夏至

しばらく呼吸はあって、やがて ふっと消えていった。
着いたとき意識はすでに無かった。人生のはかなさは灯火にたとえられるが、肉体が物質になる瞬間 ああこれこそが、と そのとき理解した。


真夜中に斎場へ向かう霊柩車を、ぼんやりした気持ちのまま追跡するラパンの車中 Eaglesの「The sad cafe」が流れた。父は長らくこの曲を自分の葬式で流してほしいと言っていたのだが、いざ祖父が死んでこの曲を聴くと どうも辛気くさくてダメだな やめようという話になり、ひとまず明るく楽しげな「Take it easy」でいくことに落ち着いた。
多分向こう何十年でもう一回くらい変わるんだろうなと思う。最近は藤井風がお気に入りの父。

祖父の死から3年 与えられた時間は平等じゃないことに皆が気づいてる2021年、唯一平等に訪れる終わりまでどうやって過ごすかを考えています。夏の夜はあまりにも短いから、最近は時間が過ぎていくのがとても早い。

死ぬときの景色のイメージってありますか? 此岸と彼岸とを隔てる三途の川のイメージは日本に住んでいると無意識に刷り込まれるのではないかと思うけど、私のイメージは海だと気づきました 大きな水辺という点では三途の川とも共通しているように思います

この日は小さい展示会があって、搬出その他をどうにか一人でやり終え車に乗り込んだのが午後六時半、西を向くとオレンジの太陽が沈む間際で、夏至だと気づいた。コンクリートジャングルで働いて片田舎へと帰宅する毎日、定時後だし海を見て帰るくらいバチがあたらないだろと思い、海へ

半分の暗い雲が夜を連れてくるような空だった。薄雲が擦りガラスのように太陽の光を暈して、このまま海へ飛び込んでしまいたい衝動に ふいに駈られた。段に足をかけたところ目と鼻の先で釣りをしていた人と目が合い、正気に戻った。
私が死ぬとき、最後に見る景色がこの日のような甘い空だったら良かったのに。砂浜で裸足を水に浸して、そのまままっすぐ水中へ歩いて行くような最期だったら良いと思う。

帰り道で無性に泣きたかったけど、なぜか営業車に会社のロゴが書いてあることを思い出して、涙は出なかった。こういうときに大声で泣けたら良いのにと思った。


#わたしと海

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