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鮨と焼肉とラーメンと。

みなさんはどれくらいの頻度で外食しますか?
そして1回あたりの単価は?

私はあんまり外食をしない。多くて月に3回。おそらく世の平均と比べたらうんと少ないのではないかと思う。そしてそれは私が美味しい食べることに並々ならぬ情熱と関心があるからである。

食にこだわるならば外食の頻度は高いのでは?と思うかもしれない。しかし本当に美味しいものにしか興味がないからこそ、下手な外食をしない。私は死ぬまでに一食たりとも美味しくないモノを食べたくないのだ。

私は中学高校の6年間、イギリスにある全寮制の学校で過ごした。こう言うと必ずと言っていいほどに「ハリーポッターみたいじゃん!」と言われるが、全くそんな愉快なものではない。毎朝7時に鳴らされる鐘で飛び起き、身支度とベッドメイキングをしたら炎天下だろうが氷点下だろうが雨が降っていない限り中庭でラジオ体操をする。決められた席で決められた食事を食べ、定められた就寝時間まで分刻みのスケジュールをこなす。もちろん部屋は個室ではないし、夕食後から就寝時間までは監督付きの教室で自習をする。私の父は防衛大の出であるが、授業の内容とラジオ体操の代わりに乾布摩擦をすること以外は同じ環境である。

当時の校長はよく「ここの1年間の学費で新車のベンツが買える。君たちのご両親は毎年ベンツを我慢して君たちをここに預けているのだ。」と朝の礼拝で言っていたが、ベンツの割に食事は乏しかった。小学生の女の子から育ち下がりの男子高校生までが同じテーブルで同じものを食べるので、とにかく標準の量が多い。量を増やすために当然のように質が犠牲にされていたし、何よりごはんが不味くて有名なイギリスである。

レンガと呼ばれた厚さ8cmほどあるピザや、豆しか入っていないスープ(と硬いパンだけ)の通称・残飯、週に1度出される日本食は「ビネガーライス」という名前のちらし寿司風のごはんだが、なぜかキュウリとハムと溶けないチーズが入っていた。そして安くてかさましに最適だからであろう、1日のうち2食には必ずジャガイモが出てくる。絶対に戦争を乗り越えた祖父より食べたジャガイモの量は負けない。おかげで今やじゃがりこだって見たくもない。

そんな環境を6年間生き抜いたことを考慮にいれてもらうと、私が二度と美味しくないものを口にしたくないと言うのも納得して頂けるであろう。つい先日「生まれた瞬間からゆっくりと死んでゆく」という記事を書いたところであるが、人間が死ぬまでにする食事の回数も決まっている。そして死ぬのは50年後かもしれないし、この記事を読み終わった直後かもしれない。

だから私は毎朝、出汁から取った野菜たっぷりのお味噌汁と、都度精米して土鍋で炊いたごはんと、何種類かの小鉢を準備する。食材も納豆と牛乳以外は全て生産者の方から直接購入する。もちろんお肉は飼料や環境にどうこだわっているかを調べるし、野菜だって効率重視の栽培をしているものは買わない(結果的にオーガニックにいきつく)。そしてそれらの魅力が最大限引き出せる調理方法を勉強し、そのために必要な調理器具はなんでも揃える。

こうやって毎日毎食、強いこだわりと愛情を持って食事に向き合っているため、お腹が空いたからと言ってテキトーなもので胃袋を埋めるのは嫌だ。ポリシーや生き様に大きく反するのである。私にとって、何の前情報のないお店や、コストや回転率だけを重視しているチェーンでとりあえず食欲を満たすというのは、キリシタンに無理やり踏み絵をさせるに等しい。

ではどういう外食ならするのか。月にMAX3回の外食時には何を食べているのか。それがタイトルの、鮨、焼肉、ラーメンである。魚も漁師の方から直接購入するし丸のサーモンを自分で捌くこともあるが、鮨を握るスキルはそう簡単に身につかない。寿司アカデミーで特訓したとて、プロに勝ることは到底無理である。お肉も普段から生産者の方から仕入れているが、焼き肉は肉質さえ良ければいいというものではない。仕込みと切り方と鉄板の温度がものを言う。ラーメンは言わずもがなである。

そのほか、エンターテイメント性の高いガストロノミー系のレストランや、食材の選定から何かしらのこだわりを持っているシェフのレストランには積極的に足を運ぶ。美味しいことはもちろんだが、高い芸術性や料理の魅せ方は非常に勉強になるし、何より楽しい。

それでもそれらを毎日食べていては胃が疲れてしまうし、やがて美味しさを感じられなくなる。結局のところは毎日食べても飽きない自分の作る食事が一番であるし、そう感じられること自体がとても幸せである。



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