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20歳になった時点で、人生の折り返しに入ってる説

最近友達から聞いて妙に頭から離れない話があった。それは、20歳の時点で、体感時間としては既に人生の折り返しにきているということだ。

今に始まったことではないけれど、社会人になってからの一年の早さといったらまさに光陰矢の如しで、気付いたら当時一年目に指導担当をしてくれていた先輩と同じ年になってしまった。
この間まで、新入社員でチヤホヤされてたのにっ!!
(え。笑

その話を聞く前から、しばしば時の流れの早さに関しては、思うことがあったから、そう言われると怖くて、なんだか否定したくなった。
体感時間なんて、実際に測れるものじゃないし、毎日目標を立てて大切に生きればとか、もっと刺激のある毎日を過ごせるように新しい体験を日々作ったりすれば変わるんじゃないかとか。時計があるわけでもない体感時間なるものに支配されたら、もうなんだか人生があっという間に終わるような気がして考えたくないのだ。
でも、確かに毎週の土日のやってくるスピードと言ったら、まるでドラえもんの道具で未来に来ているくらいはやいのだ。

その話を、彼にしてみた。
「20歳になった時点で、人生の折り返しに来てるって知ってた?」
「あー、そういう話あるよね。なんでかわかる?」
なぜか質問で返された。
「え、なんで?そんなの証明できるの?」
「例えば、一歳の子にとっての一年って、1/1だけど、20歳にとっての一年は1/20ってことで、.....かくかくしかじか」
もう皆様はお分かりでしょう。
(いや、ちゃんと説明しようか 笑
つまり年をとるにつれて、一年の比率は自分の中で短くなっていくため、体感としても一年が短く感じるということらしいが、これを数学的にも説明ができるというから驚きだ。

ちょっとググってみると、ジャネーの法則というらしい。
数字(理系)アレルギーなので、●●の法則と聞いただけで、鳥肌が立ちそうだ。
(上記の理由につき、詳細は割愛させて頂くので、興味ある方は調べてみてください。笑)

文系人間からすると、数字で証明されたら、悲しいかな、何も反論ができない。
その話を聞いてから、私の日常はというと、すごく時間を意識して生活をするようになった。何時になったら英語の勉強をするとか、ストレッチをするとか、そんな具合に。
ありがたいことに、お家時間が増えたことで、立てた計画も実行しやすいのだ。前のように、突然飲み会のお誘いが入ることもない。

その結果どうなったかというと、体感時間はなんと、以前よりも早くなってしまったのだ。これは予想外だ。
※あくまでも私調べ。笑

確かに生活は規則正しくなった。
以前よりも、1日を無駄にせず過ごしている感じは得られているような気もした。
けれども、時間を意識しすぎて、却って時間に縛られているような気分になったし、毎日がルーティン化されてしまったことで、余計に時間が経つのを早く感じるという、本末転倒な結果になってしまったのだ。そして何より一番大きな変化としては、私の大好きなゴロゴロタイムですら、どうしてこんな、無駄な時間を過ごしているんだと自責の念に苛まれることになってしまった。

忘れかけていたが、私は昔から時間割りとか、合宿とか、そういう型にはまった何かが大嫌いなのだ。
(よく普通にOLやれてますね、わたし 笑

そして事件は起こった。その話を聞いてしばらくして、体調を崩したのだ。
薄暗い日の光のあたるベッドで一日中寝ていた。外は曇りで、自分の心もどんどん曇っていく。まぁ、緊急事態宣言中だし、天気もイマイチだし、休めたと思えばいいかーと思ってみたりもするが、社会人の貴重な週末を無駄にしてしまったと思うと何とも言えない気持ちになる。

夕食時になって、彼がごはんを作ってくれて、部屋まで呼びに来てくれた。
本当は寝ていたかったけど、このままだとほぼ何も食べないまま明日を迎えることになるし、あまりに遣る瀬無いので、起きることにした。

その時食べたごはんがあまりに美味しかった。といっても、いつもと特段何かが変わった訳ではなくて、文字通り栄養が身体の中に入っていくような、乾いた心に突如水が注がれたような感覚を味わったからこその美味しさだった。食事ってこんなに特別な行為だったのかと、感動する。

そうすると段々何だか元気になってきて、毎週欠かさず観ているドラマも観れるくらい回復してきた。今週も面白い。

その時思った。どんなに無駄にしたと思うような一日でも、ごはんが美味しかったり、ふと笑えたりしたら、それで良いのではないかと。

時間を管理することは大切だけど、時間に管理されるのは御免だと。酒は飲んでも飲まれるな。要はそういうこと。
(勿論、これから家族を持って、環境が変わればそんな悠長なことを言ってられないのも事実であると思うが。)

人生、どこで回り道をするかわからないし、急に病気や怪我に見舞われて、思ったようにことが進まないこともあるかもしれない。

そう思ってからは、一日の中で何か嬉しいことや小さな幸せがあればそれで花丸と思えるようになった。嫌なこと、悲しいこと、怒れるようなことがあったとしても、それはそれで学びに繋がるからよいのだ。

時間をいかに無駄にしないかということよりも、時間を忘れるくらいに楽しい瞬間や、夢中になれる瞬間を増やしていきたいものである。

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