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L-TRIPインタビュー企画 #2-2(中編)『小児白血病と間質性肺炎』

本記事は前編・中編・後編の3部構成の中の「中編」となります。
▼前編▼

▼後編▼


ゲスト:T.N.さん
20代男性。小学校3年生の時にフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病(Ph+ALL)を発症、造血幹細胞移植を経験。その後中学校、専門学校等を卒業し、現在は慢性GVHDによる間質性肺炎を発症。現在は自宅療養中。


5. 移植後の生活

— 無事に骨髄移植を終え、その後の生活はどのようなものでしたか?
移植直後から肝臓の数値が悪化してきていました。医師からは急性のGVHDと言われましたね。肝臓の数値はそれから数年間高止まりで、慢性期の症状も出ていると説明を受けました。ただ、特段なにか症状があったわけではなく、薬をたくさん飲んでいた記憶があります。

— 当時はどのような薬を飲んでいたのですか?
ウルソ錠(ウルソデオキシコール酸:肝機能の改善のための薬)やユベラを含め、骨髄移植後の免疫抑制剤なども飲んでいたので、10種類近くありました。退院後は大量の薬を母が沢山仕分けてくれていたのが印象的です。

薬のイメージ画像(本当にこれくらい飲んでいたとのことです)

6. 学校生活

— 小学3年生の時に白血病を発症されたとのことですが、学校はどのようにされていましたか?
入院中は院内学級に転校するという形を取っていました。病室の近くに教室があり、同じ年代の子達とわいわい話せる機会だったので楽しかったですね。クラスみたいな感じで。車椅子を高速で走らせて、「車椅子暴走族」をやって看護師さんに怒られた記憶があります笑

退院してしばらくした後は小学校に戻りましたが、体調を考えて午後の授業だけ受けて帰ることもよくありましたね。よく両親に迎えに来てもらっていました。その頃はステロイド治療によるムーンフェイス*も出ていたので、ちょっとやりづらかったですね。

*ムーンフェイス:ステロイド治療による副作用の1つ。免疫抑制の治療などのためにステロイド薬を長期に中等量以上投与すると、顔に脂肪が蓄積し、「満月様顔貌」と呼ばれる丸い顔になることがある。ステロイド治療を離脱すると改善される。

中学校に上がってからは、仲の良い友達ができて、それなりに楽しく学校生活を送っていました。中学3年生に上がった頃から一瞬グレて、学校に行かなくなることはありましたが…笑

— そうすると、学校生活を送る上で、ステロイドの副作用を除くと、あまり健康上の問題はなかったんでしょうか?
必ずしもそうではなかったです。退院してからはてんかん*があったので、色々と生活が送りづらい面はありました。医師からは移植の際に脳に大量の放射線を当てた影響ではないか、と説明を受けています。小児脳神経内科に通うようになり、薬を飲んでいたものの、小学校高学年〜中学生の3年生頃に症状が出ていましたね。

*てんかん:突然意識を失って反応がなくなるなどの「てんかん発作」を繰り返し起こす病気。脳の神経細胞(ニューロン)に突然発生する電気的な興奮が原因。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_epilepsy.html

あとは肝臓の数値が高いことは継続していましたが、あまり健康上の問題になることはありませんでした。肝臓は再生機能に優れるとは本当ですね。学校に行くときには自転車も乗り回していましたし、今思うと肺は本当に健康でしたね。

— なるほど、てんかんも抱えながらの学校生活だったのですね。その中でも楽しみを見つけて生活していたのはとても素敵です。 中学卒業後はどのように生活されていたのでしょうか?
実は、私の実家が飲食店を経営していることもあり、いつか調理師免許を取りたいと思っていました。ただ、専門学校の入学には高校卒業の資格が必要で。中3の時に少しグレていたのもあり、しばらく会っていないクラスのみんなと再会するのもやや気まずかったので、別の高校に行きました。

この頃も体調がよく、肝臓の数値も落ち着いてきていました。通院も半年に一回くらいでしたね。 てんかんの発作も全くなくなっており、高校3年生のときにはバイクの二輪免許も取れるほどでした。

高校を卒業後は調理師免許を取るために、県外へ進学しました。専門学校に通いつつ割烹料亭に住み込みで働くようになりました。働いた分お給料も貰えていたので、とても充実していました。

割烹料亭で勉強したため、今でも自宅で海鮮丼を作ったりしているそう。
こちらは漬け丼。盛り付けが素敵です。

7. 肺の異変

— 専門学校へ通いだしてから、体調上の変化はありましたか?
実は、本題である肺が気になり始めたのがこの頃です。県外へ住み込みで働くようになってから、時々風邪を引いていました。働きだした後だったのでおそらく疲れもあったのだと思いますが。

ちょうどその年に、骨髄移植後のフォローアップということで全身検索をして異常がないか検査をしました。移植後10年の節目だからでしょうか。その時に呼吸機能が落ちているということを指摘されました。

— 間質性肺炎の診断はその時にされていたのでしょうか?それとももっと後ですか?
実はここで間質性肺炎の診断がされていたようです。原因は明確ではなかったのですが、造血幹細胞移植後のGVHD*によるものではないか、ということでした。とはいえ、私としては特に体調の異変も無かったので、あまり気に留めることなく生活していました。

*GVHD(移植片対宿主病):移植後に特有の合併症で、ドナー由来のリンパ球(白血球の一部)が患者さんの正常臓器を異物とみなして攻撃することによって起こる臓器障害。「拒絶反応」とは攻撃する側とされる側が逆。
急性と慢性に分けられ、急性では皮膚・肝臓・消化管など、慢性では皮膚・口腔粘膜・眼球・肺に障害が起きることが多い。

— なるほど、その頃大きな症状はまだなかったのですね。
ただ、その年の冬、ちょうど2016年の年末ですね。初めて肺炎を起こしました。きっかけは些細な風邪だったのですが、なかなか治らず、一旦実家まで帰って治療することになりました。住み込みで働いていた県から実家のある県まで電車で帰ったのですが、もう身体がボロボロで、死ぬんじゃないかと思うくらい体調が悪かったのをよく覚えています。

結局実家に戻っても良くならず、入院することになりました。相当まずい状況だったようで、数日だけですが小児ICUにも入ることになったそうです。私は覚えていませんが。

— かなり危ない状態だったのですね。
後で親から聞いた話だと、先生からは「結構厳しい状況なので、もしこのまま状況が悪くなったら気管切開*します」とも言われたようです。なんとかそこまでは行かずに持ちこたえましたが…。

*気管切開:呼吸が適切にできない場合に、肺に空気を送ったり、痰を吸引しやすくするために気管に穴をあけて管を通すこと。


8. 自宅療養へ

— 風邪から始まった肺炎で、相当長く入院していたのでしょうか。
いえ、一度危ない瞬間はありましたが、その後は想像以上に早く体調が戻り、1ヶ月経つ頃には退院し、専門学校の方に戻れることになりました。
ただ、学校2年目の頃、もう5年以上は出ていなかったてんかんが再発してしまいました。原因はよくわからないのですが、一度体調を崩した際のストレスもあったのではないかと考えています。結局、自分で体調を管理しきれないと考え、学校を途中で辞めることになりました。

— 色々と重なってしまったのですね。それ以降は実家に戻って暮らしていたのでしょうか。
そうなります。てんかんも薬が変更になり、現在も飲んでいるビムパット*という薬になりました。この変更でてんかんは落ち着いたものの、この頃から精神障害者手帳を貰うことになりました。また、呼吸器の通院では間質性肺炎に対してステロイドの治療が始まりましたね。

翌年の年始にも一度肺炎を起こしました。日記に2/14と書いてあるので、またバレンタインデーでしたね。最初に白血病で入院したのも小学生の頃の2/14でした。風邪っぽいなと思って近くの診療所に行ったのですが、帰ってくる頃には呼吸不全を起こしてしまい、家の近くで倒れてしまう程でした。症状が出始めてから悪化するまでが早すぎて本当にびっくりしました。

— 相当免疫力が低下している状態だったのでしょうか。
おそらくですが、先程申し上げたステロイドを飲み始めた直後だったのもあり、その影響だったのではないかと思っています。事実、この肺炎が治ってからはステロイドは中止になりました。


9. 人生初の疾患たち

— 肺炎を起こして、肺機能が下がるようなこと。
この頃は普通に階段も上がれたし、趣味のサバゲーもできていました。普通の人よりは疲れるなあとは思っていましたが。このときも、自分が間質性肺炎であるという認識はあまりありませんでした。

ちなみにこの頃に大腸ポリープや尿路結石になったりしましたが、その話は一旦今回は置いておきます。1つ言いたいのは、尿路結石は本当に痛いです。痛そうな検査といえば白血病のときに骨髄穿刺*をしているわけですが、あれは麻酔しているので。しかも尿路結石は一瞬じゃなくてずっと痛いので…。みなさん、健康には気をつけましょう。

*骨髄穿刺:白血病などにおいて、骨髄と呼ばれる骨の中の組織の状態を調べるために、骨(主に腸骨と呼ばれる腰の骨)に針を刺して吸引すること。「マルク」と呼ばれることもある。

— 尿路結石は皆が口を揃えて「人生で一番痛い」と言いますからね…。大変でしたね。
変化があったのはまた1年くらい経ってからです。突然息苦しさを感じたことを覚えています。サチュレーション*を測ると94%くらいになっていて、病院に連れて行かれました。なぜか「筋肉痛」と診断されましたが、結局治まらずに救急に駆け込んだら、結局は左肺の気胸(肺に穴が空いてしまい空気が漏れる状態)だと診断されました。

*サチュレーション:血液中のヘモグロビンと結合した酸素の割合を指し、概ね血液中の酸素の量の指標になる。パルスオキシメーターと呼ばれる機器を用いて自宅でも簡便に測定できる。

パルスオキシメーター

医師からは「溜まった空気を抜きます」と言われたので、注射針のような細いものを一瞬刺して終わりかと思ったら、太いチューブを胸に突っ込まれて入院、という形になったので相当驚きました。家族もびっくりしていましたね。身体から管が繋がっていたので…。

結局1ヶ月くらい入院する事になりましたが、この頃から先生からも「肺移植」という言葉が出るようになったことははっきりと覚えています

— 肺移植について初めて知った時のことなど、色々と聞かせてください。

(後編『10. 肺移植への意識』へ続く)

ゲスト:T.N.さん
20代男性。小学校3年生の時にフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病(Ph+ALL)を発症、造血幹細胞移植を経験。その後中学校、専門学校等を卒業し、現在は慢性GVHDによる間質性肺炎を発症。現在は自宅療養中。

進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP発起人。患医ねっとスタッフ。薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。


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