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L-TRIPインタビュー企画 #2-1(前編)『小児白血病と間質性肺炎』

L-TRIPでは、「間質性肺炎と肺移植に関する情報不足と不安を解消し、人々の自己実現に貢献する」ことを目標としています。これを達成するために、間質性肺炎や肺移植の経験者、それに関与する医療従事者等にインタビューを行い、生きた経験談や意見を蓄積していく予定です。
このインタビュー企画の第2弾では『小児白血病と間質性肺炎』というテーマで、急性リンパ性白血病と特発性間質性肺炎の両者を経験し、現在も闘病中のT.Nさんにお話を伺いました。
(インタビュー実施日:2022年8月9日(火)、オンライン実施)

▼中編▼

▼後編▼


ゲスト:T.N.さん
20代男性。小学校3年生の時にフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病(Ph+ALL)を発症、造血幹細胞移植を経験。その後中学校、専門学校等を卒業し、現在は慢性GVHDによる間質性肺炎を発症。現在は自宅療養中。


1. 患者さんの自己紹介

— 本日はどうぞよろしくお願いいたします。簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
T.N.です。小学生の時に急性リンパ性白血病を発症しました。そちらは治癒したものの、治療後10年程経って間質性肺炎を発症しました。白血病治療時の骨髄移植のGVHDの影響で肺が悪くなっていると医師からは聞いています。現在は自宅療養中です。どうぞよろしくお願いいたします。

— 間質性肺炎の中でもGVHDに由来するものを経験されている患者さんは貴重だと思います。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

(GVHDは移植後の副作用の1つです。詳細は中編以降で補足します。)


2. 病気との付き合いの始まり

—当初の疾患の発症期、現在の肺の話と順を追ってお話を伺おうと思います。
最初に病院との接点があったのは、小学校3年生の時です。元気に過ごしていたはずだったのですが、ある時から急に腰が痛くなり、1週間程度で動けなくなるために悪化してしまい、整形外科を受診したのが始まりでした。
そのときには椎体の圧迫骨折であると伝えられましたが、小学3年生という若さでそのような骨折が起こるのはおかしいと考えた先生が血液検査をしてくれました。
その結果、白血球が 15,000 /µL 以上と異常髙値(正常値は4,000〜9,000/µL 程度)だったようで、受診の翌日には地元の大きな病院に運ばれ、検査入院という形でしばらく入院することになりました。

—そのときには、自分がなぜ入院しているのかしっかりわかっていましたか?
私はその時、腰が痛かったのもあり「骨の病気」だと思って入院していました。両親にもそう言われた記憶があります。その時はまだ小学3年生だったのもあり、具体的な病名などは教えてもらいませんでした。白血病だと自分で認識したのはだいぶ後だったかなあと思います。あまり覚えていませんが。

—小学生の患者本人に病気の告知をするのは非常に難しいと思うので、ご両親もとても苦労されたことと思います。
とにかく親からは「入院しなくちゃいけない」ということは言われました。入院したのが2月14日のバレンタインデーだったことは今もよく覚えていますね…笑


3.白血病の治療の始まり

—そこから、白血病の治療が始まったわけですね。
はい。私の病気は「フィラデルフィア染色体陽性* 急性リンパ性白血病*」という長いもので、当時は明確な治療法がありませんでした。そのため、治療も化学療法、放射線療法、骨髄移植とフルコースで行う必要があり、地元の病院ではなく名古屋にある大きな病院に転院することとなりました。

*急性リンパ性白血病:白血病の中でも、リンパ球と呼ばれる細胞が異常に増殖するものを指します。小児の白血病では最も多い分類です。

*フィラデルフィア染色体:人間にある染色体の9番と22番に転座(入れ替わり)が起こることで生まれた異常な染色体のこと。慢性骨髄性白血病や成人の急性リンパ性白血病で見られる事があります。

—転院したあとの治療生活について覚えていることはありますか?
抗がん剤を使っていた時の副作用で、吐き気が本当に辛かったことをよく覚えています。私の場合、最終的には移植を行うために、身体の中の白血病細胞をできる限り減らしておく必要があったそうで、かなりの量の抗がん剤を使用しました。その分吐き気もすごかったです。
薬に関してはよくわかりませんが、親に聞いたところによると、グリベック*という薬の治験にも参加していたらしく、今はその薬が結構治療に使われるそうです。

*グリベック:慢性骨髄性白血病の治療薬として承認された分子標的薬(がんなどの原因になるタンパク質を標的にし、他の細胞に与えるダメージが小さくなるよう設計された薬)。成分名はイマチニブ。

また、移植直前までは病室が大部屋だったのですが、同室には同じような病気で骨髄移植を待っている子達がいました。似た境遇の子が意外といるんだなあとびっくりしたことを覚えています。
ただ、その子たちの中で病気が治癒して現在も元気にしている子は少ないので、自分も含めて厳しい状況の中必死に闘病していたのだと、今になって振り返ります。


4.骨髄移植

—骨髄移植が受けられたということは、無事にドナーさんが見つかったんですね。
はい。骨髄移植に必要な血液の型は兄弟や両親と一致しなかったのですが、骨髄バンクで奇跡的にドナーさんが見つかり、入院した年の8月に移植にたどり着くことができました。最初に腰の痛みで病院にかかったのは2月だったので、ここまでわずか半年の出来事です。激動でした。

*骨髄移植:造血幹細胞移植。通常の化学療法や免疫抑制療法だけでは治すことが難しい血液がんに対して行われる治療。正常な血液を作るための元になる造血幹細胞と呼ばれる細胞を、ドナーから自分の体内に移植する。
詳細は以下のリンクから。

*骨髄バンク:造血幹細胞移植が必要な患者さんのために、血縁関係のない健康な人から提供される骨髄を患者に届ける業務を担う公的機関のこと。日本では、日本骨髄バンクが該当する。

日本骨髄バンクHP(https://www.jmdp.or.jp/)より

—兄弟や親と型が一致しない時、骨髄バンクの存在は非常に大きいですね。移植の前後については覚えていますか?
さすがに移植の瞬間については覚えていないですが、多少前後のことは覚えています。移植が間近になると大部屋から無菌室に移動し、放射線治療を受けました。このときの放射線は、残っている白血病細胞を死滅させるためのものなので、もう致死量のような放射線を浴びたらしいです。あとから聞いた話ですが。

*無菌室:感染予防のために、特別な空調を使用して空気を清潔に保っている部屋のこと。大量に放射線を照射する、大量の抗がん剤を使用するなどで免疫力が一時的に極端に落ちている患者さんを守るための部屋。

移植後数日間が山場と言われていましたが、運良く特に大きな拒絶反応はありませんでした。無菌室からは1週間位で出られたような記憶があります。退院するまでどれくらいだったか詳細には覚えていませんが、入院時から数えると1年くらいだったと思います。

—移植を受けられたこと、大きな拒絶反応なく退院まで行けたこと、本当に良かったです。
ありがとうございます。骨髄移植を受けると、血液をすべて入れ替えることになるので、血液型がドナーさんのものに変わります。髪質なども変化しましたね。移植前に致死量の放射線を浴びており、身体としては1回死んでいるようなものなので、本当に新たに生まれ直したのだと思っています。
骨髄移植を受けた8/2は、私のもう1つの誕生日です。

—もう1つの誕生日ですか、様々な意味を含む深い表現ですね。

(中編『5.移植後の生活』へ続く)

進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP発起人。患医ねっとスタッフ。薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。

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