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忘れた頃に願いは叶い、旅路は続く

カナダの、モントリオールに来た。フランス語圏らしい。
知っている人も誰もいないし、特に行きたい観光スポットも食べてみたい食べ物もなかった。でも2年前くらいから、モントリオールに来てみたかった。実際に来てみたら、もっとずっと前からここに来たくて、来るべくしてやっとこれた気がした。

時は遡り、アメリカで大学を卒業した2022年5月。私は北米でプロアイスホッケー選手になりたかった。できれば卒業後もそのままアメリカに残って、どこかのチームに所属したかった。実際に、北米のプロチームとやりとりもしたし、コーチやGMと直接連絡もとって、良いところまで話が進んだチームもあったけど、契約まで行くチームはなかった。

この夏が明けたらもうすぐ、シーズンが始まってしまう。そんな中、モントリオールに新しくプロチームが増えることになった。それが2022年の7月ごろ。他の選択肢も模索していく中での新しい希望の光だった。当時親しかった知人がチームのGMに連絡してくれることになった。

モントリオール!行ったこともないし、今まで興味もなかったけれど、「モントリオールに行けるかもしれない」と、期待が少し膨らんだ。デュオリンゴでフランス語の練習を始めてみた。モントリオールのチームに所属して、フランス語で自分が自己紹介しているところを想像してみたら、少しドキドキした。

夏も終わりに差し掛かり、モントリオールのチームには結局、所属できなかった。何度かした連絡は帰って来ず、エージェント代わりとなってくれた知人とも連絡が取れなくなり、呆気なくモントリオールへの挑戦は終了した。そのシーズンのメンバーが全て決まった後、ロスターをみてみると、ほとんどがモントリオール出身の選手だった。それでもそこに入れるものなら入りたかった。

だからと言って、ないものにしがみついても仕方がない。それから私はヨーロッパでの選択肢を模索し始め、その年はオーストリアのチームでプロ選手となり、その後ボストンへ数ヶ月ほど戻り、翌年はフィンランドのチームに所属した。そこからはモントリオールのことは正直忘れていた。モントリオールに行くことを夢見た1ヶ月ちょっとは、2年前のその時に置かれたまま、動くことはなかった。はずだった。

、、、それから早くも2年。今年、2024年の4月。
オフシーズンとなり東京に戻った私は、東京にある行きつけのカフェに父と行き、いつものようにパソコンを開いて作業していた。パソコンの画面に開いていたのは、あるアイスホッケーリーグのサイト。たまたま去年見つけた、北米で夏に開かれる3対3のアイスホッケーリーグだった。北米では知らない人がいないような男女のトップ選手が集まり、7週間にわたりリーグ戦を行う。招待制なのかもしれないけど、一度ここでプレーしてみたい。知っている人もいないけれど、何故か直感的に思った。普通なら手がかりがなければ諦めてしまうこともあるけれど、なぜかこれに関しては、1週間くらいリサーチを続けた。自分の気持ちでは説明しきれない何処かで、どうしても行きたい理由があったのかもしれない。奇しくも場所はモントリオールだった。

やっとのことでリーグの創設者を見つけて、ダメ元でインスタグラムのDMを送ってみた。びっくりすることにすぐに返事が来て、そこから話し始めることに。6月の半ばに正式に、「参加していいよ」と連絡をもらった。何事も道がなければ、自分で作ればいい。久しぶりにそんな経験をした。

そして今、私はモントリオールにいる。2年前に1ヶ月ほど憧れ、そしてその後はすっかり忘れていたモントリオールという地は、私のどこかにまだ今か今かと出番を待ちながら残っていたらしい。

来る時は正直、少しドキドキしていた。初めての北米への挑戦を思い出していたからだ。

初めてハーバードに入学した時、言語も、文化も、何もかも初めてで、私はすぐには馴染めなかった。友達もすぐできなかったし、分からないことを周りに聞いたり助けを求めたりすることもできなかった。いつの間にか「全く喋らない日本人」みたいな位置付けになってしまってそれが自分でも苦しかった。

だからこそ、同時に、このモントリオールでの挑戦は、2回目に与えられたチャンスだとも思っていた。今は英語が喋れる状態で、周りのこともこっちの文化もわかった状態で、またこの北米という地で挑戦できるチャンス。自分のことをまだ知らないアイスホッケープレーヤーやコーチと繋がってそこからまた広がるかもしれないチャンス。

モントリオールに来てみてまだ1週間だが、1回目の挑戦よりも成長している自分がいる。自分のことを伝えて、周りの選手とも1週間で顔馴染みになり、話せる。コーチともコミュニケーションをとって色々と教えてもらえる。リーグも練習のレベルもスピードも、ここ数年どこで経験したものよりも凄くて、でもこれが自分の当たり前になればここから更に強くなれるんでないか自分、と思う。

モントリオールに一瞬憧れた2022年の春は、私にとって葛藤と悔しさと希望が混在している時期だった。ハーバードでの最後のシーズンが思ったように終わらず、怪我やコーチとの関係がうまくいかなかったこともあり、少し悔いの残る終わり方だった。この終わり方は悔しいな、と思っていた。だからこそずっと、「北米に戻りたい」と言い続けていた。北米のプロリーグが始まり、その門戸がとてつもなく狭くてレベルが高いこともわかっていたけど、それでももう一度北米に来たかった。

だから今、レギュラーシーズンではなくて夏のリーグだとしても、このチャンスをもらえたことがとてつもなく嬉しくて幸運で本当にありがたいことだな、と思う。この与えられた素晴らしいチャンスと環境で、一生懸命成長したいな、と素直に思う。

小さい頃に短冊に書いた、アイスホッケー選手になりたいという願いやオリンピックに出たいという願いが今も変わることはない。

でもそのために進み始めた道はいつの間にかかなりユニークになって、「ここに日本人が来たのなんて初めてだよ」とか「クレイジーだね」なんて言われるようになり、自分でも未知の世界に飛び込むような旅路になっている。怖いこともあるし緊張ももちろんするけど、振り返るとちゃんと残っている自分の足跡を少しだけ誇りに思えることも増えた。

ここにいるのが必然のようにも偶然のようにも感じる。

宝を追って走り続けていたら、たまたま次の通過点がモントリオールだった感覚。でもこの先の未来から振り返ったら、このモントリオールでの日々があったから自分があると言えるような。

折角、自分の人生というマラソンの途中でホッケーに導かれて辿り着いたモントリオール。世界中のどこの土地に行ってもあまり観光欲はない私だけど、折角の機会だ。フランス語にも、観光地にも、地元の食べ物にも、触れてみようと思う。この街を楽しむ夏にしたい。


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