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いつかの猫~一度起きた災害は終わらない。そしてまた起こる~

このところ震災、主に大阪北部地震についてお話してきましたが、
大阪に限らず、ほかの地域での災害にも通じる話があると思います。
(神戸、岩手、大阪それぞれでの活動体験をもとにして、今回は大阪について書いています)

半端な武勇伝を語ったに過ぎないのだと言われれば、その通りです。
しかし。
知られていないだけで、いろんなところでいろんな人が様々なことを考え悩みそして行動してまた悩みを繰り返している。
私の経験もそのほんの一部だと思います。
おそらくご同業のみなさんも似たような経験をお持ちであることが少なくないでしょう。

よく「建築士は何をやってる人かわからない」と言われます。
それを少しでも知っていただくきっかけにでもなればという気持ちもあります。
ドラマで描かれる優雅な建築士を見て、ああいう人もいるんだなぁとうらやましい限り。
学校の出前授業で子どもたちから「いつもハーゲンダッツしか食べないんですか」と聞かれたり。
「高級なジャケット着てる」「ぜんぜんそんなことない、ほらここ穴あいて縫ってるよ」「わ、ほんまや」とか。
(なんせ四半世紀前とかもっと前から着てるもので。子どもの夢こわしました?)

それと、地震時の活動で思ったことがありました。
震災後、住んでいた家に大きな構造的欠陥が見つかって転居を余儀なくされました。
災害後の混乱時に時間も体力気力も、それにお金も必要で結構厳しかったです。
私は借家住まいなので逃げればよかった。だけど持ち家の人たちは逃げられない。
この厳しさを災害の度、いつも目の当たりにしています。
みなさん大きな決断を迫られ、大変なご苦労をなさる。災害は必ず人の人生に影響する。
知り合いにもいまだに地震で破損した家を直せないままお暮しになっている方もいらっしゃいます。
私の借家と同じ家主さんの古くてボロボロのアパート。
居住者は減り、おばあさんがお一人だけお住まいでしたが、地震の損傷で住めなくなり、ほかのアパートへお移りになった。
ご高齢での住環境の変化は大変なことと思います。
おばあさんがかわいがっていた猫だけが元の古いアパート周辺で目撃されていました。
今、そのアパートも別の建物になっています。
(猫は今頃どこでどうしているでしょう)

一度起きた災害は終わらない。決して。そしてまた次が起こる。
その中で、いったい何ができるのか。無力感に苛まれながらも、やはり問い続け、
その時々、自分にできることをやるしかないのだと思います。理屈はいらない。
それと、たとえば仮に何も行動を起こせなかったとしても、それはまったく罪悪感の対象にすべきではないと、
私自身は考えています。
人それぞれ、置かれた状況や事情があり、なにかを抱えていて当然です。
私自身も今回の能登方面の地震については何もできていません。
(こちらが何かご支援できる状況になった時のために細々と情報の確認をする程度です)

そして、(能登に限らず)みなさんの生活が無事に再建できる日が遠からずやってくることをいつも願っています。
(これは当たり前なのであまり口に出して言いたくないのですが)

*写真は文中の猫ではありません。

連日、長い投稿でした。お読みいただきありがとうございます。

それでは、また

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