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SALON des MUSICA——silent music

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 東中野のsilent musicさまで開催中の“SALON des MUSICA”におうかがいしてまいりました。

 縫いぐるみ作家のLIENさん、服飾作家のmIRA.さん、人形服とお洋服作家のネムリコネムコさんの作品たちとともに、フランス菓子やシルバージュエリーがならべられた“幻洋品店”。

 本来の予定であれば去年の4月にひらかれるはずだったこの“まぼろし”の洋品店が、あれから1年が巡るこの春、そこにつづく道と扉をあらわしてくれたのでした。

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 ひらかれたドアの内側から見えるマリアさまのお庭。新緑と光の祝福。


 握りしめたてのひら、目には見えなくても存在するもの、そこにある「祈りにも“似たもの”」のお話をしたこと、“ひとり”である時間を孤立ではなく孤独として抱きしめ、楽しみ、遊び、充足しているひとは美しい。そんなお話ができたこと。


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 自身の中心にある軸を確立しているひとたちが“自分ひとりの庭”で喜びとともに纏ったり、腕に抱えたり、身につけたり、食したりするための、自分が自分にあたえてあげられる贅沢のなかにやさしさと愛があることを知っているひとのための作品たち。

 マリアさまのお庭を傍らにして聖堂のごとき空間に点在する作品たちに目を凝らしながら、自分のなかに“庭”をもっているひとのための洋品店であること、感じました。誰のなかにもその“庭”はあるけれど、目には見えないので気づけないときもある。時間に追いたてられていると忘れてしまう、“まぼろし”の庭。

 その“まぼろし”を想いだすことのできるひとときがわたしたちには必要で、うつくしいものもやさしいものも、自分の“庭”に自分自身をいざなう魔法を教えてくれる。自身の“軸”が日常によってすこしずれているときはそれをあるべき場所に正してくれる。

 うつくしいものもやさしいものもそれぞれに物語を宿していて、そこに自分だけの物語の断片を発見するからこそ、わたしたちはそれにうつくしさとやさしさを視る。その“断片”をつなげて自分自身の叙事詩を奏でるために。

 そのようなことを感じたりしました。


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 作家さんそれぞれの“お庭”である、ミニチュアのアトリエもかわいかった。


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 ひさしぶりのマリアさまのお庭。おうかがいすることができ、幸いでした。


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 おみやげにPÀTISSERIE TATSUYA SASAKIさんのフランス菓子を。

 “自分ひとりの庭”のための時間の楽しみとともに味わっていますが、焼き菓子もマカロンもほんとうにとってもおいしいのです。

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 展示のご案内のお手紙をいただいたさい、添えてくださった手編みの♡は蝶の翅、言葉の♡は天使の羽根みたいにわたしには見えました。

 “まぼろし”の洋品店の品物たちは“自分ひとりの庭”をもつひとたちのためのもので、それを纏ったり、腕に抱えたり、身につけたり、食したりしているときにこぼれる至福の微笑みを誰が見ていなくても、知らなくても、ただ自分だけが知り、見ていればいい。そのような趣きがあり、そこにこそ魅力と美があるけれども、そのやわらかな微笑みをこの“まぼろし”の蝶と天使は知り、見ているのかもしれない。わたしたちがそれに気づいていなくても。

 “幻洋品店”のことを綴りながらそんなふうに感じたので、感じたままに綴ってしまいました。


 この展示のために久保田恵子さまがおつくりになった、心躍りながらも優雅な楽曲を拝聴する機会にも恵まれました。いまのところ音楽集としては販売されていないとのことで、あの音色も春のおわりのやわらかな風にとける“まぼろし”のひとつであったのかもしれません。掴めないもの、目に見えないもの、だけどそこにあるもの。


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 “幻洋品店”ことSALON des MUSICAの扉は今月25日までひらかれています。春のおわりとともに“まぼろし”に還るまえに、機会がありましたら。




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