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受動型ASDの「内モード」について。

最近「カサンドラ症候群」と呼ばれる、ASDの配偶者と情緒的な交流が持てないために心を病んでしまう定型発達者(特に女性)が増えていますが、興味深いことに彼女たちが指摘するASD配偶者の殆どが「受動型」なのです。積極奇異型や孤立型に比べて比較的問題の少ないと言われる受動型ですが、一体彼らの何がパートナーを苦しめるのでしょうか?どうやら仕事や社交の場で定型発達のようにふるまう「外モード」を離れて、家族やパートナー等彼らが「身内」と判断した相手にだけ見せる「内モード」が問題のようです。受動型ASD当事者の一人である私の感覚や過去の経験と照らし合わせながらこの「内モード」を考察してみたいと思います。

①リラックスすると無口になり「自分の世界」にこもってしまう

定型発達者にとって不可解な受動型ASDの行動の一つに、「親しくなった途端無口になり他人に興味を持たなくなる」というのがあります。
相手がそばにいてもずーっとゲームをしてたりスマホを見ていたりして相手に話しかけようとしないので、相手は自分が無視されたように感じてしまいます。

しかしこれはむしろ相手に対して安心感を覚えているからです。多くの受動型ASDはリラックスして安心してるとかえって無口になってしまいます。自分の思考や感情を言葉で表現することに余計なエネルギーを要するので、何も言わずに過ごすほうが楽なのです。
特にパートナーや家族と一緒にいると安心して自分自身の世界にこもってしまいがちです。ちょうど猫が夜中にニャーニャー鳴いて人を起こして、人が起きると安心して寝ちゃうみたいな感じに似ているかもしれません。
起こされてしまった人はたまったものではないでしょうけどね(笑)。

ASD傾向のある人は常に漠然とした不安感を抱えていることが多いので安心できる場所や安心させてくれる人を必要としています。
なので、「楽しい人」「明るい人」より「安心できる人」の方が好ましいと感じるASD当事者は多いと思います。
ASD傾向を持つ人にとって「安心できる」というのはとても大事で、「安心させてくれる人」というのは最大のほめ言葉といっていいかもしれません。でも定型の人にとっては少し物足りない表現かもしれませんね。

定型の人が感情表現の控えめな人に対して「本当のあなたを見せてほしい」と言うときは、普段は人に見せない本音や正直な気持ちを饒舌に語ってくれることを期待していると思います。
でも受動型ASDにとっての「本当の自分」は完全に自分の世界に入ることなので、一旦相手に心を許すとますます無口になってしまうのです。
受動型ASDにとって自分らしくいられることが、定型発達の相手には逆に「こっちに心を許してない」「本心を見せてくれない」と失望させ、不信感を抱かせてしまいます。

②「思っているだけ」で実際やっているつもりになってしまう

「他人に興味がない」「自分から動こうとしない」「何でも人任せ」と言われてしまう受動型ASDですが、結構頭の中では色んなことを考えています。しかし考えているだけで具体的なアクションの仕方がわからないので、どうしたらいいかグルグル考えているうちに何だか自分でも何かやった気になってしまいます。
よく「参考書を買ってきただけで勉強した気になってしまう」人がいますが、受動型ASDの心の動きはこれと近いものがあると思います。

私が小学4年生の時、大阪から転校で移った先の東京の小学校では授業の一環で5~6人班単位でグループ活動をすることが多かったのですが、私は他の同級生たちがせっせと手を動かして発表準備をしているのを見て自分もその活動に参加しているつもりになっていました。
そんなある日、ある同級生から「Luさんいつも突っ立ってるだけで何もしないよね?それって感じ悪いよ。他の子たちもみんな言ってるよ。そんなに今の学校が嫌なら大阪に帰れば?」と言われて衝撃を受けたのでした。

当時の私の頭の中はフル活動で「あーどうしよう。やらなきゃ」「どうすればいいんだろう」「まず状況を読まないと」と色んな考えがグルグルしていたのです。しかしよくよく振り返ってみれば私は自分からの具体的な働きかけを何一つしていなかったのでした。いわゆる「フリーズ」というものかもしれません。
一般的に、活動に積極的に参加しないということは「やる気がない」「関心がない」「つまんないと思っている」という印象を人に与えます。自分から何も動いていない私は彼らから見ると無責任に見えたようでした。自分の中ではすっかり脳内で参加しているつもりだったので「何でそんな風に言われちゃうのかな」と凹んだ記憶があります。

電話応対をしながら一心不乱に書類整理をしている同僚を見たり、ぐずる子供をあやしながら料理をしている家族を見ると「忙しそうだな、大変そうだな」と心から同情している受動型ASDの人は多いと思います。
しかし「どうしたら彼らを楽にできるのか」がわからないので、「自分は彼らに同情した」というところで思考が止まってしまいそのままになってしまうのかもしれません。

③人間関係を不変のものだと思ってしまう

受動型ASDは一旦パートナー関係を確立した途端、相手に全く関心を向けなくなるように見えるので、定型発達の相手を当惑させ悲しませるという話は①でもふれましたが、別に彼らは相手のことに興味をなくしたわけでも、まして嫌いになったわけでもありません。むしろ相手と夫婦関係でいることに安心感を覚えとても満足しているというASD当事者のほうが多いのではないでしょうか。
しかしその事を言葉や行動に表さないで自分の脳内で「そう思っている」だけなので相手は「私のことはどうでもいいと思ってるの?」と不信感を抱いたり悲しくなってしまうのです。

そのような状態が長年続いて、相手が自分に対して激しい不満を表明しだすと「何で?自分は相手に不満はないのに」と当惑し不思議に思います。自分が相手を好きなのだから相手も自分が好きだろうと素で思っている。好きならその気持ちが相手にしっかり伝わるような言葉や行動が必要なのですが、それがなぜ必要なのか彼らにはピンと来ないのだと思います。

その原因として、どうやら受動型ASDは人間関係を不変のものととらえている可能性が考えられます。
このことは私自身思い当たる節があります。

中学の時、一番の(というより唯一の)級友と原宿に遊びに行った時のことです。よく当たると言われる占い師さんにそれぞれ性格診断をしてもらったところ、私については「あなたきっとおっちょこちょいだね~内ヅラ悪いね~」と言われたのでした。
私は「おっちょこちょい」という自覚はありましたが「内ヅラが悪い」というのは自覚が全くなかったのでピンと来なかったのですが、友人は「すごいわかるー、Luさんって内ヅラ悪いんだよね!他の人たちにはものすごく気を遣うのに私にはすごくそっけないし扱いがぞんざいだもの」と大いに納得をしていたものです。そして彼女からはこうも言われました。
友達なんだから、たまには私のことを考えてよね
そのように言われた私は「え?私たち友達だよね?わざわざ気を遣う必要ってある?」と当惑したものです。

彼女のことは共通の趣味(音楽)のことで何でも話せる相手でした。ファッションに敏感な彼女からは度々「ダサいね~Luさんは」とダメ出しを受けながらファッションについて教えてもらい、私は彼女に数学や理科を教えたものです。学校ではいつも一緒にいて、放課後も度々彼女の家に遊びに行ったりしていました。
何もしなくても彼女は私の友人だと安心していたので、「私たち友達だよね~」といちいちお互いの友情を確かめ合う必要はないと思っていたのでした。それは私にはむしろ表面的な「友達ごっこ」のように見えました。

「あなたとは友達(夫婦)だから特別に何かしてあげたい」と考える定型発達と違い、「あなたとは友達(夫婦)なのは事実だから別に特別なことをしなくてもよい」という発想なのですよね。
欧米のカップルがことあるごとに「愛してるよ」とパートナーに言うというのを聞いて「そんないちいち口に出して言ってあげないと信じてもらえないのかな」と思ったものです。

人間関係は維持する努力を怠れば簡単に壊れてしまう」「人間関係を維持するには常日頃から自分の気持ちを相手にわかる形で伝えることが必要」ということに気づいたのはずいぶん後になってからです。
こちらは相手と一緒にいて心地好いと思っていても、実際は相手の気持ちを一方的に受け取って満足してるだけなので、こっちの気持ちをハッキリと伝えないと相手は「与えるのはいつも私ばかり」となって心が空虚に感じてしまうでしょう。

受動型だと「人からの誘いを断らない」というのは優しさだと思ってしまいがちですが、常に相手に気を遣わせる/考えさせているという点で実は自分が思っているほどには相手に優しくはないのです。たまには自分から誘ってみることも必要でしょう。受動型ASDにとってはとても勇気のいることなのですけどね。

定型世界では「考えてるけど伝えてない」は「考える気がない」と思われる

受動型ASDはしばしば自己像と他者から見たイメージにギャップを感じることがあります。自分では脳内であれこれ余計なことまで考えて疲弊しているのに他人から「何も考えてなくてお気楽そう」と思われて反発を覚えることもあります。
これはいくら脳内で一生懸命考えても、そのことを言葉など明確な形で発信しないと「自分は考えてる」ということ自体相手に伝わらないからです。

不安感が強い受動型ASDにとって、自分の思考や感情を言語化して相手に伝えることは心理的にも大きなハードルがあります。しかしこちらからの発信がないと相手もこちらが何を考えているのわからず「何も考えてないの?」と思わせてしまいます。
せっかく色々考えているのに伝えることをしないために人から「最初から考える気がない」と思われるのは悔しいですよね?

私の高校時代に、何を思ったか同級生の一人に自分のエッセイを書き連ねたノートを見せたことがあります。
その時彼女から言われてたのは「今までLuのことバカだと思ってたけど、意外に色々考えてるんだね。ビックリした」というものでした。
「バカというのはさすがに言いすぎじゃないか」と一瞬ムカッと来たのですが、それまで自分の言いたいことをその場でうまく言葉にできないために何も言わず黙っていたことが多かったので、彼女から見ると私は「何も考えてない子」にしか見えなかったのかもしれません。ノートに自分の考えを文字で表現することで、私にも少しは頭があったことが彼女に伝わってよかったです。正直言って読み手を無視した独り言的な内容ではありましたが、それを彼女はユニークだと思ってくれたようです。

超絶口下手で文字で自分の意見を伝えたほうがずっと楽な私にとって、今はSNSやLINEなど文字情報で自分の考えをすぐに相手に伝えられるので良い時代になったと思います。これからも「みずから積極的に発信する」を意識して「こっちだって少しは考えてる」ということが人に伝えられたらいいなと思います。


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