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私のツイート方針変更について。

昨日、このようなツイートをしました。

具体的には、

「発達障害(ASD、ADHD)」を主語にツイートするときはポジティブな内容に限定する。ネガティブな要素があっても結論は必ずポジティブにする。
ネガティブな内容のツイートをするときは特定の事例にとどめ「発達障害(ASD、ADHD)」を主語にしない。発達障害の特性の問題を語る場合はここ(note)を用いる(note更新を知らせるツイートは可とする)。

というルールを自分に課すことにしました。

このような結論に至った理由は色々ありますが、主な理由としては私自身の「思考の言語化プロセスの問題」と「白黒思考の問題」、そしてTwitterの「文字数140字の限界」と「拡散されやすさ」が挙げられます。

①思考の言語化プロセスの問題

度々ツイートの中でも紹介していますが、私は視覚優位/同時処理型の認知特性のため、感知または思考してから言語化するまでのプロセスにとても時間がかかります。大袈裟に言えば誰かと話したり何かを書く時には普段脳内で思考される漠然としたイメージを言語に「翻訳する」作業を常に行っています。
その言葉を選んだり組み立てたりすることにとても時間がかかるので、一つのツイートを投稿するのに10~20分ぐらいかけて書き直したり編集したりしていることも多いです。結局最後まで文章にまとめることが出来ず削除してしまったものもたくさんあります。
(実は前回のブログ記事も書き始めてから投稿するまでに5時間ぐらいかけてます。おそらく普通は30分ぐらいで書ける分量でしょう)

このように、ツイート一つとっても言いたいことの言語化がスムーズにいかないので、書いている間は「とにかく私の思考を言語化しなきゃ」で頭がいっぱいになってしまい「読み手が私のツイートを読んでどう思うか?」というところまでとても気が回らないのです。そのために無意識のうちに読み手を不安にさせたり傷つけたりすることが多々ありました。

また、私のツイートに対してリプライを下さるのはとてもうれしいし励みになるのでありがたいのですが、その返事を書くのにまた言葉を選んだり文章を組み立てるのに時間がかかるので、全てのリプライに返事ができず申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自分のリプライを私に無視されたと思われた方も多いと思うので、本当に心苦しいです。

元々私のTwitterアカウントのフォロワーさんは発達・定型関係なく感受性が豊かで繊細な感性の持ち主の方が多いですし、そういう方々は自身がツイートするときは自然に読み手の気持ちを想像していますから、私のツイートを見て「何故この人はこんな無神経なツイートをするのだろう?」と違和感を覚えたのではないかと思います。そのことを気づかせてくださったフォロワーさん達には感謝しかありません。

②白黒思考の問題

私はASD当事者の中でも特に白黒思考が強いタイプと自覚しています。実際友人からも「Luちゃんは何でも白黒つけないと気の済まないタイプだよね」と指摘されたこともあります。
割と気が変わるほうなので白黒の内容にずっと固執しているわけではないのですが、その時その時で物事に白黒つけて自分を納得させる癖があるように思います。
そのような思考の持ち主がツイートするとどうなるかというと、例えばこんな調子になります↓

今から読み返すと「当事者としては自明」「結局~でしかなく」「ASDにもできるのです」などと「客観的根拠もないのにずいぶん自信満々に言い切ってるな」と苦笑してしまうのですが、これも一部当てはまるに過ぎないことを全部あてはまるととらえる白黒思考のために「私はできる」→「私はASD」→「ASDならみんなできる(だろう)」と私個人の感覚をASD一般に広げてしまった例ではないかと思っています。

かなり反応の大きかったツイートでRTも多かったのですが、「じゃあ自分が共感と思ってるものは共感ではないのか」と多くのASD当事者の方を不安にさせ落ち込ませてしまったことに気がつきました。そのことについては今も後悔しています。

③Twitterの仕様の問題

TwitterはRT機能により投稿が不特定多数の読み手に拡散されやすい特徴があるため、情報発信や宣伝のツールとしてはとても優れていると感じます。1つのツイート当たり最大140文字と比較的少ない文字数で気軽に投稿できるため、匿名で本音を言いやすいというのも人気の理由でしょう。一方でRTにより自分のフォロワー/フォロイー外にどんどん拡散されていくとツイートした本人のプロフィールとは関係なくツイート内容そのものが読み手の解釈に任されるため、時としてこちらの意図とは全く違う解釈をされて面喰うこともあります。例えばこれはかなり昔のツイートですが、

このツイートに対してはたくさんの共感をいただいた一方で、「親の過干渉が辛いと言っても何がどう過干渉なのかの具体的説明もないし、他人の親を貶すこともできないから無難なことを言うしかないんじゃないか」と「相談された相手」の立場に立った意見も目立ちました。実際の場ではどう過干渉なのかを具体的に相手に説明はしているのですが、その内容を書きだそうとするととても140文字では収まらないので省略せざるを得ないのですが、その省略した部分がわからないと共感は難しい、という人がいるのはもっともなことだと思います。
「細かい事情は140文字の中では書ききれないので察してね」という気持ちでツイートしても読み手はこちらのプロフィールを全く知らないのだから察しようがないのだ、ということを痛感しました。よくよく考えてみたら当たり前の話なのですが、私のように「何事も「自分視点」で考えてしまう」特性を持っているとこの思考の罠に引っかかってしまうように思います。

また、140文字には収まりきらない内容を複数のツイートをつなげて投稿すると、その一部だけがやたらRTされて内容に文句を言われる、という経験をした人もいるのではないかと思います。よく「ちゃんと前後のツイートを読んでほしい」というツイートをTLで見かけるので、全体の趣旨が正しい形で伝わらず悩んでいる人も少なくないと思います。たまに長文のメモ書きをスクリーンショットで画像ツイートしている人がいますが、その方が言いたいことが最初から最後まで一回で伝わるメリットはありそうです。

本質的に発達障害の特性についてはとてもTwitterの文字数では説明しきれないものだと思います。このため、このテーマについては今後はnoteでじっくり語ろうと思います。
おそらくnote更新の頻度が高くなると思いますので、ご興味ある方はたまに見に来ていただければ幸いです。

私のTwitterアカウントもツイート内容は少し変わりますが、引き続きよろしくお願いします。

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