはその「ずっと勤める」ということ自体がとても大変なことだったので、「何かを成し遂げた感」はひとしおでした。

これは運の部分も大きいと思っており、私自身が仕事を続けるために特別に何かをものすごく努力したわけではありませんが、振り返ってみて「この選択は結果的に正しかった」というものがいくつか見つかりましたので、それを紹介したいと思います。

自分の得意不得意を見極める

私の中学~高校時代は「女子は一般職で会社に就職し数年働いた後に社内の男性社員と結婚し寿退職をして専業主婦になる」という価値観が根強く残っていました。
しかし、当時の私は「自分は結婚できないだろうな」と早々と結婚を諦めていました。理由は長々とは書きませんが一言で言うと「主婦や母親業に求められるスキルがことごとく自分にとって苦手なものばかり」だったからです。

結婚ができないとなると、ずっと仕事をし続ける必要があります。企業の事務系一般職は数年で寿退社をすることが前提の職種が多いため、長く働ける専門職や資格職に就きたいと中学時代からぼんやり考えていました。
当時は本が好きで国語が得意だったので国語教師になりたいと思ってましたが、高校に入って古文と漢文に躓き、自分で思ってたほど国語が得意でなかったということを思い知りました。その代わり化学が好きになり、この分野の技術職であればずっと働き続けることができるだろうと考え、理系学部の進学を決めました。両親ともに文系出身かつ学校でも文系人間として通っていたため、理系進学については色んな人から随分と反対されたものです。「女性なのに何故?」という偏見もあったかもしれません。
大学では化学を専攻しましたが、大学院には進まず学部で就職をしました。当時は女子学生で大学院まで進む人は少なかったのと、院まで行くと年齢的に就職で不利になることもあったからです(当時女子の就職は若いほうが有利で四年制大卒よりも短大卒のほうが就職が良かった時代でした)。

小さい頃から発達障害の特性が強く出ていたために、かえって「自分にはどうしてもできないこと」と「頑張れば自分にもできそうなこと」の見極めが早い時期にできたのは良かったことかもしれません。

会社は知名度や年収より興味が持てる分野かどうかで選ぶ

就職活動で私が重視したのは知名度よりも働きやすい会社、年収より自分の専攻が生かされる業種でした。私の家は親も親戚も金融関係者という一族ですが、個人的には金融業界には全く興味が持てませんでした。金融に比べて年収は低いけれど、より社風が自由でのんびりしたメーカーの方が自分に合ってるという確信がありました。

しかし私の第一志望であった化学メーカーには当時女子の総合職採用は殆どありませんでした。大卒高卒関係なく女子は全員一般職になるわけです。
これには正直悩みました。同じ学科の女子学生達は総合職採用のある異業種の電機メーカーに行く人が大半だったからです。今まで男子学生と対等に勉強してきたのに女子というだけで一律一般職採用で男子より給料が低くなってしまうことに納得できない女子学生が出てくるのは当然です。

でもいくら給料が高いからと言って、男性と同等の待遇だからと言って、自分の専攻が全く生かせない業界でずっと働くことは私にはできないと思いました。どうせ一日8時間机に座って仕事するなら興味のある分野の仕事のほうが楽しいし長続きするに決まっています。
結局私は最初の希望通り、自分の専攻の活かせる化学メーカーに一般職として就職しました。後にコース転換で総合職になり、いくつかの部署を転々とした後に地方転勤して現在に至ります。

数年前に久しぶりに大学時代の同級生数名と集まりました。現在何をしている?という話になって知ったのは、電機メーカーに総合職として就職した人達の殆どが転職や退職をしていたことです。中には転職後化学メーカーで働いているという人もいました。やはり年収より大学の専攻を優先して仕事を選ぶのは間違ってなかったと実感したものです。

むやみにキャリアアップを目指さない

私の会社の同期はどういうわけかその前後の世代に比べてキャリア志向の強い女性が多く、現在大卒同期の殆どが女性管理職になっています。中には結婚出産を経て職場復帰し仕事と育児を両立させながら課長になった同期もいます。

その中にあって、私は結婚もしていなければ管理職でもありません。入社後5年ぐらいで総合職に転換したものの、途中パニック障害と鬱で休職を何度かしたために昇進がストップしてしまったからです。

そもそも私が総合職を希望したのは、別にキャリアアップを目指していたわけでなく単に転勤を口実に一人暮らしをしたかったからです。私の両親は「女の一人暮らし」には反対で、親に納得される形で家を出るとしたら結婚か転勤しかなかったのです。

とはいえ休職をする羽目になった時はさすがに将来を悲観して毎日のように泣いていました。それまで連日深夜残業&休日出勤して自分なりに頑張ったのに上から成果を全く認めてもらえなかったことも精神的なダメージに拍車をかけていました。

しかし、休職に入ってしばらくして自分がいかに「同期に追いつこう、おくれを取らないようにしよう」ということにこだわっていたかに気づきました。
そして「特急でさっさと目的地にたどり着く人生もカッコいいけど、鈍行で一駅一駅止まって景色を眺めながらゆっくり目的地に向かうのも味わい深い人生だ」と思うようになりました。
この時期に発達障害の診断を受けたことも「人並みのキャリアにこだわるのはやめよう」と割り切れるようになったきっかけとなったと思います。

自分の「居場所」を作る

現在の私の仕事は社内ではオンリーワンに近いポジションです。同じ職種の先輩があと数年で定年退職すると実質オンリーワンになるでしょう。後継者がいないのが目下の懸念ですが。
専門職とはいえ数年後にはAIに業務の大部分が置き換わる仕事とも言われているため決して将来バラ色の職種ではありませんが、どうしてもAIでは置き換われない部分もあるため、うまく使いこなしてAIと協業するのが将来イメージになると思います。

この仕事につくまでに社内で3~4ヵ所の部署と様々な職種を経験しました。それらの中には比較的うまくできたものと全くダメダメだったものがあります。ダメダメだったときは当時の職場の先輩から「君はこの仕事には適性がないから諦めて別の生き方を考えたほうがいい」とバッサリ斬られたものです。
その時先輩から指摘されたのは「細かい所にこだわりすぎて、全体像を把握してストーリーを描くことができてない」というものでした。しかし逆に言えば「細かい所へのこだわり」が求められる職種には適性があるということです。現在の仕事はまさにそのような職種なので、10年近く続けていられるのでしょう。

私の同期が入社半年で退職をしたときのことです。彼女は早慶出身であり、将来は女性総合職→管理職としてバリバリ活躍するだろうと期待されていた人でしたが、彼女自身は当時の会社の旧態依然とした企業風土に失望していたのでしょう。出社最後の日に私の所に挨拶に来た時に彼女から言われた、
「Luさんは何だかんだ言ってこの会社に居場所を作れる人だと思う」
という言葉が今でも記憶に残っています。
当時、同期の間でも変わり者扱いされ孤立気味だった私になぜそのようなことを言ってきたのか不思議だったのですが、実際その通りになったので彼女の慧眼に改めて感服しています。
当時の会社が彼女に活躍の場をどんどん与えていれば入社半年で退職することもなかっただろうにと残念でなりません。

ところで、「居場所を作る」という言葉は発達障害者が定型社会で生きていく上で大きなヒントになりうると思います。その言葉には「自分の特性や個性を大事にしつつ定型社会と調和する」というニュアンスがあるからです。「定型発達者のようにふるまうことで定型社会と同化する」というのとは別のアプローチです。

これは理想的でもありますが同時にとても難しいと思います。自分らしくいさせてもらう代わりに周りに対し「私は職場に対しこういう形で貢献ができます」というアピールが必要に思います。
「そういうのはよほど高度な専門職でないと難しいのではないか」という印象を持つ方も少なくないだろうと思います。

しかし、私の周りを見ると専門職でなくても「その人にしかない知識やスキルや個性」で居場所を確保している人が少なくありません。
細かいところによく気がつく人、退屈で地道な作業を嫌がらない人、物知りで何でも聞きやすい人等々。最近は同僚の作業効率化のためのマクロを組んであげるという人も出てきました。
地味な存在なので昇進のための評価につながりにくいのですが、「職場にいてくれると助かる」ポジションにはなりえます。
ただしこれらは周りから「便利屋」扱いされ何でもかんでも仕事を丸投げされてオーバーフローを起こしやすいので、時には「それはできません」と断る勇気も必要だと思います。

別にキラキラしていなくてもよい

一番初めの記事にも書きましたが、私はテレビ番組で取り上げられるような「キラキラ系発達障害者」ではありません。よく発達障害者は勤め人よりフリーランスや自営業が向いていると言われますが、私がやったことはただ「会社に居座り続ける」ことだけでした。もっと言えば「仕事も面倒だけど退職手続きはもっと面倒臭いので結局退職を先延ばしにしている」というほうが自分の体感に近いかもしれません。

世間的なキラキラとは程遠いけれど、「こんな自分でも会社を続けられた」というささやかな自信はついたので、それでよしとしています。なにしろ就職当時は家族からも友人からも「会社勤めには全く向かない人」だと思われていたし自分でもそう思っていましたから。
他の同世代の人と比べてしまうと正直自分の人生は物足りない部分が多々あるけれども、元々自分の持っているスペックに対して納得感が持てればそれで充分だと思っています。

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