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【小説完結】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #23

 それから六年がたち、四十歳を過ぎたいまでも、私は美佳を毎日思い続けている。

 涼子と一緒に暮らしながら、私は誰かの人妻になった美佳を思うことでかろうじて幸福を保っている。そうしないと、涼子との結婚生活がなりたたないような気がした。涼子の怒声にがまんができるのも、私には美佳を思う幸福があるからだ。むろん涼子が私に幸福を与えてくれていたなら、私はあの時、運河沿いの道で美佳にばっさり胸を斬られることはなかっただろう。

 涼子に非はない。結婚生活に失格なのは私のほうだ。美佳が与えてくれる幸福はいつか消えるだろう。その時私達夫婦はどうなるのだろう。子供がいれば絆にはなるのだろうが、私達に子供はいない。


 今日は日曜日だ。

 もうお昼を過ぎているが、涼子はうさぎと眠っている。うさぎは会社の昼休みに丸井今井で買った縫いぐるみで、涼子への十周年の結婚記念日の贈り物だった。

 涼子は十周年であることを知らない。だから安っぽいぬいぐるみだけですんだ。しかし、仮に高価なプラチナやダイヤなりの宝石を与えても、彼女は喜びもせず、むしろ怒り出して、そんな金があるのなら現金をよこせと言ってくるだろう。もしくは記念の宝石をメルカリで売るかもしれない。

 うさぎはストライプのエプロンをつけた、頭と臀の大きな白うさぎで、涼子はとても気に入っている。結婚記念日の夜、外食をして二人で帰ってくると、私はクローゼットに隠しておいた紙袋からうさぎを出した。

「ほうら、涼ちゃん。うさちゃんだよぉ」

 私はうさぎの両手をぱたぱたと動かしながら涼子に見せた。

「きゃあ、可愛いいいィ!」

「僕たちの子供だよぉ。ほうら、高い、高い」

 私は天井に向かってうさぎを翳し、両腕を持ったまま一回転させた。すると、

「だめよォ、乱暴に扱っちゃ。可哀想でしょう」と涼子が言った。

 涼子は私からうさぎをひったくると、「よしよし」と言って胸に抱えた。その姿が珍しかったので、

「ちょっとそのまま。そのままでいて。写真を撮るから」

 私は携帯のカメラを涼子に向けた。

「うさちゃん、おっぱいの時間ですよぉ」

 涼子はうさぎの口に乳首を吸わせる素振りを見せた。が、

「私、おっぱい、出ないの」困ったように私を見た。

「どうして出ないのかな?」

 私は写真の白ボタンを連続して押した。

「怖いママだから」涼子は答えた。

「うさちゃんが可哀想ぉ」

「ごめんね、うさちゃん。ママ、おっぱいが出ないの」

 涼子はうさぎの耳の間を撫でながら、申し訳なさそうに謝った。

 そのうさぎが我が家の一員になってから、涼子も母性を刺激されたようで、彼女の方から極たまに子供の話を持ちかけてくるようになった。

「女の子が生まれたら、『うさちゃん』って名前をつけようね」

 私が言うと、

「またァ、そんなことを言ってェ。田島さんったら、すぐ調子に乗るんだからァ」

 涼子は唇で私を睨んだが、言い方は前よりもずっとましになった。

 ああ、だけど、・・・

 ・・・確かに。確かにましにはなったのだが、・・・

 私はダイニングテーブルからキッチンのカウンターに置いてある卓上時計を睨んだ。まもなく午後二時十五分になろうとしていた。いったい涼子はいつまで寝ているのだろう。暮らしの中に太陽の恵みが燦々と溢れているのに、生成のカバーで包んだ陽だまりのソファに妻はいない。 

                          

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