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やらない善よりやる偽善?

2020.6.12

プロフィールに書いたとおり、映画が好きだが、好きなジャンルにはかなり偏りがあるし、一週間に1本観るか観ないかくらいのレベルだから、趣味というには及ばないのかもしれない。だけど、暇を潰すなら映画を一番に選ぶし、漫画やゲームやテレビといった娯楽や情報を得られる媒体の中では、一番拘りのあるものである。

ちなみに、私の映画の鑑賞方法は少し変わっていて、好きな映画は何度も何度も観てしまう。中学校の頃だと思うが、「基本的に感動というのは一度目の体験に勝ることはないから、例えばいくら感動する映画でも二度目は感動が薄れてしまうのだ」という内容が現代文の教科書に書いてあり、ずっと迷信的に信じていたが、どうもそうではないような気もする。私の中で何度観ても飽きなくて、むしろ新たな発見があるような「スルメジャンル」のような映画があるのだが、その中のお気に入りの一本について紹介したいと思う。

2016年に公開された、大根仁監督の映画、「SCOOP!」である。

かなり際どいシーンや描写が盛り込まれており、最初はとにかくストーリー展開が早くて面白いので、ワクワクする感じで観ているのだが、ラストに行くにつれて、かなり調子が変わり、目を塞ぎたくなるようなシーンもあるので、気軽に人におススメすることはできないが、私としてはかなりお気に入りの映画である。
何をやってもサマになる福山雅治さんのパパラッチカメラマンの役がかなりカッコよくて、実際にこんなヒトが現れたら100%惚れてしまうだろうなと妄想しながら見ることも楽しいし、他の俳優陣もかなり豪華で見ごたえがある。個人的には、新人記者役で福山雅治さん演じる都城静(みやこのじょう しずか)のバディである、二階堂ふみさんのファンなので、それもあって好きな映画である。

今回題名にした、「やらない善よりやる偽善」は、座右の銘とまではいかなくとも、いつしか私のモットーになったような言葉である。「偽善」自体がマイナスな言葉であるが故に、なんとなくそれを肯定しているこの言葉が、モットーなんですとはちょっと言いにくいが、話は変わって、(大学時代、大学野球をよく観戦していたのだが、)当時、とある選手が大学の公式プロフィールの座右の銘の欄に、堂々と「やらない善よりやる偽善」と書いてあって、「あ、私も堂々とモットーにしよう。」という勇気を勝手ながらもらったものである。

二階堂ふみさん演じる、新人記者・行川野火は、芸能人の私生活やスキャンダルを追いかけ回すパパラッチの仕事に初めは、「最低ですね、この仕事」と放っていたが、次第に静との仕事の息も合うようになり、仕事に対してやりがいを見出していくシーンは見ていて色々考えさせられる。

芸能スキャンダルとグラビアに焦点を当てていた週刊誌SCOOPだったが、連続強姦殺人犯の現在の顔の写真を撮影するという案が会議で上がる。

「週刊誌が反体制とかジャーナリズムを背負う時代はもう終わった」という反対意見や何となく賛同できない意見が上がり、記者達の論争が起きる中、野火は下記の言葉を放つ。

よくわかんないんすけど、とりあえず私はそいつのことがすげえむかつきます。だって殺されたのって私と同い年くらいの子たちでもっと若い子もいて、レイプまでされて、私ジャーナリズムとかよくわかんないんすけど・・・そんなやつ、どうせ死刑になるんだろうけどその子たちのこと考えたら・・・全然足りないっていうか

それに対し別の記者から、「こいつの顔を世の中に晒したら、殺された子が成仏するっていうのか。あのな、被害者にも犯罪者にも人権っていうものがあってな!」と言われるが、

だからわかんないって言ってるじゃないですか!そういうことは!

と声を荒らげる。

そんなシーンを観て、ハッとするものがあった。
2019年~2020年にかけて、オーストラリアで大規模な森林火災が起こったことは記憶に新しい。私は普段、朝しかまともにニュースをチェックすることもないため、このニュース自体を知ったのも、恥ずかしながらとても遅かったと記憶する。会社から疲れて帰宅し、偶然つけた夕方のニュースで、コアラが炎の中で取り残されている姿や負傷した動物たちの姿を見て、さらには、その時点で10億以上の野生動物が犠牲になったということを知った。日本の人口が1億2590万人(2020年5月1日時点)だとすると、10億という数を具体的に想像することは出来ないが、とんでもない数だということはわかる。初めて事の重大さに気付き、SNSを使って情報を集めると、日本のテレビでは目にしないような情報も沢山載っていて、最終的にあるタレントの方がインスタグラムで、オンラインを通して被害にあった野生動物を支援するための募金方法について掲載してくれているのを発見した。
普段私は、極度の面倒くさがり屋で、お店などのポイントカードのオンライン上の登録も後回しにしてしまい、仕舞には期限が到来してポイントが失効してしまうということもよくある。だけどこの時の私は、居ても立ってもいられず、「これは何かしないと!」と思い、オーストラリアのサイトにアクセスし、英語を解読しながら、募金を完了させた。

実は私、オーストラリアに行ったことは一度もないし、コアラを抱っこしたこともない。恐らくオーストラリア出身の方と話した経験すらない。だけど、動物は好きだし、自分の力で助けを呼んだりできずに、犠牲になっていく動物たちを想像したら、可哀想でいても立ってもいられなかった。
募金をするなら、どこの団体に募金をするかということや、そのお金がどのように使われるかをきちんと調べて行った方がいいという人も当然いると思う。しかしその時の私は、それが正式なサイトであることだけを確認し、速攻その団体に募金をした。後から考えたら、読み慣れない英語のサイトで、オーストラリアの通貨の換算すらまともにわかっていないのだから、何か間違えているというリスクもあったが、その時の私はそんなことすら考えてもいなかった。私1人が募金をしたところで、起こった事実や、何かを大きく変えられるわけではないが、どんなに微力でも役に立ちたかった。

野火のセリフを聞いた時に、私はこの出来事について思い出したのだ。

日本では、というか世界でも、日々色んなことが起こっていて、あらゆる助けを必要としている人がいる。街頭では、募金集めを頑張っている人の姿を見かけることもよくある。恥ずかしながら素通りをしてしまうこともあるし、ボランティア等も中高以来行けていない。自分が慈悲精神に溢れているとは思ったこともないし、勿論優しい人間だなと感じたこともない。(笑)

だけど、自分なりの「正義」みたいなのものはあって、例えば海外からの観光客の人が道に迷っていたら、心細くないように目的地まで案内をすることもある。
自分はこんなことをしてるんですよ。と言いたい訳ではなくて、自分の中で放っておけない何かが存在するのだ。

だから映画の中の野火の、「ジャーナリズムとかよくわかんない」、けど、自分はその被害者の気持ちを考えたらいたたまれなくて、写真を撮らなければという自分なりの正義で動いていく気持ちに非常に共感した。この映画を何度観ても、犯人の写真を撮って世間に暴くことが、正しいのかも、正義なのかもわからない。だけど、人ってなんか突き動かされて、行動しないと気が済まないことってあるよねというところに激しく共感したのだ。

小さい頃は正義感が強くて、ヒーローみたいに色んな人を助けたいと思っていた。だけど大人になってみると、それがいかに難しいことであるか痛感させられる。

でも、このオーストラリアの出来事に関しては、子どもの時に戻ったような、これをしないと気が済まない!という気持ちが芽生えていて、というかそういう気持ちがまだ多少でも残っていて安堵した。

「やらない善よりやる偽善」という言葉に戻ると、善を貫くことってかなり難しいし、良かれと思ってやったことが「偽善者」と言われることもあると思う。世の中には、積極的に人を助けることを仕事としている方や、命がけで働いている人も沢山いて、自分は遠く及ばないと感じる。

この機会に偽善者という言葉を調べてみた。

外面では善い行為に見えても、それが本心か良心からではない心理状態を指す

結局のところ、偽善者というのは、他者からの定義付けで、うそ発見器みたいなものを装着しない限り、いくら本心でやっていても人から偽善者と思われたら、それはもうそうなるわけだから、自分がどうするか、どうしたいかであると感じた。

心根がすごく綺麗だったとしても、他人の目に怯えたり、恥ずかしさ故に行動できないくらいなら、他者から見た私が偽善者だったとしても、自分なりの正義を大切にして、突き進みたい、野火を見ながらそんなことを考えさせられた。

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