LTRA4-6「Blessing Rain」

 銃声が鳴ったと同時に、ドイツ人の白っぽい皮膚に赤い線が走り、痛覚の反応に歯を軋ませる。目の前には、表情を変えないフランス人。
「何……?」
と呟くモンドの目に、震える銃口が映る。その主は、小城に馬乗りになるボーイッシュな少女。その目は、殺意を帯びている。
「お前……!」
モンドがドイツ語を張り上げ、詩応に銃口を向ける。それと同時に
「アルス!」
と少年の声が響き、銃が宙を舞った。……日本人でなければ銃には触れないが、例外は有る。
 アルスはその場に跳び上がると手を伸ばし、握り締めていたハンカチをクッションに、重ねた両手を銃身に叩き付けた。突然軌道を変えた銃身は、モンドの額に激突し、地面に跳ねる。
「がっあ……!!」
脳を揺さぶられるような感覚を引き連れる激痛に、モンドは低い呻き声を上げて額を押さえる。その手には、粘性を持った赤黒い液体が絡みつく。
「ぐっ……ぐ……」
殺意と苦悶が混ざる顔が捉えたのは、涼しい顔で立ち上がる少年。撃たれて瀕死だったハズでは……?

 アルスは隣にいる流雫に、血糊カプセルを手渡した。雨で破れかけていたのは好都合だったが、銃声に合わせて銃のグリップに擦り付けて完全に潰し、掌に乗せてシャツに擦り付けた。
 撃たれたように見せ掛け、澪を近寄らせる。彼女の混乱は、モンドを油断させた。今し方ブラフを見せられたばかりだが、流雫のタイミングが秀逸だった。
 流雫が必死で銃を手にしたから、澪は泣きながら祈る……ように見せ掛け、少年の腕の軌道を空けた。そして流雫は、アルスに銃を託すべく、詩応の銃声をシグナルに自分の銃を放り投げる。
 ……銃に触ってはいけないが、飛んできた危険物を弾くのは身を護るための例外。そう解釈したアルスは、モンドに向けて銃身を殴った。
 幾重にも重ねたブラフが織りなす、世界一のチームプレイ。翻弄されたモンドにとって、最大の盲点だった。

 「カンヌに行くのは僕だ」
と言い、流雫は汚れたワイシャツを脱ぐ。トリコロールのTシャツが露わになると、微かに身軽になる。その隣には、瀕死の恋人にパニックを起こしていた少女が立つ。
「あたしもいっしょにね」
と言った澪は、再度モンドに険しい目を向ける。その後ろには、小城を取り押さえたままの詩応がいる。警戒は緩めない。そしてプリィとセバスは、その隣に寄る。
 「アリスは何処だ!?」
と声を張り上げたモンドに、アルスは答える。
「警察が保護している」
 アリスは今、病室で警察の取調べを受けている。大教会で撃たれたことが直接の理由だったが、彼女の警護には最適だった。
 教団から迎えが来ることは判っていたから、アリスとセブはプリィとセバスに全てを託し、隣の空き病室に身を隠していた。そして誰も、身代わりの正体に気付かなかった。
 「ヴァイスヴォルフの手下に、教会でアリスを撃つよう命令したのはお前だろ?だが撃たなければ、保護されることは無かった」
「アリスが撃たれても死ななかったのは、ソレイエドールの守護が有ったから。女神はお前ではなく、アリスを選んだ」
アルスに続いた流雫の言葉に、モンドの怒りは露わになる。しかし、今度は詩応が援護射撃に出る。
「今はクローンを認めない。でも時代は変わる。いずれ、手を差し伸べるべき時が来る。それが今と云うこと」
しかし、ドイツ人は今ここで引き返すことはできない。
 ツヴァイベルク家の名誉のためには、何としてでも再度東京の地から、アリスの宣誓を引き出さなければならない。そのためだけに、この極東の島国にいるのだ。顔に泥を塗った罪は重い。
 「聖女に手を出すなら、あたしが止めてみせるわ!」
そう言った澪を、モンドは標的に据えた。ボブカットの女を仕留めれば、残りを黙らせることができる。
 澪に銃を向けるモンドに、流雫は丸腰のまま言った。
「戦うなら僕だ」
銃弾は2人合わせて残り6発。詩応を合わせても7発。しかしモンドは防弾スーツを着る上、流雫の銃は地面に転がったままだ。
 誰がどう見ても不利。しかし、流雫には勝機しか見えない。

 小城の頭が左に動く。詩応から僅かに見える顔は、不気味な笑みを見せた。
「澪!」
小城の後頭部に銃を強く押し付けながら、詩応は咄嗟に叫ぶ。何か有る、そう直感したからだ。
 痛覚遮断、その言葉が澪の頭に蘇る。まさか。
「詩応さん!」
と声を上げた澪はモンドに背を向けると銃を彼女に向け、引き金を引く。
 詩応の手1つ分前を飛ぶ2発の銃弾は、膝立ちで銃を構えていた男の手首に刺さる。詩応も慌てて銃口を向けるが、澪は
「ダメ!!」
と叫んだ。
 詩応の銃弾は残り1発。今撃てば、小城への抑止力を失う。諦めたように見せ掛けて、未だ駒を隠し持っているのなら、使わせるワケにはいかない。それに、男の出血は既に夥しく、彼女が手を出すまでもない。
 男は最後に一矢報いたかったのだろう。しかし澪によって完全に潰えた。銃を手放し、自分の血の上に再度崩れ、培養ポッドで生まれた命を終えた。
 ……生き延びるためには仕方ない。しかし、この現実に至らしめた元凶への怒りが、限界を突破するのは時間の問題だ。
「流雫……後で慰めて」
と頬のマイクに向かって呟いた澪は、その背中を流雫に護られている。
「澪」
とだけ囁いた流雫に向けられる大口径の銃口。しかし、追い詰められているのはモンドだ。光を失わないオッドアイが、ドイツ人にとっては今この世界で最も忌まわしきものに見える。
 流雫の踵が浮くと、モンドはそれに反応した。足下を威嚇し、流雫の1歩を止める。その瞬間、今度はアルスが地面を蹴った。
 モンドは慌てて、銃を生意気なフランス人に向ける。しかしその手首を腕で弾くアルスは、右手を喉に当てると同時に踵で足を薙ぎ、モンドを後ろに倒す。
「ぐっ……!」
倒れたモンドは、再度アルスに銃を向けた。しかし、引き金に指を掛けるより早く、アルスの爪先が銃身を蹴飛ばす。
「がっ……!!」
不穏な音を発する手首の激痛に顔を歪めるモンド。持ち主の手から離れた銃はタイルに跳ねる。だが、モンドは胸ポケットから銃を取り出す。
「動くな」
モンドがアルスを銃で制する。流雫は丸腰だが、近寄ればアルスの身体に穴が開く。動けない。
「散々バカにされたが、これでチェックメイトだ」
銃口の向きを変えないまま立ち上がるモンドに、アルスは
「……そうだな」
と答え、両手を肩まで挙げて一歩ずつ下がる。
 ……今になって観念したか。額の痛みに抗うモンドはそう思いながら、後退りするアルスに勝利者としての目を向ける。
 アルスの踵に、金属の塊が触れる。それと同時に、雨音にサイレンの音が混ざり始める。ドイツ人が一瞬だけ顔を逸らす。その瞬間、モンドのチェックメイトは崩壊した。
 フランス人はその場にしゃがみ、ブーメランに似た金属を放り投げる。視界の端での動きに呼応した流雫は地面を蹴って跳び上がり、放物線を描く自分の銃に手を伸ばす。
 モンドは慌てて身体を向け、破壊の女神を連想させるオッドアイに銃口を向ける。だが、空中でグリップを掴み引き金に指を掛ける流雫の目的は、半分違った。
 膝を曲げた流雫の足元、その延長にはサイハイソックスを地面に濡らす少女が銃を構えている。澪は躊躇わず引き金を引いた。
 異なる方向からの4発の銃弾。正面からの最初の2発は銃身に弾かれたが、続く斜めからの2発は手首に刺さる。跳ねる銃口と戦っていたモンドは、激痛に銃を落として顔を歪める。
「ぁぁぁ……っ、くっ……そ……!」
手を血で汚しながら、モンドは澪を睨む。しかし、遅過ぎた。

 ……防弾生地のスーツから露出し、且つ命中しても命を断たれない場所。2人には、その答えは手首しか思い浮かばなかった。
 澪は流雫の背中に護られながら、モンドが最愛の少年に気を取られるのを狙っていた。流雫は澪の弾道のために膝を曲げた。そして、空中から狙ったのはモンドの手から露出する銃身だった。
 銃身、それも銃口の周囲に当てれば、その振動でグリップが滑り、銃を落とす。その可能性に賭けるしか無かった。そして澪は、流雫に意識が向いた瞬間を逃さなかった。
 何処かが一瞬でもズレれば互いを知り尽くしているからこそのコンビネーションには、詩応もアルスもただ感心するばかりだった。
 銃弾を使い果たした澪はモンドに歩み寄る。そして、腕を振った。
 鈍い音が雨音を切り裂き、ドイツ人の視界が曲がる。澪の手に走る痺れは、アリスがこの数日間で受けた苦しみを微かに物語っている……、少女にはそう思えた。
 モンドはダークブラウンの瞳を睨む。しかし、それが抵抗の限界だった。
 サイレンの音が止まると、モンドは白旗を揚げた。
「……アリスは恵まれたな……」
とだけ言い残し、澪に背を向ける。
「信じるべき人を……信じたからよ……」
と言った澪の声は、雨音のノイズに混ざりながらも確かに聞こえた。
 聖女アリスは2人を信じた。聖女に信じられたから、それに報いたかった。だから流雫と澪は、モンドに屈しなかった。
 
 駆け付けた常願が、澪の目の前でモンドに手錠を掛ける。一瞬だけ娘に目を向け、怪我が無いことに安堵するとモンドを連れて遠離る。
 その近くでは、弥陀ヶ原が小城を逮捕した。抵抗しないのは、問われる罪をどう免れるか軽くするか、が喫緊の課題だからだ。
 連行される2人の背を見ながら
「……終わったのか……?」
と呟く詩応に、アルスは
「一応はな」
と答える。
 正しくは、一つの区切りが付いただけだ。この先は警察の領域、話を求められれば答えるが、真の結末は見守るしかない。
 その隣にプリィとセバスが寄る。安堵の表情を浮かべるセバスの隣で、聖女の衣装を身に纏う少女は、目の前で抱き合う2人を目に焼き付ける。戦いに生き延びた2人が、何よりも尊く見える。

 父の顔を見た瞬間、全てが終わったと思った。護りたかった人を、誰一人失わなかった。澪にとっての完全勝利、しかしそれは、後味としては最悪だった。母を失ったアリスを思えば、当然のことだった。
 怒りと悲しみと安堵。その全てを何も言わず受け止める存在に、澪は抱きついた。濡れた顔を肩に押し当て、交錯する感情を爆発させる少女。その慟哭を、流雫は頭を撫でながら受け止める。
 美桜を失ったこの地で、澪を失わなかったこと。誰一人失わなかったこと。それは、邪な思惑を倒したことより偉大なこと。肌を打つ無数の雨粒は祝福の花片……流雫にはそう思える。
「よくやったね、流雫」
と懐かしい声が聞こえた気がして、流雫は微かな声でその名を呼んだ。あの日この世界から切り取られ、2人を引き寄せた少女の名。
「……サンキュ、美桜」

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