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ハイブランドハイ!

皆さんがハイブランドを購入するのは、どのような時だろうか?

私自身も改めて考えてみたことはなかったが、先日noteの記事で、スタイリストの方が書いた面白い文章を見つけた。

要約をすると、ハイブランドの物を購入するお客様は、例えば、雑誌ヴァンサンカンに出てくるような、「ホテルのアフターヌーンティーでゆっくりした後に、さて、銀座でいいバッグでも買いにでもいきましょうか。」という、いかにもお金に余裕のある方ばかりではなく、むしろ「何か」があったから、意を決して自分を鼓舞するために購入する方が多いというお話で、その何かとは、例えば離婚だったり、恋人と別れたり、介護に疲れたり、大病を患った後だったり、日常で人々が人生の中で経験する、決して珍しくない「何か」だ。

そこで、私自身どのような場面でいわゆる、ハイブランド品を購入したか振り返ってみた。(学生時代は両親に購入してもらったものも含む。)

大学受験を頑張るための、ヴィトンのお財布、大学に合格したお祝いのコーチのバッグ、病気になり退院した後のコーチの指輪、大失恋を経て幸せになるというジンクスを信じて買ったティファニーのバイザヤード、転職のお祝いかつこれから一人で東京で頑張ろうというご褒美で買ったフェンディのバイザウェイ。すべて、一つ一つのブランドには、自分への頑張ったねというご褒美や苦しかった記憶、そう、少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、人生が刻まれている。逆に言えば、日常何気なく購入したものは、もちろん、気に入って買っているものではあるが、ただ欲しいから購入したものがほとんどで、そこに人生が乗っかっているわけではないのだ。

なぜ今回、私がハイブランドにフォーカスをしたかというと、至極私事だが、先日2、3年振りにルイヴィトンでバッグを購入してしまったからだ。

かなり私情かつ複雑なので(決して悪い話ではないが)詳細は割愛させてもらうが、昨年はとても頑張った一年だった。「決断の年」でもあった。そして今年も昨年に引き続き、これまで以上に「絶対に頑張らないといけない年」であり、何よりこの一年は20代最後という節目の年なのである。
2022年に入ってから早くも3ヶ月が経ち、いちおう社会人なので、コスメやお洋服など気に入った物は購入できるくらいの微かな財力はある。ところがだ、なんだかすっきりしない。今年から頑張らないといけない年なのに、自分を鼓舞するための何かが足りない。そんなモヤモヤを抱えながら、3ヶ月間を過ごし元々ネットサーフィンが趣味なので、大好きなバッグを見ては(ファッションアイテムの中で特にバッグに目が無い。)「可愛いなー、欲しいなー、けどお値段が現実できじゃないんだよなー。」と思いながらスマホを閉じる。雑誌を見て、これめちゃくちゃ可愛いから今度店頭に見に行ってみよう!と思って実物を見るも、思ったより魅力に感じない。休日に銀座を練り歩いてみても、強いて言えばこれが欲しいみたいな物はあっても、絶対にこれ!というものは出会えずにいた。

人もそうだが、物も出会いだ。いい出会いがない時はひたすらその日が来るまで待つしかない。

先日、いつもは忙しいお仕事も久しぶりに定時に上がれたから、某百貨店にでも寄って帰ろう。そう思って、ふらっと百貨店に立ち寄り、なぜかいの一番にルイヴィトンに足が勝手に入っていったのだ。その時、本当に不思議なことにタイミングが良く、普段は在庫切れと言われるような、以前から気になっていたバッグがほとんど揃っており、店員さんもかなり知識の豊富な丁寧な方であった。もちろん、この日に購入を決定するつもりは毛頭なかったので、あくまで下見ということを店員さんにもお伝えした。嫌な顔一つせず、ブランドの雑談を交えながら、丁寧に相談に乗って下さった。気になっていた商品の一つは、割とカジュアル寄りのもの。もう一つは真逆でフェミニンで上品なもの。真逆だけど、両方魅力的、だけどどちらにしようかなと思ったときに決め手がなかなかなかった。

「うーーん、これは迷うなー」と思っていたちょうどその時、「少々お待ちくださいね。」と言われ、店員さんが奥に捌ける。奥から持ってきたバッグは今思い出しても、スローモーションで頭の中で再現できるほど、輝いて光って見えた。これぞ、待ち続けていた一目惚れ。もうそのバッグしか目に入らなくなった。何がそれほど魅力的かというと、カジュアルにも上品にも両方にふれることのできるバッグなのである。かつ、定番の形の新作で、在庫は品薄。その店舗でもラスト一点のものであった。私が求めていた完璧なバッグを持ってきて下さったのだ。何度か鏡の前で持ってみて、「これにします!」と言ってしまった。そう、口が勝手に動いていたのだ。(口のせいにしてみる。)そうだ、私はこういう出会いを待っていたのだ。ついに出会ってしまった。だが、そんなものを買っているお金の余裕は正直ない。それでも購入してしまった。

私が大好きな芸能人ユーチューバーの一人に紗栄子さんがいるが、以前紗栄子さんが、自身の大切なジュエリーを紹介していたときに、「この子たち(ジュエリー)は私の人生が詰まっている。」、「だから正直人にあまり見せたくない」とも言っていた。それほど彼女にとって思い出の沢山詰まった大切なものなのだ。離婚をして、「これから一人で頑張ろう!」と思った時に、金銭的余裕はないのに、ハリーウィンストンの指輪を買ってしまい、こっぴどくご両親に怒られたと話していて、妙に共感したことを覚えている。(さすがにハリーウィンストンなんて、私は残念ながら、店舗に入ったことすらないが、流石は紗栄子さん!)やはり、ハイブランド品には、目に見えない強力な力が宿っているらしい。

ハイブランドを購入した後、必ず襲ってくる感情、それは買ってやったぞ!という「すっきり感」と買ってしまったという「得たいの知れない罪悪感だ」に他ならない。スッキリ感はもはや一瞬で、帰りの電車の中ではかなり罪悪感に苛まれていた。「あー。お金に余裕がないのに、こんな高いものを買ってしまった。決して後悔はないが、頑張らないと。。」その罪悪感を表すのに何かいい例えはないか考えていたが、まさにレベッカのフレンズに出てくるそれに他ならない。

口づけを かわした日は ママの顔さえも見れなかった

別に悪いことをしている訳ではないのに、なんだか妙に隠さないといけない気がするやましい気分。なぜか、リビングにバッグを堂々と置くことができず、まるで刑事ドラマに出てくる犯人が、重要な証拠品を隠すような気分で、一旦クローゼットの奥に隠してしまう。

でも決して後悔はしていない。むしろ、どんどんそのバッグが愛しく思えてきて、これから頑張ろう!と自信が沸沸と湧いてくる。この快感がやめられず、この快感に癒されて女性という生き物はブランド品を求めるのではないか。



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